一ヶ月に二回の更新を目標にしていたのに季節が過ぎるのはあっという間で気づけば夏になっていました。暑かったり寒かったり、多分その寒いって去年のわたしだったら暑いって思うんだろうけど、フローリングじゃない自室はベッドの上に横になっていても足先が冷たく持て余されています。朴ゆすら(えのもとゆすら)です。
最近の進捗は生命を削りながら生きてるものの遺されるものなんてマイナスしかない的な勢いで生きてます。すぐに自滅して再生方法なんてわからないから継ぎ接ぎで修復してる、からすぐ糸が解けて、針を通した穴が綻んでぽっかり大きな穴があいて、蓋をして、そんな繰り返しを延々と、ほんのりと自殺気味。モヤモヤさまーずはなんか語呂可愛いから許されない?ってそういう話をしてる。んもう、相変わらず分かりづらいんだからゆすらちゃん。たぶん永遠に会わないであろうあの同級生、全く関わりがなかったのにブログ読んでくれてたけど、この記事も読んでくれてるのかな、会えばわかる答えを、会わずに知りたいし、世の中は会いたいと思ってる人ほど会えないものなんですよね、世の中なんてだいっきらい!(でも多分すきだから上手くいかないことにむしゃくしゃして八つ当たりしてるだけの嫌いなんだろーね?)

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あのこはアリエルになれないらしいよ






自己顕示欲、世界は自己顕示欲で回ってると思う。オールフォーワン、ワンフォーオール、なんて言葉もあるけど。私たち大抵は聖人でもないしそんなに悟り開ける程に美しい世界でもない、って、一般ピーポーの私は思います。主観。SNSでダイエットアピールしてる女は痩せます!って言ってる自分が好きなだけ、元カノに言い寄られて困ってる男はそんな優柔不断さに酔ってるだけ、あいつだって顕示欲に自分の生きてる価値を見出そうとしてて、優越感と特別感に溺れてる。そうでもしないと自分が自分でいていい理由を見失いそうになるから。自分なんて必要なかったかもしれないって、不安になるから。君がいるから僕が在る。君となら、どこへだって。だって、君がいなかったら僕が生きてるって証を残せないだろう?自己顕示欲は誰かに認められない限り満たせない。

世界に生きてた証を残すために生きてるようなものなのに、今の私は死んでも誰の記憶にも残らないような、そんな怠惰な生活の繰り返し、死ぬことにすら価値がないなら、死ぬ事だけでも誰かの迷惑なんだろう。ぼんやりと夜更かしをして、空が明るくなった頃に、みんなの1日が始まる頃に眠りにつく。エアコンが効きすぎてくしゃみしてから身を起こして、眠気まなこでお湯だけ沸かして、栄養素もない乾燥麺で満たした気になって多分毒を蓄積して、鍋すら片さないまま片手に収まってしまう液晶をただひたすら眺めて終わりを待ち望む。勿論世界はそんなに優しくないから、また気づいたら綿天のような空が窓越しの高速道路の上をチラついて、多分9つの雲を登れたとしてもすぐ足を滑らせるんだろうなってビビってばっかで逃してんだよ。柔らかなシーツじゃ私の身体一つも守れない。美しすぎる友人、ままごとめいた残虐性、私をスプリングに沈めている限りは世界はインスタストーリーと地デジの中で完結して、まるで私のテリトリーの装飾品と変わらない。ふわふわとしたこの空間も愛おしいけれど命の匂いがしない六畳半の永遠に内臓の底を抉られてしまう気がするから、少しだけ生理現象を我慢してみる。喉の渇きとか、排泄とか、呼吸とか。そんなことでしか生きてる価値を生み出せないならどうしようもないけれど、それすらも達成できないなら何になれたのだろう。ほの暗い廊下も五歩あるけば底をついた、多分そんな風に繰り返していればアイスクリームのひとつは生成できる、どうせいなくなるなら誰かに消化されて終わりたいし、6月までにパートナーが作れなかった大学生は残飯と呼ばれるらしい、とっとと誰かに食べられてしまったら至高なのに、多分セルライトだらけだから食欲も失せてしまうだろう。果敢に踏み出そうとしたら靴擦れが痛くて1秒で挫折。なんなら足首捻挫するし。

