月別アーカイブ / 2018年12月

今年もあと少しで終わりですが、このブログも年内は今回で最後です。年の終わりは来年に向けて思ったことを書きます。
…ある日喫茶店でコーヒーを一人で飲んでいたときに思ったのですが、喫茶店にいる店員と客が今こうして同じ時間を過ごしているのは偶然です。もしも私が28年前に第2希望の大学に進学していたら、私は今ここにはいないだろうなと思いました。私は高校卒業後の入試で第1希望の大学は不合格となり、一年浪人することを選びました。その頃の日本には浪人生が沢山いたので、あまり不安はなくむしろ第1希望ではない大学に行く方がつまらない、そんな気持ちもありました。その浪人中、私は予備校には行かず(難関国立大学などを目指していた訳ではないので)、秋頃までは週に4日くらい1日4時間程度、ある物流倉庫でジュースやヨーグルトなどの仕分けのアルバイトをしていました。そのバイト代で参考書買ったり模試の受験代を払ったりしていましたが、家が経済的に苦しかった訳ではなくて、ただそうすることがカッコいいと自分なりの美学に従っていた、そんなところです。加えて、大人の世界すなわち仕事の現場に興味があったりもしまして、そのアルバイトで社員の方に仕事ぶりを褒めてもらったのが嬉しかったことを覚えています。
さて、私に限らず浪人生の皆が、もしも浪人せずに第2希望の大学に進学していたら、今の世の中はどうなっていただろうと思うのです。人生において1年のズレは大きいですよね。私もこれまで4つの会社でサラリーマンを経験して起業し今に至るのですが、浪人せずに大学に入っていたら、多分今とはまるで違う人生を歩んでいると思います。妻(社長)とも出会っていないでしょうし。
つまり、この世にいる皆さんが、人生の節目でした判断の一つ一つが偶然に重なり合っていま、この喫茶店の同じ空間でたまたま一緒になって今日という日を形作っている…私が浪人しなかったら、今日という世界が違うものになっていたはず、そう考えるとそのときは失敗した、あるいは成功したと思ってもそれはその後の人生がそのままであることを意味するのではなく、人生という偶然の一場面に過ぎない、すなわち悲観も楽観もし過ぎることはない、ただ私達は繰り返されつつも少しずつ形を変えながら流れていく日々を生きるしかないのであり、しばしば他人の判断により自分が動かされていることがあり得る…たとえば、アナタがある仕事をやめれば誰かの人生がそれにより動く、またその逆もあり得る、ということです。私が浪人中にバイトなどせず予備校に行っていれば、そのバイトは私ではない違う誰かがやり、予備校に行っていたら新しい友人と出会っていたかもしれない。気が遠くなるくらい人生には分岐点が広がっているように思えますし、世の中を変えたり動かすのは必ずしも大人物だけとは限らないとも言えそうです。
という訳で進学や就職の結果が自分の希望通りでなかったとして、その後の人生の失敗を確定するものでもない、なのでとりあえず仕事など自分のすべきことを頑張り、来年も世の中を良くなるように作り続けていきましょう、私もアナタも。それでは皆様良いお年をお迎えください。

私の住むマンションの入り口、オートロックの扉の横付近目線の高さに2ヶ月前くらいに一枚の手書きの貼り紙がされました。いまや風雨にさらされインクが滲んでいますが(←屋外であるところにそんなものを貼るなんてね)、それは小学生に書かせたらしき絵と文字、貼り紙の右下隅にはマンション管理会社の名前が書かれています。なるほど、子どもが注意している体裁をとっているわけですが、これなら誰しも素直に聞き入れるかもしれません。「裏庭にタバコの吸売を捨てないで」とあります。惜しいですね、「吸殻」です。ひょっとして元の原稿を作った大人が間違えたのでしょうか。
現代において、PCで文書・文章を書くのが普通になりつつあると思いますが、その分国語力が怪しくなっている人が多いのかもしれません。吸殻を吸売というのは間違いなく手書きしたことによる誤りですが、文字を書くのではなく入力することが多い現代によく見られる、入力間違えされがちな同音異義語をいくつか挙げてみます。
【以外・意外】
そんなことをキミから言ってもらえるなんて意外だなあ。もうキミ以外僕は見ないよ。
【関心・感心】
私、アナタの発言にとっても感心したわ。そんなアナタの生き方に関心を持ったわ。
【懸命・賢明】
キミが懸命に努力するのを目の当たりにして、結局真っ直ぐ生きるのが賢明だと気付かされたのさ。
【週刊・週間】
週刊誌ってのはいいかげんな記事も多いけど、週間天気予報ってのも案外いいかげんだよね。
【収集・収拾】
アナタがいまどき切手の収集に熱心なのは理解してあげたいけど、私との関係の収拾はついてないわよ。
【適正・適性】
ウチの会社、就職の際に適性試験ってのがあるけど、労働環境は適正には程遠いよね。
【内蔵・内臓】
メタボとは内臓脂肪症候群のこと、いわば脂肪を身体に内蔵しているってことですね。
【避難・非難】
キミをほったらかして避難したから、みんなから非難されたのさ。
【味方・見方】
私はいつもキミの味方だ、とはいえその物の見方は残念だね。
…インターネット上で個人がダイレクトに書き込み発信が出来る今、あるいはメールを1日に何通も送る現代人にとって、単なる誤変換と言えばそうですが、やっぱりウッカリしている、ちょっとおバカさんという印象を持たれてカッコ悪いでしょうから、文章をアップする前、送信する前にちょっと気をつけて読み直せばいいのになと常々私は思います。そう、他人を注意するときなどは特に。

