朝起きて歯磨きして、次に私は新聞を郵便受けに取りに行きます。9階に住む私ですが、階段で降ります。階段を降りるごとに寝ぼけた体がシャンとする感覚がして良いです。マンションにオートロックがある世の中になったことで私のような上階住まいの人は新聞を受け取るのがやや面倒になりましたが、配達の人は一ヶ所で郵便受けに突っ込むだけ、楽になりましたね。と思ったら新聞を読まない人が多い世の中になってしまい、配達員一人あたりが配るエリアは広くなり、そんなに楽にはなってないかもしれません。世の中は甘くありませんね。
新聞の支払いは毎月口座落としで、領収証は別途配達されますが、その際に新聞を入れて処分する用の袋とあと景品的にビニール袋(生ゴミ入れたりするのに重宝しています)、そして薄い冊子の情報誌が同封されてきます。この情報誌の中身は半分くらい広告で大したものではないのですが、記事の一つに難関中学の入試で実際に出題された問題が掲載され、某学習塾がその問題の意図やツボのようなところを解説するというものがあります。…このことについて書きたいがために新聞の話から始めました。
で、今回の中学入試問題については諺(ことわざ)の話だったんですが、塾からのアドバイスとしては、社会を生きていくには諺の意味を知るのが大切なのではなく、諺を適切に使えるようになることだとのことです。猿も木から落ちる、河童の川流れ、弘法にも筆の誤り、という意味するところは同じ三つの諺がありますよね。そしてたとえばあなたが小学生だったとします。ある日、先生が板書の際に漢字を誤って書いたとします。さて、小学生のあなたが先生に対してここで使うべき諺は何でしょうか?と塾は問いかけます。
…正解分かりましたか?それは弘法にも〜です。小学生のあなたが目上の先生に対して猿や河童にたとえるのは失礼だからだそうです。なるほどね、まあ一理あると私も思いました。その塾いわく、これこそが教養というもので、単なる暗記のような学習方法ではダメなんですよと、先生に対して猿とか河童とか言う子供は、弘法と言える子供よりダメです、勉強の仕方が間違ってますね、ということです。そう、うちの塾に子供を通わせたら完璧な人間に育つんですよ、とまでは言ってないかもしれませんが、つまりはこれはその学習塾の宣伝、広告です。
私は、子供が先生に猿や河童の諺を使ったとして、それが間違いでもそこから先生と子供がどういうやりとりをするかが教育だと思うんです。先生の頭が禿げていて子供と普段から良い関係を作れていたら、河童で良いですよね。そこで禿げ先生が子供たちに、世間常識的には弘法の方が望ましいんだよ、ということを教えれば良いのであって、子供は大人の顔色や常識をうかがいながら生きなくていいと私は思います(子供に河童と呼ばれて怒る大人は先生にはならない方が良い)。おそらく難関中学に進学する子供はその後東京大学に入ったり、官僚や政治家になったりもするでしょう。彼らのような目上の人に使う諺は弘法、という理屈を理解する賢い子供にこそ教育するべきは、そこで猿や河童を選ぶちょっとお馬鹿な子供を見下したり軽んじたりしてはいけないということですよね。案外その教育がこの日本では出来ていないのかもしれないなと、賢いはずの政治家や官僚の方々が国民を前にして迷走している様を新聞で読むにつけ、思います。