何もかもが自由なはずなのに、どこに行っても窮屈で、世界はどうしたって回りきれないのに、どこに行っても檻にはね返されて、これじゃだめだって分かってるから出口を見つけようって探し回るのに、人間地獄、どこに行っても誰かの目線、何を話しても誰かの評価、私が熱を出してようが私が夜遊びに繰り出してようがオメーらの人生に一ミリも影響なんてないのにずるいって言われるしうざいんだって、言葉間違えてるっしょ、それただの妬みだよって、道端で新一年生が酒飲み過ぎてゲロってた、苦しいって泣いて異性に介抱されて泣きたいのはこっちだよばか私の受け口なんて多分ただの発散ツール、世界のストレス飴ひとつぶ舐めるだけで良くなればいいのに。ゆだるコンクリートに身を預けられたのは小学生までだった、多分今の私がコンクリートに寝そべったら通報されちゃう、いい加減死刑になりたいから捕まれないかな、20万円あれば殺し屋は依頼を受けるって聞いたからバイト頑張っちゃう、自己承認欲求なんてなくなっちゃえばいいのに。
アイフォーンの明かりを灯せばなんか救われる気がするから夜道は歩きスマホ欠かせないけど更新することなんてなくてインスタストーリーどんどん苦手になってどんどん普通の女の子になれない、普通って超幸せでたぶん彼女たちもわかってるから他を羨ましがって変わろうとしない、ダイエットできないもん、美味しいもの美味しく食べたいし、人生一回しかないし、死ぬ時は君と二人きりがいいなあなんて、私は死ぬ時頭に茨の冠をかぶって死にたいわ。あれって作る時にゆびに刺さったりしないのかなあとか脳天気なことを考えてばかりだからあけすけで色気がないのかな、いらないけどほしいの繰り返しで断捨離出来なくて大事なものに限って拾い忘れて、そうやって掴み損ねた幸せが数十年後に胎内の水分吸って多分私をおし潰す。本当の名前はなに?わたしがゆすらじゃないなら私を愛せないの?わたしはわたしじゃだめなの?多分ダメなんだよ、それが現実なんだよ、変わるって何?日本って変わることに厳しくない?ねえ、今のゆすらは高一のゆすらに顔向け出来てる?◯◯大学に進学して高円寺に住んでゴールデン街で働くんじゃなかったの?ばっかじゃねえの、青春なんて、希望なんて、搾り取られてとっととくたばれたらいい。春を殺して夢が光らないんだからもう用ないよ、お前。私のちょっと得意技、相手のニーズに合わせてちょっとだけ化けられる。先生とかはちょっと生意気で素直で自分に甘えてくる生徒を可愛がるからたまにタメ口で話しかける。ママは普通の人生を幸せっていうから大学に行ってないことは秘密。友達はモテる友達同士で固まりたがるから恋愛になれてるふりするし、相談できる姐さんキャラを求めてるからいつでも話聞くよ。先輩と話す時はちょっぴり控えめに、生産性の高そうな私生活を作り上げて、男子には部屋が汚いことはナイショ。根本は朴ゆすらだし、あたしだし、◯◯◯◯だし、でも裾をぼかすくらい許してもらえると思うんだよね。ギャルなのにぶっ飛んでないのがキャッチーらしいからこうやってブログ書いてるし、でもそれ私じゃないわけじゃないじゃん?過去最高とか過去最多とか過去最大とかいつだって更新できる今を、いつだって選び損ねて拗ねて寝てばっか、女は消費される生き物なのかもって久しぶりの捕食者の気配を感じて、ラフォーレのバーゲンで買ったパニエで透けてるパンツを覆って、そんな話もやめてほしい。いつまでも完成できない私、むしろ退化しちゃってるし、あの子のフォロワーが5桁越えた頃に多分私は誰かの中で死んじゃって、そんな死者は多分負け犬だし今だって遠吠えじゃん?って話。命削って得たものは多分シルバニアファミリーでも大差ないことで、おままごとのやり方わかんない園児じゃんクソだっさい生き方でも多分あたしよりは綺麗だし他人に塗りつけられた泥だけが事実として取り上げられる。洗い流しても消えない気がするドロドロ、6フィート先の淵でぐらついて三角木馬みたいに終わりのない苦痛は鈍ってぐちゃぐちゃになる。泥遊びでも蟻地獄でも足を取られたらおしまいだしそんなことにも気づけないなんてかわいそうだなあ。泥団子はアルミホイルの鉄球で代用されて、家族の団欒は画面の向こうのYouTuberが実現してくれる。コバエなんて気付かないふりしとこ、冷却シートを貼ったおでこだけが冴えて夏バテの果てがプレイバックする。最低な下ネタも最悪な童貞も多分1番最強なんだよね、分かってんなー。誰にも会いたくないなあってヨレヨレのブランケットを結婚ベールに見立てて頭から被って神父役はぼろぼろのプーさんのぬいぐるみ。機械で管理された居心地の悪い冷気が禊みたいで勝手に充たされた気になって明日の甘えたがりが昨日の私を殺してく。この世の大抵はお金で解決するって分かったからってお金で解決しないことを探求しようとも思えないんだよね。若いうちしか通用しないよって言われて、無茶苦茶が許されない大人って凄く刺激がなさそう。自分のために何も頑張れなかった自分が君のためにも頑張れなくなったらおしまいなんでしょう。バチバチにカールをきかせたまつ毛をそのまま擦って人差し指にマスカラが滲む。誰かに泣かされるよりずっといいよ。勝手に強がって勝手に失望してる。何者にもなれない夏、なんにもできない君、なにもない青。
死に損ないだから生き損ないしてて、人のせいにばっかしてるからテメー死んだ方がいいぞ。すぐ信者になってすぐ死にたいなんてベクトル3ミリくらいなのにご丁寧に顕示欲みたしてくれて、だからキャスするし君の中で他界した私は特別?愛って色々あるじゃん、博愛とか友愛とか慈愛とか、なのに全部愛して!なんて無責任だよ、せめて定義作らなきゃって錯綜して好きに溺れて死ぬ。消えたいに押し潰されて死ぬよりマシだけど。ないよりはマシでもいい、本当は良くないよ、エゴと本音間違えて、えくぼに見惚れてまあ無意味ですよねー。それが目的なんて言えちゃえばいいけどそう上手くいかないし一歩間違えたら屁理屈。


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ただなんとなくもう君に会えない気がしたなんて思いで君にあえなくなんてやだ


人間の痛覚は一箇所にしか集まらないらしい、複数箇所の怪我の場合は、その中で一際傷ついたところだけがよく痛むという。







いつもより丁寧に髪を巻いて、幾度もアイロンがけした制服に慎重に腕を通す。退屈な卒業証書授与を過ごし、諸々の関わりで集合写真を撮って、忘れ物をした校舎に新たに忘れ物を作って、呪いのようなポップチューンが犇めく打ち上げ会場で空気を読み続けて大森靖子は歌えなかった。3/1がついに終わってしまった、体力も気力も力尽きて制服も中途半端に脱ぎ散らかしてベッドに突っ伏せながら好きでもない(愛着はあるのかも)カップ焼きそばと買って来た箱に入ったままのケーキを貪り食う。悲傷、憂愁、とりとめのない喪失感と並行して空疎な陳腐さが身を襲う。たたみかけるようなカップ焼きそばの塩っけがさっきまでの涙の甘さを打ち消す、いつも式典では泣かないと決めるのに、最後の最後で殺しきれない嗚咽を住み慣れた7帖の自室で嚼み潰すのがどうもお決まりになってしまっている。加えて、だいたい涙の理由が不本意なものなのが定番化してしまっている。情けない。みんながみんなの晴れ舞台で、特別な人なんていないからこそ一番幸せになろうとするのが人間の性で、あの子は欲しい、あの子はいらん、そんなんで作り上げた帝国の集大成の賞味期限が1日でももう会わないしどうでもいい。人間の一番汚いところに触れ続けた気分でもう最悪、お口直しに食べたいフルーツもない。添加物と一緒に口紅も食べちゃってて、マスクの下だけバームが湿ってる。「幸せになりなよ」なんてセンセーに言われたけど、幸せの成り方なんて18年間生きてても分かんない。お金を使えば欲しいものは手に入るし、セックスすれば気持ちいいし、所詮他人は他人なので『口ではなんとでも言える』、幸せの基準が大規模過ぎるのか、私が貪欲すぎるのか、どっちもだろうしどっちでもない。幸せってなに。あなたの幸せは?寄せ書きに記されたこれからも主人公であり続けてくださいの一言、オフレコ多めでもオッケー?きっとわたしの多感(多感なんて言葉は使って欲しくないんだけれど)だって在り来りで、映えに慣れてしまった学生達は演出と誤魔化すことを覚えてHUJIで思い出を切り取る。SNS世代の私たちはいつだって欺瞞と狡猾に溢れていて、塗れていて、それが本物だって信じ込んでいる。何が正しくて何が悪いかはすべてインターネットが教えてくれて、大人は狡く生きることが当たり前らしい。制服の同級生と深夜にドライブをして、温泉に浸かった。『幸せっていうのは納得することよ、自分で実感して、確かめる。』ぽろりと、ぼとりと、湯舟の底に沈めた言葉がゲルマニウムと溶け合ってゆらゆらと蠢く。日々生きているだけで価値があるのだと、貴重なのだと、それを幸せの糧にしろと、説く大人がとても苦手だった。冷えきった広々なフローリングも、機械的に温められた冷凍食品も、趣味じゃないフレアスカートも、ないよりはマシ。クラスメートの親友はとても家族と仲が良くて、行く先々で家族に写真を送り、綺麗な黒髪は毎朝ママに結ってもらうらしい。他人の男と、責任者の女と、私で構成されたLINEグループは、まだ紙1枚と左薬指の4gが3人の共通性を維持していた時からあったけれど、一度も動かされたことがなかった。いつ退会したんだっけ。そうだ、私が携帯の移行に失敗してアカウント作り替えたからだ。グルチャアイコンの初期画像のマカロンを眺めて学べたことは、終わりのない永遠なんてない、ということ。何でもない日に買うチョコレートも、吐き出す壺代わりの煙草も、君と私が同じ運命を辿ることも、期限があって、当たり前のことだけど酷く他人事のようで。でもモノは違う。グッチのコレクションバッグ、修学旅行のお土産に買った青く澄んだスノードーム、アルバムの中で引き攣り笑いをする君、外に出さなければ失くすこともないし、壊れたら修理できる。今の時代、通販でだいたい買い直せちゃうし。短い永遠を大切に守ること、これは至難の業で、ぬいぐるみと色とりどりの服と黄ばんだ本に囲まれることでしか安心できない私には結構向いていない。円周率だって終わりが示されて、時は金ではなく、時の使い方によっては金になるというだけの話。更に要領に欠けているのですぐに忘れてしまう。思い出せなくなる。消えてなんかない、消えさせてやるもんか。本当は人との関わりも、感情も、愛も、私の、私だけの『大切』なのに、器官の欠陥なんかを言い訳にしたくないよ。だから書き留め続けてる。短い永遠を無かったことにしないように。初めてピューロランドに連れてってもらえたあの日、横浜駅のポルタからのエスカレーターで登りながら顔を合わせたあの日、せめてあの時の私は幸せだったし、愛に満ちていた。結果ばかりを追い求める日本、そうじゃない人もいるけど大半がそう、そうじゃない人を探す方が苦労するから大人と呼ばれる人間は結果を出さなきゃならない。18歳。既に婚約を済ませた友人、子供を育てている知り合い、起業したあの子、1人で転居届を市役所で受け取る。毎日欠かさずに勉強しても国公立組からMARCHになってしまった女の子も、「なってしまった」と言われる。彼女の努力は何よりもかけがえのないものの筈だろう、多分、客観だけど。そんなのみんな分かってるし本人が一番わかってても苦しい。声を大にしていいたい、『私は幸せを保存して、満足したいわ。』私の大切なんて、他人にとっては当たり前なのかもしれないけど、それじゃだめなのか。駄目なんていう人いない。でも社会がそれを見なかったことにする。やるせないよねえ、ほんと。幸せに生きたい。みんな誰しも思ってるのにココ最近の世の中はなかなか叶えづらくなってると思う。形容しがたい幸せじゃ世の中を渡れないから、受験するしインスタ載せるし不幸になる。資格もbioも武勇伝も何も凄くないのに。出来事の全てはあらゆる主観を合わせたらすべて同価値なはず、選り好みするのは個人の自由なんだけど、全てがあるのに全てを選べないのが私たちだ。もうそれはどうしようもなくて、そこで幸せになろうと取捨選択することの何が悪いのか。だって自分の身がいちばん可愛いから。顔は可愛くないけど。そうやってないと生きていけない。私の幸せってなんだろう、多分、今のところは、終わったものも、止まったものも、忘れないこと。






