私は今年48歳になります。振り返れば生まれてから同じ家に10年続けて住んだことがありません。親の仕事の都合やマンションの購入、私自身の大学進学や転職や転勤、気分、独立後の会社移転によるのですが、住んだ町は広島市安芸町(現東区)に生まれ→西区→京都市右京区→下京区→東京都北区→文京区→いま北九州市小倉北区です。日本の異なる4つの生活文化に触れられたのは良い経験でした。出身は広島ということになりますが、もう方言は口から出ませんし、広島のことにもそんなに詳しくありません…京都や東京案内はそこそこできますよ。北九州のことは日々インプット中です。なかなか色々な味のある町だなと感じています。引越すのは面倒なことも多いですししんどいですが、大袈裟に言えば私の人生の財産は日本の各地に住んだことです。今後北九州に住み続けて人生を終えようとは思いませんが、かといって出身の広島に帰りたいとも思いません。まあ、なるようになるんでしょう。
さて、雨が降り続いた今年の梅雨、コロナの感染者がまた増えていたり、Gotoキャンペーンだとかで報道の量は被害の割に少な目ですが、気になった話としては熊本の人吉あたりでの水害について、かつてのダムを建設する計画を白紙にしたことが原因の一つだとする話、私はそれはあまりにも問題の矮小化、また人間中心で物事を考え過ぎだと思うんです。確かに、人間の力で自然を改変すれば自然災害は防げることもあるでしょう。ですが、もう地球は人間だけのものという発想はやめようというのが、私たち現代人の考え方ではなかったでしょうか。そろそろ人間は我慢をしないといけない、我慢をしてしかるべき時代に差し掛かっていると考えるのは私だけではないはずです。
人間が作るものは必ず劣化します。そして自然は必ず変化します。川であれば水の流れに伴って岸を削り土砂は堆積していきます。雨の降り方が昔と違うなんて言われますが、私はそれもあるかもしれないけれど、人間の作った家屋や堤防、橋などが年数を経てもろくなっているのではないか、川の深さや流れも年数を経て変化してきているのではないかと考えます。川にダムを造り川岸をコンクリートで護岸すれば永久にコントロールできると思うなら、人間としてちょっと考えが浅く傲慢ではないでしょうか。
そして自然を人間の力で改変すれば、必ず生物が犠牲になります。その犠牲になる生物が人間にとって有益かどうかにかかわらず、私はもう人間のために生物の生息環境を脅かすのはやめてよい時代が来ている、人間は最後には引越という手段により自らの生命を守れるんですし、数多くの生物が犠牲になるであろうダム建設を推進する世の中になってはいけないと考えます。災害に遭っても生まれ故郷を離れたくないという人もいるでしょうけど、人間ほど環境変化に耐えうる生物はいませんし、引越して日常の風景が変わるのも悪くないですよと、これまで9回引越している私は思います。行政はダム建設やGoto…にお金をかけるよりも災害想定地域に土地や家屋を持つ人々の引越費用を補助してはどうでしょうかね。