山梨のキャンプ場で7歳の女児が行方不明になり、2年以上経った今になってようやく骨が見つかり、DNA鑑定した結果女児の骨とみられる、でも母親は100%その鑑定結果が正しいとは限らない、私はまだ娘が帰ってくることを信じています…とのことです。気持ちはわかりますが、もう諦めてアナタの人生をしっかりと生きていくべきではないかな、報道によると女児には姉もいるらしいですし、夫だっているんでしょうから、人生諦めも肝心ですよと思うのは私だけではないでしょう。こう言ってはなんですが、そんな山深いキャンプ場に7歳児は連れていかないこと、それが人間がこの件から得るべき教訓ですよね。7歳児なんて近所の公園で親が遊んでくれるだけでめちゃくちゃ楽しいくらいの年頃ではないかなと思うんですが。そもそもキャンプっていうものは戦争中の兵士の野営を仮想体験する遊びと言えるものでしょうから…。
一縷(いちる)の望みを捨てずに頑張る、諦めないという態度を日本人は取りがちだなあと思うんです。10000回ダメでも10001回目は上手くいくかも…なんて歌詞のヒット曲がありましたが、今でも北朝鮮に拉致された人を返すよう交渉をしてほしいと政府に要請する、3月11日には東日本大震災の行方不明者を捜索する、というニュースは見ますし、知床遊覧船の不明者もまだ捜索すると言いますが、私は諦めが悪いと思います。もういなくなった人が帰ってくる可能性は無いんですから、時すでに遅しとして、私たちが力を注ぐべきはそこではなく同じようなことを起こさないにはどうしたらいいかを考えることでしょう。
北朝鮮という国がある以上、外交により日本に害が及ばないようにしなくてはならない、すなわちそれは政治家の仕事、私たちはそれをこなせる政治家を選ぶのが仕事、東北の太平洋側には大津波が時々やってくることが歴史を見ても明らか、ならば原子力発電所などの施設をそこには作らないこと、その沿岸部に住むのをなるべく避けるか住むなら避難場所を確保しておくことが肝心、知床で遊覧船が事故を起こしたのならあの地での遊覧船は規制を厳しくすること、すなわちそれは国交省など行政の仕事、そして私たちは観光する場所が安全かどうかの判断を人任せにしないこと…だと私は思います。
起きてしまった悲劇を嘆くのは当然ですが、私たちは考える葦たる人間、いつまでも好転することがないことにこだわってはいけません。また一縷の望みを捨てないという態度は裏返せば一抹の不安を拭えないという態度にも通じると思います。たとえばそう、私たち日本人がいつまでもマスクを外せないのはそれもあるでしょう。1%の望みとか不安とか、そこにこだわるのが私はどうも嫌なんですよね。そんなこと言ってたら何も出来ませんよ、というのがよくある昨今の日本です。諦めたり見切りをつけるという能力や決断力を失ったとき、国家や組織、人間は迷走してしまうのかもしれません…では誰かを失った人の悲しみはただ諦めるしかないのか、そこで人々に救いをもたらすのは宗教の仕事だと思いますが、私たち日本人にとって宗教が頼るべき存在とは言い難いように思いますね。