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私はドライフラワーが嫌いだ。花は気高く瑞々しく咲き誇り、一瞬にしてその生を全うして堂々と散るから美しいのであって、抜け殻になってしまった「不完全体」を飾るのはどうかと思うからだ。ブリザーブドフラワーがどうとか、そういう話は置いておいて。ドライフラワーは花から水分を奪って作る、その過程は至極残忍で、鮮やかさの褪せた花を飾ることを厭うのは死体を連想させるからなのか、平然と命を刈取る人間が怖いだけなのか、どうか死ぬのはきみだけでいい、私の大切なあなた達にはきっと生きててほしい




オシャレな流行りのカフェに入ると、何処かの誰かのバースデーサプライズソングが流れて、店の照明が落とされた。しかも三回。私たちが何気ない1日を過ごす間にきっと誰かは大事な記念日を過ごして、私たちが何気ないステーキをたいらげる間に誰かが幸せになって、店に集まった他人が他人の尊さを祝福する。
温く閉じ込めた週末の路地を野良猫がそそくさと横断する、キラキラした夜は草臥れたオッサンが生み出したそれで、それがなかったら私は救われていないし世界もゲームオーバー。私は選ばれなかった子供だったらしい。ストッキングの上から撫でた肌が通気性悪すぎたから新作のリップでマウントとってかないと生きていけないっぽい。クラッチの中で潰れたメロンパン、君は死んでも凋まなかったのに。死ぬことだけが平等。そんなことにすら気付かないフリをして生きていかないといけないのは、あまりに人間が脆いから?

裏を返せば人間は生きている限り勝つか負けるか、選ばれるか選ばれないか、産むか廃れるか、愛するか享受するか、どちらかしかない。優劣がつくのが当たり前で、せめて私の生きる日本の大部分の世間はそうなんだろう。体育祭で長距離リレーを押し付けられる、席替えであの子の隣になれた、私は私を好きにならないあの人のことが尊くて仕方ないし、屋上から飛び降りたあの人が口ずさんでいた歌の題名はいまだにわからない。なんだかそんなことを考えていたら"死"そのものは平等だろうと、"死のタイミング"は不平等だよなあと、そう思いながら点滴に繋がれた親戚のお見舞いをする。カリウム補給剤が漏れた拍子に出来たどす黒い痣の淵が滲んでいて痛そうだった。こんなに分厚い掌でも、だからこそ、生きていられるのだなあと、そして死ぬのだなあと、少しだけ怖くなって再従姉妹の坊やを撫でてやる。18年も生きてしまった。全然あっという間なんかじゃなかったはずなのに、人間というよりは私は馬鹿だから時間を忘れようとしている。思い出だけが残ればいい。思い出じゃなくて実在が欲しい。マメな人間でも几帳面でもないから、私が過去に生きていた証なんて、ブログと、裏垢のログと、ケロイド化したピアス跡と、財布の中のレシートくらい。ケータイの中の自撮りは加工されているし、昨日で作られた私の体も明日には昨日の体ではなくなってしまう。

最近仲良くなったひみこちゃん。bisという雑誌で賞を貰った子。大阪の子。逞しくしどけない女の子。永遠にJKであってほしい女の子の一人。バレンタインにチョコを貰ったのだけど、開けてみたら魚のパッケージで、さてはヴィレッジヴァンガードだな?とニコニコしながら頂戴した。


