月別アーカイブ / 2018年07月

雑誌やネットの記事、住宅情報誌などで、住みやすい町のランキングなるものがありますよね。広島市(水害が心配ですが)で育ち大学からしばらく京都市、そしていま東京都文京区に住む私が感じるに、とくに関東圏の人が好きそうな話題かなと思います。
なぜなら、関東には私を含め圧倒的によその地域から移って来た人が多く、どこに住むかという選択がその人の経済状況や価値観を表していそうで、関東に住む人々の興味関心を引くからです。例えば東京都港区の高層マンションの30階に住んでいますという人がいたら、関東の人の心中にはその人に対してある種の想像が湧くはずです。この関東特有の人間の意識は地理学的研究テーマとして興味深く、かつて地理学科の私がいま大学の卒論を書くならそれにします。広島や関西圏の人々が誰かの住所を知ったら、それはその人がその地域の出自なのかなとまず思うのとはだいぶ違いますね。つまり住所は家や車といったものと同様、ステイタスでありそれにより人を羨んだり馬鹿にしたりするという価値観が現代の関東にはある、私が東京で暮らしてみて感じることです。京都市も洛中・洛外といって伝統や文化に裏打ちされた区別はありますが、現代ではもはや話のネタくらいのものです。
本質的には町のランキングは幻想で、その企画の立案者には単に、人々の興味に付け入り雑誌が売れればいい、このエリアの不動産が高く売れたり賃貸物件は頻繁に人が入れ替わればいい、そんな思惑があるだけのはずです。実際の関東のほとんどの人は勤務先や自分の仕事先の町とのアクセスに重きを置いて居住地を決めているでしょうし、また人それぞれ事情が違うので住みやすいという根拠としている指標によって住みやすい町とやら、全然違うものになるでしょう。私を例にとれば、子どもがおらず車は持たず、そして魚を食べるのが好きで、勤務先まで歩けるので、保育園より良い魚を売っているスーパーが欲しい、沿線の地下鉄の事情なんてさほど気にならない、駐車場の月極料金が高かろうと関係ない、そして町内会にも入っていないので近所に知り合いはおらず、この町に愛着はそんなになく仕事の都合でここにいるだけ、でも嫌でもない、そんなものです。
…仕事や人生がうまくいかないというのは住んでいる町のせいではなく、死にたいくらいに憧れた花の都大東京(←ある歌の詞です)が人生を好転させてくれるわけではなく、つまり人生の好不調と居住地との間に関連はないと思いますが、関東の皆さんは町のランキングをどのくらい気にするのでしょうか。使い古された言葉ですが住めば都でしょうし。ちなみに土砂災害の危険箇所が日本で一番多いのが広島らしいですが、だからって広島の人は県内の町にランキングなんかつけませんし、私は東京より広島が好きですねえ。

以前勤務していた会社にいたとき転勤で京都市から東京にやってきました。もう10年くらいになります。当初は車を持っていましたが、京都市にいた頃より駐車場代が高くなり走行距離は減り、手放しました。いまや自転車すらないので移動は徒歩ですが、日々運動不足気味なのでこれでいいと思っています。
そんな私が先日、埼玉県のお客さんと打ち合わせの用事があり、その日は一日埼玉をレンタカーで営業回りをしました。たまに運転するのは仕事とはいえなんだか楽しいものです。レンタカーというものは比較的新しいタイプの自動車が備えられていることがあり、それは広告宣伝的な意味もあるらしいです。この日私が借りたレンタカーは、ピンクと赤を混ぜたような色のホンダ車、いわゆる運転支援機能が付いていて、私も初めて乗りましたが、それはまあ実に自動車業界の迷走を感じましたね。
それは凄いことのようなそうでもないような、県道や国道を走ると速度計の横の画面に40kmだとか60kmだとか、その道の法的速度が示され15kmくらいでしょうか、法定速度より少々速く走るといちいち「速度超過を検出しました」と車が喋ります。他にもちょっとブレーキを強く踏めば「前方不注意に気を付けましょう」などなど、運転に慣れている人間には余計なお世話機能としか感じられない、これが最新の自動車って胸を張れるものなんですか?本田宗一郎さん。こんな機能に頼らなくてはならない人がいるとしたらその人はそもそも車を運転しない方が世の為です。
人間にとって便利な機能やモノを開発する際、それを使う人間がどういう人なのか、言い換えればどういうレベルの人間なのか、人間をどういうレベルにしたいのか、その点を開発にあたる研究者はどう考えているのでしょうか。「できない」人を今以上に増やさないでほしい…私はそう願います。
自動車ならカーナビまででそれ以上の機能はもう要らないと私は思います。通販なら刺身などの生ものや野菜の宅配なんかも、要らないというか多分不味くなりますよ。そして、できなくてもいまの時代は良いんだではなく、できないと困るから身につけよう、そう考える人の方が絶対に生きていて楽しいでしょう。
いまの自動車業界が目指すのは勝手に目的地まで走ってくれたり車庫に入ってくれる車ですがそれって楽しいでしょうか?それがいいと思う人はきっと車や運転が嫌いなはず、そんな人向けにカッコいい自動車を作ろうという気になるのでしょうか?世に広まるものには楽しいという要素が必ず含まれていてほしいと私は思いますし、これからは便利という概念は人間の能力を減じずそして楽しいという条件が付くものとしてはどうでしょうか。ついでに書くとそのレンタカーは時計が30分くらい遅れていました。時間にはルーズなんてなんだかちぐはぐですよね。

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