盛夏、子どもたちは夏休みですね。朝、6時30分からのラジオ体操は、夏の風物詩とも言えるかもしれません。私が子供の頃、夏休みに母の実家に行ってたときも、その地の小学校でラジオ体操したことが記憶にあります。
ただ、最近はその人の集まりに伴う音や声が騒音だとのクレームがあるとのこと、子供達のラジオ体操は7月だけ、とかいうところも多いようです。先日、テレビでやってたんですが、ある住宅地でそこは集まるのは大人(中高年)がほとんどながら、やはりうるさいので何とかしてほしいという住民と、ラジオ体操すら出来ないのでは地域のコミュニティ機能が保てないという主催者の、ちょっとした対立があるとのこと。私としては、やはり現代は夜中働いて午前中は寝る、なんて人もいるだろうし、何だか世知辛いけどラジオ体操なんて、やりたきゃ家の中で各個人がやればいいもの、コミュニティづくりもラジオ体操が必要不可欠なものではないし、集まりたい人たちだけ昼ごはんでもご一緒すればいいのではないでしょうかと、思いました。
しかしながら、現代の日本人が良いものとして残したいとか、無くなるのが寂しいなんていうもの、いわば昭和礼讃的なものは、振り返れば戦後の日本にいっときあったに過ぎず、今後形が変わったり無くなることも不思議ではないかなと思います。江戸時代はラジオすらなかったですし、江戸にあったけど現代の東京では無くなった良きもの、ゴマンとあるでしょうね。
私たちは、自分の人生や世代の経験を中心に物事を考え過ぎなのかもしれないと、このラジオ体操の件で改めて感じました。そう、昔は良かった、最近の若者は、というアレです。今とこれからの世の形は、そこで生きる人たちが作るもの、それが私たちの過去の経験に照らしてどうあろうと、過去にこだわり続けるのが必ずしも良いことではないだろうなと。
なので、異なる世代の人たちが、お互いの世代について興味を持ち、ああそれは面白いね、イイね、不便だったんだね、便利になったね、なんて言い合ってお酒飲んだりするのが、真のコミュニティ&コミュニケーションというものではないでしょうか
ちなみに私の、明後日からの今年の夏休みは、都会より少し時間の流れが遅いような地方や田舎で過ごす予定(例年通り実家に帰省)、お盆は何はなくとも両親や家族と顔を合わせること、こればかりは無くならない方が良い、無くなると寂しいと一方では思います。