私が釣りを好きな理由を文章にしてみます。海で魚のいそうなところにエサを落とすと、ググっと竿が引かれ、おっと思いリールを巻くと魚が釣れます。釣れた魚にもよりますが、そこそこのサイズの場合、刺身にできそうなので、すぐに締めます。魚のエラを指で切ると血が流れ出ます。こうしておくと身に血が回らず綺麗で美味しくなります。そして家に帰って魚をさばくと、たまにお腹の中に卵を持っていたりしてちょっと悪かったなと思ったりします。刺身は私の感覚では釣った日より翌日以降の方が美味しいと思います。ちなみに寿司って本来は獲れたての魚を使うのではなく、美味しくなる熟成のタイミングを板前さんが見極めて握るからこそ美味しいものとされるようですよ。…自分で釣った魚はどうしたって美味しいです。釣ったという達成感が自分に美味しいはずだという暗示をかけるんだと思います。私の釣りは美味しく食べて完結、食べないなら釣りません。釣りに行けば必ず釣れるというものではないというギャンブル性があるところもまた良いんです。
以上が釣りを好きな理由です。そこは実感に溢れています。気候を感じ、魚の生命を感じ、調理し食べることでくっきりした味を感じ、私の精神的な満足を感じます。実感があるものは飽きませんし、やめられません。この実感というものは人間の行動の原動力ですよね。私は実感を大事にしたいと思いますし、実感のないこと(仕事も然り)をするのは辛いと思います。
…コロナウイルスへの感染防止のためになるべく活動や外出を控えるように言われていますが、私たちが家に閉じこもりはしない、むしろ最近は普通に外出するのは、やはり感染するという実感に乏しいからです。もちろん、家族の誰かや自分が感染して危機を実感した人は医療従事者へ心から感謝し、政治家の言うことを真剣に聞いているでしょうし、またコロナウイルスの感染者を実際に治療した医師であればこのウイルスは未知のもの、医療に精通した自分が理解できない、薬はないし治療できないという実感を持っているので当然、国民に自粛を呼びかけるのでしょう。でも今も入院中の患者数や致死率は結局どのくらいですっけ?健康な社会人や若い人が何人コロナで亡くなりました?と私は常に思います。現実的には商売上がったりで生活不安を実感する国民を増やしています。結局コロナに「感染して」大変だという話はテレビやネットの中ばかり、日本にいる私はそう感じます。
テレビやネットの情報を鵜呑みにする人や流行に敏感な人などは素直に自粛したりオンライン飲み会もイイネ!とか言ったりするでしょうが、私は納得がいかない、雰囲気より実感を大事にして生きてみませんかと思いながらも、外出時は一応マスクをし続けている自分が歯がゆいところです。万が一の感染ならぬ十万が一の感染も許されないなら(10万人あたりに0.5人感染者がいるかどうかと…)、私たちは本当に何もできないはずですが、この一見普通な世の中は一体なんでしょう。そして7月からは環境保護のためにとレジ袋の全面有料化が始まりますが、これまた雰囲気が幅を利かした現象です。レジ袋が地球環境にかけている負荷すら許さないなら、私たち人間は何もできませんよ。…いいよ別に、旅行や趣味、飲み会なら我慢できるし、レジ袋欲しいときは3円払うよ…そんな人が増え、日本や世界が変な雰囲気になっていくのが私は辛いです。