2022年になりました。高校生のとき2年2組の出席番号22だったことを思い出します。私が通っていたのは広島市内の高校で、この年末年始も広島市の実家で過ごしました。両親とも80歳近くでそれなりに耄碌(もうろく、平たく言えばボケてきました)し、昔の姿からすると寂しくもあり、でも私は人間の自然な状態をそこに感じます。歳を取れば衰えるのは当たり前、下の世代の人間は彼ら老人をそういうものだと諦め、受け入れるのが当然、私は両親をどれだけ受け入れられるのでしょうか…不安もありますけどね。とくにボケ度合いが強めな父に対する母の感情的な面も心配ですが、ボケていることによる事故も心配ですよね。無理して転んだり火元をウッカリして消し忘れたり、そんな事故が無いことを願いますが、マンションという形態の住居ゆえ、人様に迷惑かけてはいけないので願ってばかりもいられません。こうして考えてみると人間はやはりあまり長生きしてもその「生の全う」という意味では完全なる人間とは言えない、そんな観点からすると、普通の人間として選挙の1票も運転免許も持ち続けている老人が多い今の日本、いろんなところが歪(ゆが)み、歪(ひず)んでくるのは当然の理(ことわり)ということになりましょう。
私の実家は広島市西区井口という町で、広島市中心部への通勤に便利なところで、ここ10年くらいでマンションが増えました。それに伴い大きなショッピングモール(以下SM)もできましたが、まあ目眩(めま)いがするくらい広く大きく、いろんな店舗があります。少し離れた廿日市(はつかいち)という町にも大きなSMがあるのですが、目眩いがするくらいそっくりです。こんなSMが日本中にいくつあるのか、そして私たち現代人は同じような買い物を日本中でしているんだろうなあと考えるとそれまた目眩いがしますね。
さて、そんなSMにレンタカーで(←重いものやかさばるものを特に買う)母を連れて行った際、ある鞄店で財布が売り出し中で、母はMAX50%引きというポップに目が行き、私同様に離れて暮らす弟に財布を買ってやると言います。たしかに弟はファスナーが壊れた財布を使っていますが、独身とはいえもはや45歳にもなるオッさんに財布を買ってやる、幾つになっても息子は息子というものなんでしょうかね。そしてたまたまいま弟が使っている財布に似たものがあり、それを手にレジに行った母、買いはしたものの不満気です。なんでも30%しか安くならなかったとか、そりゃあMAX50%とうたっていても全部が半額じゃないでしょ、と私たち現役世代は理解しますが、今の80歳くらいの日本の老人は素直でものをあまり疑いませんから、そしてMAXなんて意味を理解はしませんよね。
いま、日本で中心となって物事を決めているのは私と同世代の50歳くらいの人たちだと思われます。日常的な買い物はなんだかそういえば老人ほど引っかかりそうな騙し、見せかけ、なーんだガッカリ…に溢れています。例えば、ケーキをイチゴ柄のビニルシートで巻いたり(←母は実際騙された)とか、今日はポイントが10倍ただし1万円以上の買い物でとか、最初の一か月無料ただし翌月から毎月5000円を1年間とか…私の老いた両親は普段どのくらい世の中にガッカリさせられているのだろう、そう考えると寂しく切なく、先は長くないのだからもっとわかりやすく優しく喜ばせてあげてよね、いま決定権のある私と同世代の人たちにそんなお願いをしたいと思いながら、巨大なSMに佇(ただず)む私でした。