月別アーカイブ / 2019年03月

私は海釣りが好きなこともあり、色んな場所の海を見たことがあります。宮城の海は綺麗でしたがそこは地震で被害を受けたのは間違いなく、あの日釣れたかいと私に声をかけてきた漁師さんは無事だったでしょうか。
東京の海は一般人が近づきにくく、コンクリートで護岸された海に面した土地はほとんどが工場や倉庫などの用地、一度だけボートに乗せてもらい東京湾で釣りをしましたが、釣れた立派なスズキとメバルが油臭くて食べられなかったのが思い出されます。でも、だからこそ魚たちは人間に捕まえられることなくのびのび暮らしているかもしれません。どこそこの海の魚は美味しいなんて、その魚にとってはいい迷惑ですよね。
京都に住んでいた頃よく釣りに行った若狭(福井県の西部)の海、ここも綺麗ですが天候が気まぐれで晴天が一瞬で嵐になったり、釣れる魚の種類が多くて退屈しない海ですが、原子力発電所が複数あり、町の雰囲気に独特のものがあります。日本の原子力発電所は釣り場として魅力的な海に立地していることが多いように思います。
私の実家のある広島市西区は瀬戸内海に面し、私が子どもの頃は釣りがブームでした。季節は梅雨から夏の頃、沿岸に小さいイワシの群れがやって来るのを人間も群れをなして釣っていました。レジ袋がいっぱいになるくらい釣れたものです。今もイワシの群れは来ていると思うのですが、最近の家族は釣りってするんでしょうか。
有明海にほど近い妻(社長)の実家、福岡県大川市に初めて行ったとき、私が有明海の干潟にいるというムツゴロウを見たいと話すと妻(社長)のお父さんが車で有明海が一望できる堤防に連れて行ってくれました。目の前に広がる有明海の干潟、そこにうごめき這い回る無数のムツゴロウ…私は感動しました。日本の海の多様性は凄いな、海は人間だけのものじゃないと改めて感じました。
そして北九州市あたりの海、西側には日本海(響灘・ひびきなだ)、北側には関門海峡があり下関市が見え、東側には瀬戸内海(周防灘・すおうなだ)と釣り場には事欠きません。私はとても楽しみです。
話は変わるようですが、沖縄の米軍基地をどうするか、という問題。沖縄の民主主義と海のサンゴ礁を守るためにと沖縄の人たちは言いますが、私はサンゴ礁だけが守るべき生命だという物の見方には反対です。私はどこの海も一様に尊く大事だと思います。サンゴ礁が貴重で美しいから基地を造るな、ではなく生命にとってはどこの海も大事、だから基地なんてつまらないものはどこの海にも造ってはいけない、そう思います。基地に限らず、海を工事し何かを造れば無数の生命が犠牲になります。釣りをしながら海辺に目をやれば、それはもう様々な種類の生き物がいることに気づきますし、人の興味を引かないような生き物だからって人間がその命を粗末に扱ってよいとは思えません。釣りの名人というのは意図せず釣れた小魚や食べられないフグなんかを上手に逃がしてやれることが条件だと私は思いますしね。これからの人間は海という海をもう少し大事にした方がよさそうです。