私は白黒はっきりしていないと許せないタイプの人間だ、おざなりが許せるのは気の置ない友人だけ。昔は赤味噌しか飲まなかったからか、自毛申請を出しているのに頭髪検査を毎回させられているからか、どっちの血が濃いからかは分からないけれど。勿論、関東の血も流れているんだけれど。だからチェーンのレストランでは優柔不断を発揮しがち、オムライスでもハンバーグでも明日生きてく分には関係ないのにね。
友達なのか、セフレなのか、恋人なのか、他人なのか。だから感情に任せたキスなんて私らしくないのにな。キスをする場所でも意味が分かれてて、でもアレルギーは幾種類もあるのに処方薬はワンパターンずつなんだから、きっとどこに口付けをおとしても一緒なのだろう。なんだか興醒めだ。生きるか死ぬか、そのふたつだと思っていたけれど、案外生の反対語は死じゃないのかもしれない。生きることも堕落することも全て死に直結していて、どんなに人生を世間への貢献に尽くしても、ひきこもりながらリスカしても、軽犯罪でボルテージを有耶無耶にしても、人はいつか死ぬ。なにをしてても人は必ず死ぬ。それはだれかにとっては救いでもあるだろうし、誰かにとっての絶望でもあるだろう。中途半端を嫌う私、絶対を愛して絶対に生きていたい私にとっては、「必ず死ぬ」というのは本トなら凄く都合のいい現実な訳だ。確実で揺るぎない絶対。ネズミの国を作り上げたあの人は今も冷凍保存されてて、不死身の方法が確立された時に解凍されるなんて都市伝説があったりするけど、せめてもいまは不死身なんてできないらしいし、ただのいちJKだった、そしてJDになる私を冷凍保存で不老不死が可能になるまで取っておく、程、私に価値がないことは自覚済みだ。「ゆすらは自分に自信がなさすぎるよ」とか言われるけど、私は充分に自分の身の丈以上に生き過ぎていると思うし過信している方だと思うのだが…まあ割愛して。私たちに永遠なんて本当はなくて、ウィリアム・ギブスンの言葉を借りれば『僕らの短い永遠』を私たちが掌握できていなかっただけの話なんだ。高校生は無限に続くと思っていた。阿呆な話だけど、ずっと私たちはそう思って生きていた。無敵で、素敵なまま、いつかプツンと真っ暗になると思っていた。核爆弾のように。

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でも勿論現実はそんなわけがない、神様なんて多分いない。ただの運の巡り合わせが世界を構築している、気づけば賛美歌380番を歌って、気づけばコサージュの花たちは枯れていた。時は止まらない。私たちは止まったつもりでいても足元は自動運転している。呼吸は吸って、吐いて、循環してるつもりだったけど、人間は何かを摂取し続けて排出し続けないと生きていけない。一方通行で、そうやって人を愛する。よく考えたら、人間の行為で反復だけで満足してるのはセックスの出し入れくらいじゃない?(笑)進み続けないときっとダメなんだ。本能的に。私たちは繁殖し続けて種を絶えさせない為だけに産まれている。そういう「生命力」の強い種を選び抜いて更に生き延びる。拓殖、品種改良、デザイナーベビー、よく子供が親の人形だと、アクセサリーだと嘆いているけれど、(私もそう思っていたし、今もこの喩えは覆ることは無い)本当は親の趣向ではなくて、親の本能によるものなんだと思うよ。だから、アクセサリーとかじゃなくて、生理用品。ブランドがソフィかロリエかそれだけの違い。吸収力をとるか、通気性をとるか、でもやっぱりどちらもあれば愁いなし、じゃないか。ないのは困るし、そりゃあ機能性に優れててほしい。人によって使い心地の違うナプキンなんてポーチに忍ばせたくないし、いざって時に人に貸しても文句がつけられない、そういうモノの方が便利だ。結局。下品な(本来は下品というべきではないのだけれどはしたないと思う人間もいるのだろう、くしゃみの特効薬の話と大差ないと思う)例えになってしまったけれど、とにかく私達はなくてはならない存在ではあるけれどポンコツなら存在する意味がなくなってしまうのだ、人間は変化する。適応はマンネリ、人間は飽きることを恐れている。この世界を終わらせてはならないから。この世界を見切ってしまったら酸素しか取り込めない私たちは逃げ場がなくなってしまう、その時には、私たちは静かに澱んだ沼に沈むように、全てが無に還る。エラ呼吸できたら人生違ったかも。でも水太りは嫌だしな。残念ながらそういう理屈を考えていきますと私は人間の負け組のようです。スクールカーストを生き抜いても、受験戦争を勝ち抜いても、私は子孫を絶対に遺したくないし死にたくない。いや、死にたいのは死にたいんだけど。死にたいっていうよりは、終わりにしたい。なかったことにしたい。死なんて身勝手な遺失物を他人に兎や角弄られたくない。私は私だし、私の死は私のモノだ。生きている限りは私が私を蹴りつけられるけれど、死んでしまったら遺言に託けしておかない限りは私の死体は勝手に火葬されて勝手にも葬られてお墓に入れられるのだろう。正直、死んだ後のこの世なんて知ったこっちゃねえし、そこまで気を回すほどこの世界に好意もなければ後腐れもない。ほっとけばいい。そうやって見離されたらずっと楽だったのに、地球温暖化が進んだせいかどうにも他人にお節介な人間ばかりだ。それが利己的なお節介だったとしても、慈善的なお節介だったとしても、もう人間は何を施しても全て自分勝手になるんだからいい迷惑。死にたくない。私が日常的に口にしている死にたいは言葉違いで、本来は消えたいが正解、ぶっ潰したいじゃダメ、質量ゼログラムじゃなくて、測定不可能の方が安心できる。分からないものは分からない。人間には生きる目的があってもそれは手段にはならないから、やるせないもんだ。生きる手段を熟考することが、私たちの哲学なんだと思う。「哲学なんて嫌いだ、ウジウジ考えても答えのないことに踏み止まるなんて時間の無駄だ」と某は言った。(名前を伏せろと強く言われている)哲学の答えなんて(いるとしたら)神様しか知らないことだ、哲学なんて所詮幾ら筋道立ててもどれだけの大多数が賛同してくれるか、が正義の世界で(だって人間が平等だと道徳で教わったから、その通りに考えれば人間の真理の推測を人間如きはできない、働かなくても学ばなくても人は平等で誰しもがかけがえのない存在なのだろう?)、やっぱり答えはないと思う。答えが出たらそれは己への信望だろう。ここまでも私だけの信望かもしれない、答えは出ないと疑わずにのうのうと生きていきたいだけかも。そうやって生きていたから。でも、哲学を深めるのは悪いことじゃないと思う。それでEDになったら意味ないかもしんないけど(笑)どうでもいいからパターン化して処理しておきたくて、大切なことはけじめが付けられない。怖いだけかも、取り返しがつかなくなることが。人間が痛みなく消失出来るようになったら、少しは変われるかもしれない。(痛みは馴れててもしんどいものだ)





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ただ、不変に愛していてほしかったし、私たちはこのまま立ち止まってしまいたかった




‪綻びを繕う為の宝物、自傷のようなセックス、暴力は甘露だと君はいう、牛乳も煙草もドラッグも全部ただ満たしたいだけ。埋め合わせたい何かは、分かったようで解らない。人それぞれの自由もポルノ規制される前。幸せが覚束無くて、潮の匂いは羊水への回帰を彷彿とさせる。それでも、後戻りはできない。閉塞感、虚無感、焦燥感、そんな愚直な言葉で終わらせられない終わらせたくないハズの生活も関係も、形式だけがリアルなんて。‬

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映画の試写会に行ってきました。こういう記事を書くのは珍しいでしょう?「リバーズ・エッジ」という作品の映画です。人生初めての試写会でした。原作者は岡崎京子、「ヘルタースケルター」の作者としても有名なので、聞いたことある人は多い筈。ただ、(あくまで個人的な)インプレッションは、「ヘルタースケルター」がグロテスクでなによりもリアルな程の極彩色、だったのに対して「リバーズ・エッジ」はモノクロよりも欠けた、セピアに近い無色、という印象を覚えた。



