先日のお彼岸、私は広島市の実家に帰り、亡き姉(亡くなったのは25年以上前のことです)の墓参りをしました。広島市の北部に墓地があり、いつもレンタカーで行くんですが、正月は雪が深いと思われたので行かなかったんですよね。墓参後、レンタカーで向かったのは瀬戸内海に浮かぶ島々、小さな島が橋で結ばれておりドライブには適した風景が続く良い所でして、この季節は山の中腹から道路の側までレモン、はっさく、甘夏などなどいろんな柑橘類が実をつけており、またあちこちにそれらの有人無人の販売所があり、それもまた見ているだけで何か楽しいもの、海も間近にあり本当に運転していて気持ちが良かったです。もう少し暖かくなったら釣りに来たいと思います。皆様広島にいらしたら瀬戸内海の島巡りを是非。
私は3年前まで東京都文京区に住んでいましたが、いわゆる東京は関東平野の真ん中にあり、山並みのある風景というものがありません。果てしなく続く建物、摩天楼の隙間を吹き抜ける風が都会人の心を冷やしています…。なので、公園や街路樹は整備されていて、そこの樹木草花の変化で自然を感じることはできますが、所詮は人造の自然、人々の心を癒すには力不足でしょう。そういえば私が大阪で働いていた頃、東京本社の人を奈良県に連れて仕事に行ったことがありましたが、やはり山並みを久しぶりに見たなぁいいなぁとしみじみしていました。また奈良は格別に形の良い山並みですしね。
さて、山が身近にある環境の広島市で育った私が山並みを見ていると時々目にしてふける感慨は、山に沿って張られた送電線のダイナミックな光景です。発電所から人間の住む町々へ電気を配するためには必要な設備ですが、山を見慣れた私は、送電線の方がなんとなく感心してしまいます。よくも人間はこんな大層なものを日本中に張り巡らしたなぁ、瀬戸内の島なんかの山は難しかっただろうなぁ、と思います。今と違って当時はパソコンやスマホがありませんしね。近代産業の礎を築いた先輩達には感謝しなくてはいけません。先人達が幾多の困難を乗り越え、危険を顧(かえ)りみず山に送電線を張ったのは、どんな僻地にも電気という便利さを広め、ひいては平和な世の中にするためだったからです。今のウクライナのみならず世界にはいまだ時代錯誤な戦争地帯がありますが、それは先人達の作り上げたさまざまなものを一瞬にして破壊してしまうという意味であまりにも愚かしく嘆かわしい、やめるべき行為ですよね。水や土地を巡っての縄張り争いをしていた昔々の古代人じゃないんですから…。送電線を見るにつけ、人間は賢いのか馬鹿なのか、考えてしまったお彼岸でした。