ROLLYさんのことは以前から知っていて、いつか自分の作品に出て欲しいなと思っていた。そして出て貰うなら、彼の派手なメイクとコスチュームの下に隠された、ステキな素顔を生かして、サラリーマンか政治家役と決めていた。その夢が叶った。

 今回、ROLLYさんが演じる鰐淵影虎は議員で、黒田総理の妻聡子の兄。かつてドラマでレントゲン技師を演じた時でさえ、あのポエミーなメイクを落とすことのなかったROLLYさんが、初めてノーメイクで皆さんの前に登場する。感謝しかない。

 クランクインの日。ROLLYさんは緊張の面持ちでスタジオへ現れた。黒田総理の中井貴一さんと聡子夫人の石田ゆり子さんとの三人のシーン。僕は舞台で彼の柔軟な演技を何度も観ているので、あまりの緊張で、呼吸するのもやっとな感じのROLLYさんに、正直びっくりした。やはりスッピンで演技をするということは、僕らにとって、全裸演技と同じくらいドキドキするものなのだろうか。ドアを開けて飛び込んで来るという芝居が、何度やっても決まらない。NGを出す度に真面目なROLLYさんは、現場のスタッフ全員に「大変申し訳ありませんでした」と頭を下げまくった。その律儀さにもほどがあり過ぎる姿に、中井さんは「大丈夫、いくらでも付き合いますよ」と温かく応え、石田さんは「ROLLYさんて、なんだか私の兄に似てるんです」と、よく分からないけど胸に染みるエール(?)を送った。

 演技には苦労されたみたいだけど、ROLLYさんの持つ不思議なおかしさと哀しさのおかげで、鰐淵は、映画の中でも特に印象的なキャラクターになったと思う。濱田龍臣さん演じる総理の息子の部屋で、ギターをつま弾きながら彼を励ます場面は、ROLLYさんらしい優しさに溢れていて、僕の好きなシーンだ。

 鰐淵は映画の後半で、○○○○に就任するのだが、ここだけの話、実は○○○○就任記者会見のシーンも撮影した。全体のテンポを考慮し、編集でカットしてしまい、本当にごめんなさい、ROLLYさん。ほぼ全編ROLLYさんのアドリブで行った就任会見は爆笑もの。いつか何らかの形で、皆さんにもご披露したいと思っています。

 

 

 田中圭さん。去年上演した「江戸は燃えているか」で初めてご一緒した。骨太な中にほど良くブレンドされたチャラさ。それが第一印象。一見、格好いいのかよくないのかよく分からない人で、稽古場でもどちらかといえば、いじられキャラ。ところが格好いい芝居をすると、相当に格好いいので、やっぱり格好いいのだろう。前日のお酒が祟って、ぱんぱんにむくんだ顔で皆の前に現れたことがあった。さんざん共演者にいじられた挙げ句、稽古が終わる頃には見違えるようにすっきりし、涼しい二枚目顔で帰って行った田中圭。つまりはそんな人だ。

 公演中に女優さんの一人が体調を崩してしまい、僕が急きょ代役を務めることになった。その時、舞台上でもっとも頼りになったのが田中さんだ。戸惑う僕をうまく誘導し台詞に詰まると、アドリブでフォローしてくれた。それでいて自分の芝居は完璧にこなす。僕は演技をしながら、(この人に一生付いて行こう)と決意したくらいだ。

 「彼に警官の役をやらせたい」と思ったのは、その頃。愛嬌のある「頼れるお兄さん」顔の田中さん。絶対に警察官の制服が似合うと思った。まだ映画の台本も完成していない時期「どんなに出番が少なくても、僕の映画に出てくれませんか」と頼んだら、「もちろん出ますよ」と言ってくれた。その後、「おっさんずラブ」が始まり、瞬く間に忙しくなったが、彼はきちんと約束を果たしてくれた。

 当初は冒頭だけの登場のはずだったが、熱いけど不満だらけのこの警官、田中さんが演じることを前提に考えたらもっと活躍させたくなってきた。そこで後半、再登場させることに。現場では、田中さんがさらに肉付けしてくれて、警官大関は、プロットの段階からもっとも成長したキャラとなった。

 記憶を失った黒田総理が路上に座り込み、野次馬に取り囲まれる。そこへ現れた大関。携帯をかざす人に「撮ってくれんなっつーの」と一喝。ここだけの話、この台詞は田中さんのアドリブだ。この一言の中に彼は、警官大関の職務熱心さ、そして暖かさを表現した。言葉はぶっきらぼうだが、なんとも優しい「撮ってくれんなっつーの」。

 田中圭、いい役者さんです。

 僕は、舞台を作り、映画を撮り、テレビドラマの脚本を書く。どれが自分の本業なのか、未だによく分かっていない。鳥と獣の間を行ったり来たりして、結局、自分の居場所が分からないイソップ童話のコウモリみたいなものだ。朝日新聞に連載中のエッセイ「ありふれた生活」は近い将来一千回を迎えるが、その第一回目にも同じようなことを書いていた。

 映画のイメージソング「まったく記憶にございません」を紹介したネット記事に、僕が作詞をしたのは「ステキな金縛り」(11年)の主題歌以来だとあった。実際は、去年「日本の歴史」というオリジナルミュージカルを作っている。映画の宣伝の場合は、舞台の仕事はカウントされないみたいで、ちょっと淋しかった。(と思ったら四年前の「ギャラクシー街道」でも作詞をしていました。西川貴教さんの絶唱を忘れてはいけません)。

 テレビドラマの脚本家としてしか僕を知らない人にしてみれば、三谷幸喜という作家は、民放では「合い言葉は勇気」(00年)以来、連ドラを書いていない、無茶苦茶作品数の少ないヤツということになる。僕を映画監督としてだけ認識している人には、たまにしか作品を発表しない、成長の遅い監督と思われていることだろう。稀だと思うが、僕をテレビタレントだと思っている人には、最近またテレビに出始めた、どこが面白いのかよく分からない眼鏡のおっさん、のイメージだろうし、テレビも映画も舞台も観ない、うちのご近所さんにとっては、いつもぼーっとしながらイヌを散歩させている怪しい男でしかない。

 僕の仕事のすべてを把握している人はそうはいないだろうし、観客や視聴者は、その作家のすべてを知る必要もないと思う。

 でも、受け手がどう思おうが、僕は一人しかいない。だから僕の前作は「ギャラクシー街道」ではなく、六月にやった新作歌舞伎「月光露針路日本~風雲児たち」である。

 たぶんきっとこの先も、こんな状態が続くのだろうな。それが幸せなことだということは、もちろん分かっている。

そしてここだけの話、今、映画のキャンペーンをやりつつ、新作舞台の劇場に通い、久々の連続ドラマのシナリオの構想を練りながら、来年の舞台のホンを書いています。楽しい日々。

↑このページのトップへ