映画を見終えてどっと、倦怠感と渇欲と吐きたくなるような衝動に襲われる、これをきっと大人は一服したい、という言葉に集約するんだなと他人事のように思う。その大人が刻々と迫る、18歳、私は卒業済の高校三年生で、そんな高校生に浸れるのも何日かあとの葬式で喪服代わりにするくらい。高校生というものは特別で、そんな特別は文部科学省が定めただけのつまらない監獄なんだけれど。本当は生きるだけなら殊更に無に等しくて、絶望も、衝撃も、思慕も、独占も。心と体が別物で、脊髄がひずんでるのかななんて疑っちゃうくらいには。幾ら手首を切ったって生きてるなんて実感出来なかった、無邪気に皮膚越しの私たちを重ねて谷間に滲んだ汗も、学校に行かないでショッピングセンターの裏に屯った事付も、全部私のことのはずだったのに、なんだか屋上から見えた海岸の電灯の方がずっと本物のような気がした。よくある地獄で、多分私のトラウマも好奇心も全部子宮の重さと大して変わらない。深く「何も無い」を縫い付けられた。何も無い街、何でも無いフィクション、何にもなれない私たち。不感症だとか離人症だとか恋人とか進学先とか、形づいたもので表される度に人でなしになった気分だ。それなのに、私たちは安寧に引き寄せられて、埋もれて、窒息死して、それが幸せだと、言うらしい。幸せって何だっけ?



スクリーンの彼女らを見て、どことなくシンパシーを感じた。何にも縛られずに自由に生きたい、性枠に囚われずに愛を貫きたい、愛することを諦めたくなくて、気持ちいいものは気持ちいいし、それを悪だと唱えるのは世間体で人類を滅ぼしてはならないから、なーんて、人類以外の誰も人類を絶やしてはならないなんて明言してないよ?まあまず人類は人類としか会話出来ないもんね、今の所は。未成年の喫煙が禁じられているのは法律で決められているから、法律はせめてその国に於いては絶対で、明記された理由は「健康上悪影響を及ぼすから」なんて、そんなの自己責任じゃない。それでも共存のためにルールは守らなくちゃいけないし、守らなきゃ人類滅亡しちゃうもん。
映画を見て、まず原作を買った。次に、ファンブックと呼べばいいのか、「Edge of Rivers Edge」という、20人以上の人が共通の「リバース・エッジ」という作品を通して考えたことや表現したいものを吐露するという本を購入した。読了済。
原作とはいうと、映画本編のぬるやかでじっとりと蝕む展開よりも、映画の途中途中で挟まるインタビューの方が、原作の雰囲気に近かった気がする。私としては、原作は、厳かで、いたいけなくて、カラリと乾いているのに厭に染み込んでくる、そんな印象を覚えた。岡崎さんの絵柄が思っていたよりもアッサリしていて、かつ鋭く心を刺すからか。刺すっていうよりはまち針を針山にさしていくような痛み、私たちはこの痛みを知っていて、知らないふりして生きていこうとしたのにそれを許さない。だってそれが生きる、ということだから。リバーズ・エッジは昼の世界と夜の世界の交錯、微睡み、その狭間で端っこ、はみ出しものと言われた少年少女が主役で脇役でモブ、矯正された青春なんていらないよ。昼間の校舎は人だらけなのにやけにがらんどうで、密度の歪んだ暗闇はどこまでも暗い青だから炎がよく映える。絶頂、峰巒、なだらかな海じゃ見えない欲望にも、きっと川辺なら届くんじゃないか、なんて思って。私の育った街には小さな川しかなくて、やけに舗装された橋から川の底を探す度に私は特別な女の子になれないと再確認していた。『惨劇はとつぜん 起こるわけじゃない』運命だと享受していた18年間、実は運命だって妥協してたんじゃないの?ハリボテの引き戸、君がいる教室だって引き戸だよ、恋の駆け引きもよく分からなかったし、特別なことをモノのように整理整頓する女が大嫌いで、前ならえもいつも先頭だったので、やり方をしらない。
物語には必ずモノローグがあると共に、エンドロールも必ず用意されている。『平坦な戦場』おわりのない、始まりもない、そんなわけがない。着々と、ジワジワと、括られた世界に外も内もない。死後とかあの世とかが信じるか信じないかの話で終わるように、表も裏もない平坦な戦場で、戦う相手も知らずに生きて、それでやっとひとつの「鱗片」になれるんだと思う。私たちの全てがメモワールで、同じように誰かも君もノンフィクション、インスタはあたし達のZINEだというなら、もうあなたの目に映る私は写実的フィクションの方が正しい。リバーズ・エッジもしっかりモノローグとエンドロールが於かれている。石油化学工場から立ち上る害悪な灰色。茶ばんだセイタカアワダチソウ。酷くくすんだ川は河口にいくほど、臭い。加工だらけの自撮りも、イッタいよね〜、ギャグじゃないよ。起承転結、波瀾万丈、それは面白いけれど、どうしてもそうであらなきゃいけないのか。出だしも〆も同じ言葉で構成されていて、街の色めきは常に一定を帯びている。街が没落しないように、私たちだってきっとすべてをなし崩しにする必要は無い。そんなのは、田島カンナの死体だけで、いい。ネクロでもポリテオでもぺドでもなんでもいいよ。でも、殺されなかった私たちは生きていかなきゃいけないし生き続けなきゃいけない。変わらないものと、変えられないものと、変えたくないものって、あるじゃない?取捨選択は知恵で特権。改札前でキスするのも君だけでいい。淵と縁、合わさることがなくても、ひとつに繋がっている。少女と少年も、いつかは女と男になって、でも最後は抜け殻、もはやもぬけ、蝉の五月蝿い季節ばかり記憶にこびりついている、リバース・エッジでは季節が流れていない。与えられた条件は「平成の初めのころの物語」。私たちは「平成の終わりのころの佳話」なわけだ。平成の初めはバブル崩壊に引き続いて公害問題、ビルに飛行機突っ込むしノストラダムスで死を発起する。私がまだ生まれてない頃のお話。大人が悲惨だったねえ、なんて嘆いているけれど、ちっぽけなディストピアは今となっては底抜けの無意識になっている。震災に津波で人が死に続けて、パワーワードは援交少女から家出少女になって、偉いぶった大人が決めたイケナイコトを掻い潜るように逃げた先で殺されていく。個人情報が厳格化してるのにヘッダーは卒業の集合写真で、君の笑顔はスクショ済。欲しいものが何でも手に入るようになったけれど、無秩序の中では幸せはもたついてしまう。平成の終わりを生きて、SEKAI NO OWARIなんて名前のバンドが売れちゃったりして、世紀末って人が描くイラストだってツイッターで無料で読めるし、なんなら漫画村にない漫画しか買わない。ちんけで安価で、それが賢いと言われる。インスタ映えには矢鱈お金かけるくせに。安っぽい友情、安っぽいkawaii、安っぽい愛してる。頭の悪い私でも、終わってるなって身に染みて分かるよ。「平成の初めの物語」90年代が焦燥の予感なら、新10年代は諦観の懐疑。こんなはずじゃなかったのに。こんなじゃだめなのに。もっと、もっと、でも、結局。叫んだことを褒めてくれる人はいても、叫んだ後処理は誰も出来なくて、自動販売機のゴミ箱にポリ袋突っ込むみたいに、私たちは自分らしい生き方に囚われてる。主体性とか個性とかもなくちゃいけないものだって急に言われても、お手本通りに解かなきゃ赤ペン先生は丸くれないから、いい子じゃない子はいらないから。バブルがパチンと弾け飛んだあとの停滞は終わらなくて、きっと平成が終われば東京オリンピックがあるから救われるんじゃね?なんて安直だな、ほんと、百均で一人暮らし用品揃えてる位には安い女だな、本ト。平成30年、タッチパネルで生きる証拠を残せる時代になる。こんなにもだだっ広いインターネットの海に放られてるのにどうしてこんなに苦しいのだろう。きっと溺れてるのよ、自分に酔いしれて。iPhoneでさえ水没しなくなったのに。平成は、たしかになにかを壊し続けてないとダメだった、自暴自棄に妊娠したルミも、好きな人がいてもおじさんとセックスする太郎くんも、ハーブでドロップアウトしていった観音崎くんも、どこかで見た気がするし、どこまでもよく知っていて。そういえばいつの時代も歯車のダイアルはセックスなんだなと至極生物学的に当たり前なこと言う。平成は本能と理性の追いかけっこで、読むのもダルい法律やら校則がちょい足され続けてるせいでもう逃げ場を失った、きっとかくれんぼができなくなった本当にその時に、年号は変わって、でも私たちは死ねなくて、その時はどうなってしまうんだろうな。



