月別アーカイブ / 2020年09月

先日、文化庁より国語に関する世論調査というものが発表され、いまの日本人の国語の乱れに対する意識の変化が明らかになった、と私の購読する朝日新聞の記事にありました。ちょっと笑ってしまうのはその記事の文章がそもそも日本語として乱れている点です。国語の乱れ、という言葉を記事で使ってOKとした朝日新聞がおかしいと私は思いますが…。正しくは混乱とか乱用とかのはず、国語が乱れるという言葉を「れ」で止めるのは会話ならまだしも、新聞記事の文章としては変だと私は思います。ただ、疲れるという言葉を「疲れ」とするのは全く違和感なく、また「着衣の乱れ」なら自然な感じがする、日本語は難しくも面白いですね。「国語」と「乱れる」は本来つながらない言葉なのかもしれません。
…文化庁の世論調査の趣旨としては、現代日本人の日本語の使い方を是とするか非とするかの割合がどうかという話で、いまの日本人は国語が乱れていると感じる人が多数派ではないことが明らかになったそうです。理由としては言葉なんて時代によって変化するものだから、とのことですが、私が思うに言葉なんてかつての流行語で言い表わせば、TPOってもんですよ。TPO、いまの若い人は知らないし使わないでしょうけどタイム、プレイス、オケイジョン、訳せば時と場合をわきまえる…それに尽きると思うんです。国語の乱れ、という言葉は意味はわかるけどあくまでも俗用であり新聞という場で使う言葉ではないと私は思いますが、いかがでしょうかね。そういえば、ネット上の誰かのコメントで知ったのですが、「新しい」と「新た」って同じ意味で読み方が違いますよね。正しくは「あらた」なんですがいま「あらたしい」とは言いませんし、言葉が完全に変化した良い例です。
話が変わるようですが、釣りをしていると中学生や高校生の男子3、4人組で釣りをしているのをよく見かけます。彼らはたしかに釣りをしていますが、あの年代にとっては釣りが一番の目的ではなく、その3、4人で同じ時間を過ごすことが大事で、その場には仲間であるという雰囲気があり、例えばリーダー的なA君が釣りで出たゴミを海に向かって捨てたとしたら、B君もC君も真似して捨てます。そのゴミを捨てる行為は人間として間違っていますが、彼らにとってその場ではそうすることが仲間意識の確認という意味で正しい、実は言葉遣いや国語の運用というものもほぼこれと同じだと私は思います。海にゴミを捨ててはいけませんが、未熟な若者たちなら仕方ない場面もある、言葉遣いも、しかり。若者は未熟でも許される、すなわち成熟しているはずの大人は許されない、いい歳して流行語や俗語で話しがちな人はなんか軽いと思いませんか。
会社ではビジネス書から借りてきた横文字が飛び交う会議をこなしたり、同僚と流行りの言葉混じりで雑談したりしても、田舎の実家に帰って年老いた両親と話すときは、普通の日本語あるいは方言で会話する、その言葉の使い分けをしない、あるいはできない人は異常でしょうけど大体の人はそこまで変じゃありませんよね。普通の大人というものはTPOにより言葉を使い分けるもの、文化庁が調査をする際には、場面にそぐわない言葉遣いをする大人がいまの日本に増えたと感じますか、という項目を設けたらどうかなと思います。…ちなみに言葉は「遣う」と「使う」のどっちなのか、私自身迷いながら今回文章を書きました。難しいですね。

