年末の日本、直木賞と芥川賞の候補作品が発表され、テレビでは漫才の賞レース番組のM-1グランプリがありました。今回直木賞にアイドル歌手・加藤シゲアキの作品がノミネートされましたが、M-1と直木賞芥川賞のその注目度の差が、現代日本らしいところです。直木賞に興味がある大学生がいまどれくらいいるんでしょうか?最高学府、大学に所属するキミたちがインテリぶらないでどうするんだ!なんて私は危惧を覚えます。直木賞が大衆文学賞(すでに本として売られている作品)で芥川賞が純文学新人賞(文学雑誌に掲載された新人の作品)だということすら知られていないことでしょう。…いま日本では笑いを取れる人間が最も優秀という風潮があります。菅首相ですらそれに捉われガースーですと言ってみたり、医師会の会長ですらクリスマスはサイレントナイトでお過ごしくださいと言ってみたり(山下達郎の曲です)、なんせ人前で話す際はウケないとダメだという観念が世に蔓延しています。漫才が面白いからといって、素人が真似したりする必要はありませんよね。一方で私はむしろ今の漫才には政治的社会的要素が無さすぎだとも思います。
直木賞にアイドル歌手作家をノミネートすることも、ウケ狙いに近いものがあると思います。私も加藤シゲアキの作品を読んでいないのでそれについての批判は控えますが、ただ私は小説や漫才は本来競うものではないと思うんです(緊張してる芸人は笑えないですよね)。小説も漫才もどちらも高い技術が必要ですが、それの受け取り手である私たち素人の感じ方は点数化されたり順位付けがされたりするものではないでしょう。なので、直木賞芥川賞の受賞作家やM-1の優勝コンビは林真理子や松本人志ら審査員たちの感覚や好みに一番合致しただけで、人によっては異議を唱えたくなることは大いにありうる、そして自分の感覚や好みが審査員たちとどのくらい合っているか、あるいはズレているか、そこを楽しむのが大人ってもんだぜ、と私は思いますが、あなたはいかがでしょうか。ただ、直木賞芥川賞のノミネート作品を毎回全て読む人はいまの日本にほとんどいない、このことが出版業界の衰退を端的に表しています(もちろん私も読んだことありませんよ)。
さて今回、受動的か能動的かというタイトルをつけましたが、小説においては読者が必要で、漫才においては視聴者・観客が必要です。小説は本をめくったりときに読めない漢字を調べたり能動的に読まないといけませんが、漫才はソファーにもたれビールでも飲みながら受動的に聞き流したりできます。いま、日本人に小説と漫才どっちが好きかと問いかけたら、漫才と答える人が多数のような(私も漫才かな)、つまり私たち現代日本人は受動的(つまりラク)な行動を好む、すなわちコロナ感染対策についても首長とか政治家とかのトップに立つ人に何か言われないとわからない、決められない、むしろ決めてほしいという受動的な人が多数なのかもしれない、そう考えると菅首相のガースーです発言もお笑い要素がないと話を聞いてくれない国民に「寄り添って」のものとすれば、同情の余地及び一理あるのかなと思いました。…来年は楽しく笑える世の中になると良いですが、それでは良い年をお迎えください。