お正月休み中のこと、妻(社長)の実家に帰省中に甥(中2)と釣りをしました。釣りと一口に言いますが、私が好きな釣りは「海もしくは河口(つまり海水魚を狙う)」で「エサ(ゴカイとかエビとか)」を使って「釣れた魚は持ち帰って食べる」釣りです。甥が好きなのは「川や池、用水路(つまり淡水魚を狙う)」で「ルアー(擬似餌)」を使って「釣れた魚はリリースする(逃がしてやる)」釣りです。私からすると釣ったのに食べないなんて何が楽しいんだか、という感じですがそのルアーでの釣りに全く興味がないでもなし、この機会を逃すのも勿体ないと、妻(社長)の実家近くの用水路に甥と行きました。
さて、甥やルアー釣り好きな人たちの狙う魚はブラックバス(以下バスと略)と言います。皆さんも聞いたことありますよね?…元々は日本にいなかった外来種で、この外来種という言葉を日本に定着させた張本人とも言うべき生物です。ただ、生物からしたら人間が決めた国境を基準に外来とか固有とか言ってんじゃねぇ、と言いたいでしょうけどね。例えばメダカだって東日本と西日本では厳密には違うようです。…バス釣りを日本に広めるべく、「誰か達」が日本の湖沼や河川にバスを放流したために、いま日本のあちこちの淡水にバスがいます。そうして日本にバス釣りという産業が広まると同時にバスは日本の淡水魚や水生生物を食い荒らす生態系破壊の悪の象徴として、日本人をバス擁護派と否定派に分断しました。私もバスが跋扈する湖沼や河川の環境は良くはないと思いますが、ではバスがいなければ日本の環境はバッチリグッドだったかというとそんなこともなかっただろうと思います。いまは無邪気にバスを釣りたいとしか思ってない甥が今後どう考えるのか、何を学ぶのか、そして彼らくらいの世代に上手く説明するのは難しそうに感じます。
なぜか、というとバスと日本人の関係があまりにも現代社会的だからです。本当は良くないんだけど人間が損しないからまあ、いいんじゃない?という…日本の湖沼や河川環境が悪くなったのはコンクリート護岸工事のし過ぎのせいなのは明らかなのに(もちろん水利は大事ですが)、とりあえずはバスの放流が生態系に悪かったことにしよう、でもバス釣り産業も儲かるし無いよりはあった方がいいよね、どうせ日本の淡水魚なんてあんまり食べるもんじゃないし、…そんなご都合主義が現代の日本です。
そんな風に世の中を形作っていくと、結局は人間すらも役に立つかとか生産性がとか言う人が現れてしまうものかも…などというのは論理の飛躍ですけどね。人為的に外国から持ち込まれた生物は外来種として駆除したり、あるいは飼育・移動させてはならないという法律がある日本ですが、一方で美味しくて価値がある日本産魚ならどんどん放流・養殖はする、もうなんだか訳が分からないねと思いながらルアーを投げ続けた私、何にも釣れなかったですが、これからも甥のバス釣りにはたまには付き合って、そしてバスが釣れたら私は食べてみようと思います。人間が生物とどう付き合えば正解なのかは私には分からないですが、私は釣るんなら食べる、食べないなら釣りません。