大学入試の英語に民間試験を使うということが延期になりました。このことについてはだいぶ以前に私はここのブログで、私がかつて漢字検定で経験したことから、民間試験を入試に用いるのはやめた方が良いといった内容のことを書き、民間試験は玉石混交、そんなタイトルをつけました。私がこの件をそんな以前に知ったのは、朝日新聞の記事です。今回の一連の流れは新聞にしてみれば嬉しいでしょうね。世間が注目する前から疑問を呈しとりあえずは止めた、やはり世の中はなんでも仕方ないと受け入れるのではなく、おかしいと思われることには抵抗する、人間それを無くしてはいけません。
その英語の民間試験の話、世間は地方の生徒の交通の便や各家庭の経済力で有利不利があるという問題点を指摘しますが、私はもう一点付け加えます。それは場の雰囲気が統一されない点です。民間試験である以上、入試に臨むわけではないただの人が周囲にいるということ、例えば目の前のおばさんが途中でやめて寝た、隣のオッさんがなんか臭い、横には生意気そうなませた中学生、そんな面子に囲まれたら不利ではないでしょうか?、入試って周りのみんなもピリッとして独特の緊張感、それで全国統一されることが公平だと思いませんか?また反対に入試目的以外の人は受けに行きづらくなりますよね。私が仕事に必要で英語民間試験を受けることがあったとして、隣が大学受験生だったらイヤです。このへん、キチンと対応する予定だったのでしょうかね。
さて、今回なぜ英語民間試験が急にアッサリと延期されたかというと、結局は大学入試に携わる人たち(文部科学省)が本気ではなかったからです。権力がある一部の誰かの意向と思惑で事が進んでいただけで、当事者の大多数は疑問を持ちつつ上の人間がやるって言うからやりますよ、まあ自分の給料には関係ない、そんな感じで物事を進めていたはずです。だからこそ世間が注目し騒ぎ、いよいよ本番が迫る時期が来たら面倒な事が増えてきて投げ出したくなってきた、ちょうど良く大臣が失言した、これは渡りに船、はいヤメヤメ先送りすれば良いんでしょ、今まで通りの英語力なんてつかないペーパーテストで行きましょー!ってことですよ。そこには日本の英語教育を良くしていこうという工夫や気概が、責任感や意志が、要するに本気が見えませんね。
ところで本気って何でしょうか。本気とは髪を振り乱し汗にまみれ涙を流し、大声で叫びながら何かを為すことではなく、いかに自分の意思を明確に持ち表すか、他人に判断を委ねない、つまり意に沿わないことをやらされないことではないでしょうか。人生の幸せとはどれだけ本気で生きたか、かもしれません。能動的ではないから幸せを感じないし、用事を済ませるだけの人生でつまらない、毎日がそんな感じの人がこの日本に増えているのかもしれません。文部科学省という日本の教育行政の中心にいる役人ですらその程度のモチベーション、いわばテキトーに仕事しているのか…と思うと日本という国はかなりマズいと私は危惧しています。なるようになる、レット・イット・ビーではいけませんよ。