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ろ過した感情は単純なハズなのに、言葉がつまって死にそうになる











会いたい時にすぐに会えてしまうのがこのご時世で、SNS一つ繋がっていればいつだって生存確認ができるし会話ができるし君にだって会える。でも所詮SNSしかしらないからSNSでブロックしたら終わる世界が私の分岐点、公衆電話からラブレター送れるなんて知らないしノーブランドのお財布にもテレホンカードは入ってない、便利そうで窮屈で、世の中に揉みしだかれてボロ負け、ブラジャーのホックがうまく外せない、夢に出てきた君、まだ私は生きていける?


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ファンタジーもデカダンスもフィルターで作れる




最近、ツイッターでよく12文字前後の短文を羅列したツイートをよく見かける。なんだなんだ、ラップか〜?という茶化しはおいておいて。
私のブログは平均6000〜7500文字程度で構成するように心掛けている。いや本当はそれ以上書きたいけど、更新スピードとバランスを考えるとそのくらいがマストなんだろうな〜と勝手に思い込んでる。別に書こうと思ったら一万文字は書ける。多分、11/25に行われたミスiDカフェというイベントに出演した時に無料頒布した、「人造牛乳探譚」という手作り新聞は、1万文字くらいで構成したし。数えてないけど。

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これ

話を戻す。私のブログはまあそこらの下手な小論文より6.7倍も文字で埋められてるわけだけど。その上私のブログはハードらしい。私はわたしを簡単に伝える気がないもん。だってたかが18年の人生しか歩んでおりませんがそれでもブログには私の人生を埋め込んでるんだもん。わたしのブログで他人だけで構成したものは無い。いや、他人は出てくるけど私と接点があるからってだけ。人生は当人以外には喜劇でしかない、どうせ開く劇場なら私は舞台に立ちたいわ。そう願い続けてミスiD2018というオーディションを受けて個人賞を頂いてああやっと私は人様の前に立てるのね、と。でもね最近気づいちゃった。私はわたしの核をまだ辞書的言葉だけで一回も話したことがない、その上でのお許しだったって、久しぶりに色文字使ったー、うわー、誰も知らない私のもう一つのブログ、もう消したけど。そっちでは色文字結構使ってたのよ、えもゆす豆知識〜!!まあ前のと合わせて1年くらいブログ書いてて思うのは、これだけ言葉を使っても伝わるのは辞書的意味だけ、言葉なんて形骸化してるのがスマホ世代サブカル科、すべてを伝えてるようで何も伝えられない、だってみんな辞書引かないんだもん。事後の煙草に恍惚を重ねるんでしょう?ただの精液の匂いと4000種以上の化学物質でしかないのに。辞書で私の言葉を全部引いてくれてるならいいけど、大体あなたもブログの記事読んでてなんとなくで分かってる単語はそのままニュアンス〜とか言って読んでるでしょ。もー。全員が全員ブログの言葉全部広辞苑引いてくれたら幸いだけどそれを強制して読ませられるほど私に力もないしそんな偉大な記事を書いてるかと言われると自信もないからいい、その代わり私も簡単には教えてあげない。それだけ、そのくせにみんなのことは知りたがるんだもんね!わがままかよえもゆすー。TwitterDMはいつだって解放してるんだよ♡
だからね、ちゃんとなにかテーマがあって語る時のブログは辞書的意味を用いてダーッて言葉を羅列して説明してのむか呑まれるか飲まないかはお前ら次第、でも正直私がわたしを語る時に使う言葉たちは抽象として使っている。言葉が抽象なわけない?そうね、強いて言うなら用語ね、青、オレンジ、沈まぬ太陽、ケバブ、切れたイヤホン。ね、ここからお前らは何が分かる?わからないでしょう。だって分からせる気がなかったもの。世の中をうまく生きるには妥協が必要で、その妥協を負けとみなすか勝ちとみなすかはその人の価値感次第。きっとゆとりを作って壊さないように生きられることが良しとしてる人もいるし、私みたいに全力で生きて壊れるくらいなら壊れろって人もいる。それに正解はないように、生き方には妥協をしたくないけれどお金が無いから妥協して百貨店じゃなくてドラッグストアで化粧品を買う。ねえねえ本当に無敵なのは単語で言葉なんてワンチャンでしかなかったみたいだよ?屋上からワンチャンダイブしたくない?私はしたいよ、無茶苦茶だもんこんな世の中、言葉を愛することの何が悪いのか、それが私の弱さなのか強さなのかはわからない。でもこの夥しいドロドロを溶かすには私は言葉しかないって思った!私の原動力なんてそんなもん。どうせ生きていかなきゃならない生まれたからには逃げられない死を迎えるまで自分の嫌いな世界から逃げるか、倒すかしかない。私はレペゼン一般人じゃん、才能なんて微塵もないと思って生きてきたし、適切なのはこれしかない、そんな直感だけで生きてるから進路とかそういう自らに確実性のあると言われるモデルコースをなぞるとかそういうのが至極苦手、運命を享受せよが私の座右の銘で、逆転の発想ね、何でもかんでも何をしても私の道になるからわざわざ道を生み出すのが違和感。目の前にあるじゃん。進路を決めて弓なりに這うそれすらも運命。受かるか落ちるかも運命でしかなくて勉強すれば確率が上がるってだけで百パーセント受かるわけじゃない、ミスiDみたいね(笑)そりゃあ努力の実力も手助けにはなるけど本質的な決定にはならないわけで、それは誰が決めてるの?っていうなら私達は見えない未来を切り開くんじゃなくて無い未来に迷い込むしかない。勿論受験はまぐれじゃ殆ど受からないけどね!し、そのまぐれに引っかかることが出来るほど私ツイてる方とも思えないから努力もする、その上で、私は学びたい要素がある大学しか受けないし、それで落ちたらおめーの運命だよ、なんでやりたくもない滑り止め大学に暇潰しで行かなきゃいけないの、って思っちゃう。あたかも自分の実力さえあれば受験に落ちることがないなんて誰が唱えたよ?だから進路決めるのとか苦手すぎる。なにをやろうとなににぶち当たろうと運命でそれにいかに抗戦できるかの武器が勉強で必殺技なんかじゃない。って思うのですね。それでもされどの受験をクリアできる運命があるとすればかっけーから勉強はするぜ、その上才能も備えたらかっこいーっしょ!まあ受験終わってないから豪語してられるんですけどね、アハハ、あと幸い、私はやりたいことが多いから自ずといろんなレベルででも受ける学校作れたのもあるんですけど、アハハ


