ケース1
私の実家のある広島市は広島県の西寄りにある町です。山口県の東端の岩国市から通勤してくる人も少なくなく、私たち家族も山口県に遊びに行くことはよくあります。実家からは広島空港より岩国空港が近かったりします。
ケース2
妻(社長)の実家は福岡県大川市、筑後川近くにあり、川の対岸は佐賀県です。佐賀のテレビも見られたり、私たち夫婦が東京にいた頃は帰省の際佐賀空港を使ってました。実家にいる中学生の甥は佐賀県の野球チームに入っています。
ケース3
私たち夫婦が京都市に住んでいたとき、通勤先は大阪市でしたが、JRの新快速という滋賀県始発の電車に乗っていました。私は当時の仕事で奈良県と滋賀県を担当する営業員で、その両県にもよく行きました。
ケース4
私が某地図出版社の営業で書店まわりをしていたとき、兵庫県の西、岡山県が近い相生市にある書店の雑誌コーナーに、「岡山より1日早く雑誌が入荷します」との貼り紙がしてあるのが印象的でした。
ケース5
私が東京に初めて住んだのは東京都北区だったんですが、そこから北に向かうと大きな荒川がありました。川向こうは埼玉県川口市で、そこは東京より家賃や駐車場代が安いようで、東京のベッドタウンとしてマンションが沢山ありました。
ケース6
最後にいまの私たち夫婦が住んでいる北九州市小倉ですが、狭い関門海峡の向こうにある山口県下関市とは経済的文化的交流が多く、また私たちがよく買い物に行く旦過(たんが)市場には大分県産の水産物がよく売られています。このように北九州市は福岡県の南部や西部の町より山口や大分との人の行き来が多い町です。
…以上、6つのケースで何を私が言いたいかというと、いまの人間は都道府県や市町村の区分とは関係なく生活するということです。かつて人間の往来を阻んでいた山や川もトンネルを掘り橋を架け、そこに壁はないに等しいものです。私は現代社会において、第二次大戦の頃に定められた都道府県がいまだに行政の根拠となっていることがおかしいと常々思っています。それが顕著なのが、いまのコロナウイルスの感染拡大防止において、都道府県知事が指示を出したりしている状況です。現代人の生活行動に合わせて対策を取るならば、考えて動くべきは生活圏が重なる市町村長や職員の方々なのに彼らが国や都道府県からの指示待ちでは、そりゃあ混乱するばかりですよ。全国一斉休校の前に考えることがあったように思います。