某日、家で晩御飯食べながらテレビを見ていたら、長崎県の某地方で獲れるアジがブランドアジとして高値で出荷されていて、漁師さんも漁獲にあたっては一本釣りで魚体には直に手で触らないとか、釣れたアジをすくう網も魚を傷つけないゴム製であるとか、何せ手間暇かけてブランド価値を守っている、その目的は漁師さんの収入向上のため、という内容の番組でした。番組では説明されていませんでしたが、そのアジはいわゆる黄アジで、体色が金色がかっており、私も食べたことがありますが確かに美味しいです。その黄アジが普通のアジと違うのは、通常アジが回遊するところを彼ら黄アジは回遊せずに近海に居つく、つまり肥満的体質となり脂が乗る、それが人間にとって美味しい魚となるというわけです。しかし、その長崎の漁師さんですが、結局ブランドアジは漁獲量が減っており、決して収入は増えていないとのこと(経費もかかってるでしょうしね)、私に言わせれば辛辣ですが、くだらないの一言に尽きます。
私は釣りが好きで魚介類が好きで、もちろん食べるのも好きで魚を料理するのも好きですので、日本の漁業が繁栄してほしいと願っていますが、特定の魚をブランド扱いするのは嫌いです。そこにあるのは自分達の魚だけ売れればいいという態度、ブランド魚なら高値で買い取ってもらえる、闇雲に美味しい美味しいと食べてもらえるという下衆な期待、ブランド魚以外は雑魚という思い上がり、そんな人間の都合が垣間見えて私は魚のブランド化には大いに反対です。獲れた魚はなるべく食べる、そこが人間の知恵の見せどころだと私は思います。長崎のそのブランドアジの漁獲が減っているのはブランド化により漁師さんがそのアジばかり獲るからに違いありませんし、黄アジでなければ獲れてもガッカリなんてやってることが支離滅裂、海と共に生きる漁師さんたちがすべきことは海からの恵みを大切にすることであり、海と魚のことを知らない一般の人間に魚介類全般の美味しさを伝えること、決して魚介類の高級低級の区分ではないでしょうと、私は訴えたいのでありますよ。
もう一つ、私が今回書いておきたいのは、日本人の魚食文化は地方地方でかなり異なるので、どの魚が美味しいとか不味いとか、一概には言えないという事実です。私は広島で生まれ、京都の大学に通い、大阪に10年くらい通勤したのち東京に移り、現在に至ります。結婚して13年くらい経ちますが、妻(社長)の実家がある福岡県大川市にも年に3度は帰省しています。その4地域の魚食文化を見てみると、魚屋で売っている魚介類の種類はだいぶ違いますし、あとこれは結構日本人において重要なことだと思うのですが、醤油が違います。各地域で作られる魚料理の味は、本来はその地の醤油があってのものです。場合によっては各地域独特の薬味もあるでしょう。結局、日本人は自分の出身地の味を一番だと思うものですし、その味はその地で味わうのが一番でしょうから、魚をブランド化して各地に出荷するなんて、魚のことをわかっていない人がすること、長崎のその漁師さんには獲れる魚をなるべく美味しく食べる方法を世に広めてほしい、その方が楽で収入も増えると思うんですが。

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