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逃げちゃダメ、でも戦うにはライフが足んないもん、凌ぐしかないじゃん、チャージ残高6円、エメマンは回復チケット、何を摂取してもどうせ太るなら美味しいものを食べましょう




私は大人の男の人が怖い。
人並みに性犯罪にあったことがある。50代くらいの男に襲われかけた事。30代くらいの男に無理矢理されたこと。電車の中での痴漢。鞄に精液をかけられる。盗撮。
そもそも、その犯罪が「人並みに」と言われていることがおかしいのだと、最近気づいた。Twitterの#Metooというタグ付けで、女性蔑視がおかしいんだなあとぼんやりと気づいた。でも。
私の周りの女の子達も、だいたい皆性犯罪の被害にあっている。大小は問わずとも。裏垢で「さっきおっさんにケツ揉まれたwwwwwwwwクッソ」のテンションで。
だから私も、生きてくる上で過去の経歴とかトラウマとか、そういうものを豪語していなかった。「だってそんな被害受けてる子私以外にもゴロゴロいるじゃん」そう思ってた。でも本当は違うらしい。犯罪です、なのだそうだ、罪を侵すこと、法律を破る事なのか、相手が嫌だと思うことそれが全て罪になるのか、良心とか、道徳とか、授業をちゃんと聞いててもわからない。だってひとそれぞれてでしょう?毎日のように満員電車に乗って、時折嫌な事がある。首筋に息をかけられたり、ふとももをなでられる。でも三駅耐えたらいい話で、それが嫌なら自転車通勤でもすればいい話、そうだね、短いスカートを好んで身につけるのは私たちだもの。男を惹きつける私たちが悪いのね、だって闘いになったら私達は男に必ず負けてしまう、物理的にも、生殖的にも。自衛隊員になれるような運動力もない、なんなら僕は50m13秒だ、そこを克服して男に勝るほどの筋力に身体能力をつけてまで男と戦う、それはちょっとめんどくさいよね…。だったらいいよ、めんどくさいし、ちょっとたえればいい、耐えればいい、そうやって街中のしつこいナンパ男を一日3人潜り抜けて、でも怖くて、トイレの隅っこでちょっとだけ泣く。どうせ女に生まれたから、だったら着飾りたいと始めた可愛いフリル付きモコモコセーターも、脚が長く見える短パンも、キラキラしたアイシャドウも、男の為にやってるんじゃないけど。でも、それがおとこを誘惑してるんだよ!と言われてしまったら、ちがうけど傍から見たらそうなのね、ごめんなさい、というしかない、でも私達は私達の好きな格好をしてる私でありたいから、じゃあ両立させるなら私たちが我慢しなきゃいけないのかな、だって大人の男の人と決闘できないし、てかもうめんどくさいもん!減るものじゃないし、そうやって生きてきている。本当は心がすり減ってても、気付かないふりして、キラキラストロベリーに甘酸っぱいラズベリーが乗ったパフェ食べたらなんとか回復する気がする、可愛いものに救われて、可愛いものってだってうちらより弱いものだから「可愛い」んだもん、かなわないものに抵抗するより、可愛いもので満たした方がなんか効率よくない?あと、うちらが全うしたいこともやってけるじゃん、多分。

朴ゆすらの場合は、好きな格好がギャルっぽいのも幸いしていたのもあるけど。女の子を全うしていたい、けど、男の人にスキを与えたくない、から化粧をケバくする。男が萎えそうなデコデコのネイルをする。大衆の男が風俗行った方が早いな、と思うような安い格好をする。チャラくて、ギャルくて、手触りの悪そうな安いポリエステルの服。そうやって作り上げた「戦闘服」で街を闊歩する。大抵痴漢なんかには合わない。男の人はおとなしそうな服を着た女の方が襲おうと、思いやすいから、なんで?だってそういう女の方が、「犯罪」をした時にビビって騒がないじゃんwww。本当に女を対象とした時の男の人の笑い声が嫌い。下劣で、自分が女共をハッ倒せると分かっているからこその、勝ち確の嗤い方。嫌い。違う、怖いの、「私達はこの男達に抵抗しても負けてしまう」と本能的に分かる。嫌でもなんでも男と女は別の生き物だから、男は科学技術を使えば論理的には孕むことも孕ませることもできるのに、女は孕まされることしか出来ない。分かっていた。そんなの。物心ついた時に、知らない大人の男の人に「パンツ可愛いね」と見られた時から、気づいてしまった、お父さんに怒られて蹴られた時も、大人の男の先生からセクハラを受けた時にも、頭を過ぎる、「私達は男にはかなわない」事が、だから知恵を働かせるしかない。どうやったら対処できる。どうやれば無難に処理できる?どうやれば被害を生まずしてあわよくばことを生まずに終えられる?そうなったときに選択は二つで、女という性を隠しきるか、女を全うして逃げるか。私達JKだよ?まだ恋だってしたい、彼氏だって欲しい、好きな服着て好きに生きたいじゃん!私たちに残されている選択はひとつしかなくて、だから逃げて逃げて逃げている。馬鹿みたい。本当は倒したいのに、限界なんてぶち壊したいのに、こんなにも怖いものが世界の半分を占めていて、トラウマみたいなオブラートが溶けないのも私が悪いの?早く死にたいけど中途半端に壊れて人生が全う出来なくなるのは避けたいのよね、だから無茶はしないんだろうね、
アハハ、恋人にもわかられたことのないわたしを一回のセックスでバレてるんだもん、ウケる。性癖なんてそんなもんじゃない?性癖こじらせて生きたモン勝ちでしょ。でも、でも。全うに生きたくて全力で必死に生きるのがモットーなのに、それを遂げた先は結局逃走だったなんて。やっぱりこの体で男と真っ当に闘い合える気はしないし、もう私の身長は伸びない。持病で息が続かない。限界が、見える。ここが限界だった。無理だなんて言いたくないけど。大人の男なんて全員滅べばいい。世界が女と少年で満たされればいいのに。私は恋愛脳だけど同級生かそれ以下か、少年のような風貌の人しか好きになれないんだよね。だから彼氏できないんじゃん?そんなどうしようもないことを考えて、餃子をつまんでいる。美味しい。