北九州市に引っ越してきて早々、九州の雑誌発売日が今年4月から今より1日遅くなるというニュースがありました。元々首都圏より1日遅かったのがこれで2日遅れになり、私が毎週買っている週刊文春は土曜日発売となります。ではもう買うのやめよう、なんてことを言う人はいないと思いますよ。益々雑誌が売れなくなると九州の書店は危惧、との事ですがもはや雑誌に速報性なんて誰も求めてないですって。求められているのは物事への分析・洞察、正確性、信用性、誤字脱字の無さです。それが雑誌の生きる道、私はそう思います。雑誌が発売日にしか売れてないのかというとおそらくそんなことは無いはずです。たとえば特定の書店だけ1日入荷が遅れるのなら死活問題でしょうが、九州全体なら別にいいでしょう。日常的に東京の人間と交流して雑誌について話題にする人なんて九州にはほとんどいないと思います、いまどき。
さてこれから雑誌が遅れる理由としては、トラック業界が運んでくれないからだそうで、なんともシンプルです。働き方改革でトラックドライバーにも1日8時間以上の労働をさせられないとか…また人件費が上がってもはや薄利の出版物(←しかも重い)なんか運んでもらえないとか…まあ確かに運ぶなら儲かりそうな高級魚でも先に運びますよね。出版業が好調で何とかしたいのであれば、出版各社西日本で印刷し取次会社(トーハン、日販の実質2社)が西日本で荷受すれば良さそうですが、いまや青息吐息の出版業はなるべく部数をまとめて1箇所で印刷し物流を集約しないことには採算が取れないと思われます。加えて今年から紙の値段も上がってまして、踏んだり蹴ったりでございます。
私はここで、ああいまの日本人は出版業のみならずもう働かない道を選んでいるんだなとも感じます。どうせ給料は上がりゃしないんだから、ならば時間当たりの給料を上げよう、つまり早く仕事はやめよう、仕事に本気出すのはやめよう、そうではありませんか。出版物をあまねく日本中に運ぶなんて技術的には簡単なのに、ああだこうだ理由を付けてはやらない、なんとかしようと考えることもしない、ホワイトな働き方はちょっと根性と工夫が足りない働き方にも思えます。せめて北九州市、福岡市、熊本市の政令指定3都市くらいはどうにかならないか出来ないかと思いますし、出来るはずなんです。何のためにこんなに高速道路を張り巡らし空港を作ったんでしょうか日本は?…実際のところ面倒くさいから九州はまるごと2日遅れ、そんなノリでしょう。頑張っても給料上がらないからやらない、そんな個人主義が蔓延する現代日本、国力低下は避けられない、グローバルな人材が世界でイニシアチブなんて到底無理だね、私はそう思いますよ。
とは言え、出版の本質を物語るよい話を新聞で読みました。政治学者の姜尚中氏(←そういや熊本出身です)が自身の人生を振り返る記事だったのですが、若かりし日に彼が学を成す基本となったのは、彼の母が営んでいた廃品回収業にて手に入れた古雑誌や古書籍だったとのこと。そう、出版物は早く読むことが大事ではない、いかに読むかです。発売日に手に入れても読まなきゃただの紙ですからね。

小学生の頃、学期の終わりにお楽しみ会というものがありました。それは私だけの体験なのか、日本人なら皆が体験しているものなのか、今ひとつ判然としませんが、とにかく昭和47年生まれで小学生時代を広島市で過ごした私には思い出の一つとしてあるものでして。何年生のときだったかお楽しみ会の進行を考える立場になって、クイズをあれこれ考えたりしました。その名の通り、ただ楽しかった会のような気がしますが内容はあまり細かく覚えてないですねえ。
ただそのお楽しみ会ではっきり覚えているのは、様々なテーマで皆を表彰するというコーナー?がありまして、私が頂いた賞が「裏表がないで賞」ですよ。表彰理由は先生が見ていないところでも掃除をきちんとしたから…なかなか子供らしい理由ですが、掃除ってやり始めると結構楽しくないですか?言われてみれば私は小学生の頃掃除を人一倍やってました。
さて、そんな裏表なき私ですが、北九州市に引越してきて少々戸惑ったのはゴミの出し方です。北九州市はエコ先進地としてその名を全国の自治体に知られているらしく、ゴミの廃棄排出方法が都市にしては細かく定められています。私の居住地は月曜日がプラスチックとビニールの包装、水曜日は瓶と缶、ペットボトル、火曜日と金曜日はそれら以外の普通ゴミ、古紙は収集はなく市内各所の市民センターに持って行くか地域の町内会の資源回収に出しなさいとのこと。そして排出するにはゴミ別の4種類の専用袋(ご丁寧に大中小特小の4サイズあったり)を買わなくてはなりません。そしてマンションのそばに設置されているゴミ捨て場(家庭ゴミステーションとか資源化物ステーションとの名称)は収集日の朝以外は施錠されているのでゴミは出せませんと。まあ、新居はベランダがやけに広いのでゴミが溜まってもベランダに置いておけばいいですし、魚の内臓やアラは冷凍することにしました。
ところが、実際に生活してみてわかったのですが、まずゴミ捨て場の施錠、実はされていなくて開けっ放しです(考えてみれば誰かが開け閉めするのも手間ですよね)。つまりいつでも出せます。収集の人が収集日に該当するゴミ袋だけ回収しています。そしてあまりきちんと分別せず、普通ゴミとして出されるゴミが多いようです。ビニールの袋や包装は分別できるなら分別してね、くらいのことのようです。こうなると東京にいた頃とあまり変わらないのですが、実は私、分別って案外面倒でないなと思いました。分別さえすれば週に4回もゴミが清々しく出せるわけですし、まあ、分別しろと言われたらやりましょう、たとえ24時間ゴミを出せても私はきちんと収集日の朝に出しましょう、そう思ったとき、ああこれがかつて裏表がないで賞がもらえた理由なのかと気づいた次第です。
でもこの北九州市のシステムが果たしてエコなのかと考えるとそうでもない気もします。袋の種類と収集日が細かい分ムダも多そうで、なんて言ったら怒られますかね。…私は当面はゴミ分別に付き合いますけど、人口減少が止まらない北九州市、なんとなくこの細かなゴミ分別システムをやめそうな予感がします。

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