北九州市は朝晩すでに秋の気配、最高気温が30度を超えなくなってきました。熱中症が心配だと騒いだこの夏、過ぎてみればそこまででもなかったような気もします。…私の住んでいる賃貸マンションは片側2車線の広くて交通量もそこそこある通りに面していて、その道路を挟んで右斜め向かいにいまマンションを建設中です。年明けには完成予定で、15階ほぼ形はできたところでこれから外壁や内装を完成させていく段階です。我が家からの景色は少し悪くなってしまいました。そのマンション建設現場を涼しくなってきた先日の休日の朝、なんとなく見ていました。
その日の工事はミキサー車からマンション内部へコンクリートを流し込んでいました。マンションの正面にミキサー車が2台並んでコンクリートをまず桶へ入れるのですが、その2台の並ぶスペースは本来は歩道なので狭く、よくそこに2台入れたね、と思いました。そして片方のミキサー車がセメントを流し込み終えるとその狭い場所から出て行き、50mくらい離れた道路に待機していた別のミキサー車がやってくるのですが、バックで一度も切り返すことなく、スッとまたミキサー車が収まりました。そして運転手が自らまたコンクリートを流し込み、そうするとまた片方のミキサー車が流し込み終わって出て行き、また待機していた別のミキサー車がやってきて、バックでスッと…を午前中何度も繰り返していました。もちろんずっと見ていたわけではないんですが。
これが仕事というものだなぁと感じました。このミキサー車の入れ替わり立ち替わりには、現場の監督らしき人と交通整理の人も指示を出していて、その一連の流れに乱れる様子が全然なく、それができるのはそこに関わる人間がみなきちんとした技術を持っているからですよね。きちんとした技術がなくてもできることは仕事ではなく作業というのではないでしょうか。それからするとこの工事現場はまさに仕事、さてここに1人、ミキサー車の運転や扱いが下手な人が混じってしまったとします。そうしたら現場は混乱し、滞り、怒声が飛び交うでしょう。そこから場合によってはメンタルを病んだとか、パワハラだとかそんな妙な話に展開することもあるかもしれません。そんなことになれば周りのきちんと技術を身につけている人からしたらやり切れない話です。
本来、技術がおぼつかない人間に仕事をさせてはならないのでしょうが、私たち人間は全ての人間がきちんとできるわけではないのもまた事実というか現実です。菅首相が言う自助とは、できるようになる努力をまず40代くらいまでの若者にはしてほしいという意味だと私は受け取りました。それは正しいことですし、かつて民主党がコンクリートから人へというスローガンを掲げて公共工事を無駄の象徴としましたが、現代社会においてきちんと仕事をしている、自助ができているのはコンクリートを運ぶミキサー車の運転手だなと感じました。

妻(社長)の実家からメダカを分けてもらい飼い始めました。コロナでステイホームな今年、メダカを飼う人が増えているらしいですね。メダカを飼っている人はおそらく経験しているはずですが、水槽に小豆くらいの大きさの巻貝がいつのまにか増えます。水質の浄化には役に立つらしいですが、どんどん増えます。サカマキガイという、原産地はフランスとか北米とか、なんせ繁殖力が強い生物だそうです。最初は水草にひっついてくるらしいのですが、駆除してもキリがない、そんなこの巻貝ですがまあかわいらしくないこともないです。貝が繁殖に適する環境を広げているのは人間、それを駆除するのも人間、現代社会らしい現象です。
一方の我が家のメダカはシロメダカ、人間が交配を重ねて作った生物ゆえ、ちょっとデリケートな面もあるようです。野生のメダカは人間が絶やしてしまいつつあるのに、なんだか矛盾してますよね、人間は。珍しい色形のメダカは一匹数万円するとか、そこまで行くと少々行き過ぎで白けてしまいますねぇ。人間の欲望のキリのなさを感じます。
キリがないといえば、コロナ対策です。話がメダカから変わりますが、次の首相はコロナをどう扱うか、私の興味はその一点です。密室政治とやらで菅氏に決まったって別になんとも思いません。いまの選挙制度上、与党の衆議院議員の誰が総裁になったって仕方ないというものです。ところで日本の総理大臣は出身地が山口、広島、群馬あたりに偏っています。現代において総理大臣とはもはや国のマスコットキャラクターみたいなものですから、各地方が一期二年くらいで持ち回りで良いのではないかとすら私は思います。そうすると今回の候補者の中では秋田出身神奈川選挙区の菅氏で良いと私は思います。大体、総理大臣一人の考えや意向で国が動いたり止まったりしてはダメですし、日本はもうそんな国ではないはずです(強いリーダーが必要なのは発展途上国)。国民一人ひとりがベストを尽くし、どこかは妥協するしかないのが今の日本です。自身の不甲斐なさ、反対に成功したその原因・要因をもしも安倍首相のせいだ・おかげでしたとか、菅氏になんとかしてよとか考える人がいたら、ちょっとおかしいですよね。それならメダカの品種改良で食べていこうとする人の方がだいぶまともです。首相というマスコットの振る舞いは大人の嗜みとして評価したり批判したり、そのくらいでいいでしょう。…政治家への不満は言い始めたらキリがない、だから私たちは頑張って生きるしか仕方ないですよね。でもいま、コロナ対策のせいで頑張る場所すらなくなりそう、あるいはなくなった人がいます。それを解消できるのはもしかしたら政治家ではないかと思います。
新首相になるであろう菅氏に一つお願いしたいのは、コロナへの感染は仕方ないという割り切り、メダカを飼えばサカマキガイが増えるのと同じように、気にしてもキリがないと国民に対して示すことです。社会からリスクや嫌なものをゼロにするのを目指すような政治はしないでほしいと私は思います。コロナを人間社会に蔓延させたのは人間自身、すなわちコロナは駆逐より共存するしか仕方ないサカマキガイのようなものだと思うんです。

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