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自棄糞


人生なんて他人にとっては所詮喜劇なのだ、喜劇の果ては滅びが待つ。永遠に伝承される物語があればよかったのにね、妖精に尻尾が生えないから無理なんじゃない?テキトー。さて果てその喜劇をどう演出するかが人生の楽しみかたのひとつだったりして、どう踊り抜くかが大切だったりする。秘すれば花、知らぬが仏、なんて言うけれど。だったらプラチナになればいいじゃない?
私はミスiDのビデオの中でも、最終面接でも、最後の登壇でも自分の人生を語るマネはしなかった。それは審査員長が大人の男だからか?とか、信頼してないからか?とか、そういうことかもしれないけど多分そういうことじゃない。ただの「私の人生が誰かの喜劇と被っていたらつまらないだろうなあ、しかも多分、私の人生被ってる気がする。あー、だめだな」だった。××××しても、××××させらた過去があっても、×××に、入り浸ってたとしても、結局もう一人、被ってしまえばそれまで。
わたしがミスiD個人賞にとどまった理由を分析した時に、Rioちゃんがいた。ギャル。私は茶髪ギャルでRioちゃんは金髪ギャルだけど、でも私からしてもRioちゃんは圧倒的ギャルガンジーだし、「あー、かなわないなあ」と思えるくらい素敵な人で私の憧れになった人だった。だからいいんだけどさ。(本当に可愛いのでぜひTwitterで検索かけて欲しい、びっくりするくらいスタイルも良くてストイックでおまけに顔もとびきりキュートで性格もいい、あと多分私と好きな男の子の趣味が被ってる、うん、サイコー。)
そうやって「もしも」人生までも被るのが怖かったのだ、所詮私は人なので、人が出来そうな所謂「ヤバい」ことはだいたいくぐり抜けてきて、それを全うした自分には自信があるけれどそれ自体に遭った私には関心が持てない。だってそんなことやったひと多分世界に何百人くらいいるし、実際私よりもエグい目に遭った友人も何人かいる。私に「ヤバい事」「異端」という目を向けていたのは結局私の周りだけのことで、それが果たしてミスiDの中で通用するのかと言われたら微妙だった。戦慄かなのちゃんのように少年院にもいっていない、某ちゃんのように特殊な負い立ちで差別を受けて育ったわけでもない。人前で脱ぐ度胸もない。「インパクト」だけならそっちが勝つし、私の見た目私の経歴私の生き方を分析した時に、私はリスクを負ってまで私の人生をこの人達に話さなくていいな、と思ってしまったんだと思う。多分あなた達は永遠に私の喜劇をしれないし私も今は話す気がないけど、まだ未完成の私が持ち出すにはバランスのとれた喜劇じゃない。未完成の私が出した喜劇を、一瞬のエンターテインメントで終わらせて欲しくない。だから、私はプランニングした。焼そば。ビデオテストではカップ焼きそばを、最終面接では袋焼きそばを、ミスiDフェスでは、何で作ったかは秘密の焼きそばを、人生に見立てて、一環した。どうも審査員のひとには伝わらなかったみたいだから、そこは私の、プランニングミス?それとも『私の勝ち』?「必要のない焼きそば」とまで言われ、「あなたはあなたのままでいい」そうだね、私は私を隠しきった、それは私を開放してあなた達が私にグランプリをとらせるかと考えた時に、否だ、と思ったから。いや、ただの私のプライドが、そんな晒しを拒否したからかも。私はファイナリスト期間中あまり積極的に自分の柄を出し切れなかったという思い残しがあった。別にその間は馬鹿みたいに友達とはしゃいで、早朝に花火したり海にダイブして制服びしょびしょにしたり、松屋タイムアタックしてゲロってたり文化祭準備に追われて放課後に友達のいる軽音部にお邪魔して弾き語りに心を馳せたりしてホントーーに真っ当にリアルに生きて馬鹿ばっかして「青春だなあ」なんてぼんやり思い巡らせてそれもそれで楽しかったし。うん。でもミスiDとしての目線では努力が足りていないなという認識はあったので、(しかもあんなに最終面接のベクトルが高いなんて思ってなかったし、そういうのはもっと早くから知りたかった、タイムトリップしてえ〜!)全体を見たら「私がグランプリ取れるわけ?」と怖気付いたのか、はたまた頭が冴えていたのか、六月の私は分かっていたのでしょうね、もうあの時点で最後までやきそばガールを演じると、それでも見透かすことの出来る人間がいたら、その人にだけ分かってもらえればいい、友達でも恋人でもない、将来的の仕事相手、もしくは他人。期待することは相手にとってははた迷惑なことで、重々承知だったから、それでも応えてくれれば嬉しいしそれで切られたらそういうものだったのだろうと、受け入れようと、まあ結果的に大山卓也さんに個人賞を頂いて、エヘへ♡ってなってるわけなんだけどね!
私の人生なかなか破天荒に生きてきたつもりだ、でもその破天荒は果てしなく自由じゃなくて、例えるなら金魚鉢の中で暴れるカナリア。いまだって母親にブログみつかって書いてはいけないワードを絞られて書きたくてもあなた達に伝えたくても伝えられないことが沢山ある。過去の記事に黒塗が入ってるのもそのせい。羽も折れてない小鳥は囲われていることにも気付かずに前に進んでいると勘違いしながらずっとガラスに頭を擦り付けて進んでる気になって、そんなチープでドープな破天荒。誰もができて、誰もはしないこと。それを打ち明ける場がいつかは欲しいと、思う。君は死んでしまったし、世の中への期待も失望も口にすれば全て勝ち負けで判断されてしまうのが常なんだから、いっそ宇宙飛行士にでもなってみようか?(笑)全人類生きていく上で今のところは重力という枷に縛られ続けなきゃいけないし羽も生えないしサイコキネシスも使えない、発想の転換、塞がった壁ならがらんどうの天井を、届かないなら軋むフローリングをくり抜いて反対側の世界に出てみればいい、ブラジルとかね(笑)(ブラジルちゃんこと新倉のあちゃんは全く関係ありません)水平線に沿って歩かなくても、地平線で躍れれば一周まわってマトモになる?普通なんてなくて、普通の高校生が人参が嫌いかピーマンが嫌いかなんてしらないし、普通って何かなんてわからない、テメーの普通はテメーの理想だろ、だから私は私の普通を貫いて、それが異端だろうと気違いだろうと効率が悪かろうと、私らしく生きていけたらな、と思うよ。それで迎えた最期がバットエンドだとしても、誰かの喜劇になるのなら、死んだ後の世界なんてどーだってよくない?(笑)あーあ、生きるのって超絶面倒臭いよね面倒だから生きてるって思えるんだけどさ 即物的な快楽なんて生きてないよ でも神様じゃなしなれないから生きてるんだもんね 媚びないで生きていければいいか




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