歌手の大御所、沢田研二氏が観客が予定より少ないから歌いたくないと言って公演をキャンセルしました。9000人の観客が沢田氏にとって、感情的な損益分岐点だったらしく、7000人しか集まらなかったからヤダ、ということのようですが、そこの差し引き2000人の違いにどれだけの意味があるのでしょうか?ちなみに沢田研二氏は80歳まで歌いたいとか、歌えてお客さんが集まるなら80歳で区切らずとも、と思いますが。私達が日々暮らす現代も、似たような話、数字の区切りに必要以上にとらわれることがあります。そしてそれは印象というものでしかなく、第三者から見るとそこに滑稽な感じすら受けると思います。
思いつくままに挙げれば、最近はあまりこだわらない女性も多いでしょうが、30歳までに結婚したいというもの。年収が1000万円ある人がイイ。プロ野球ならシーズン終了時点で打率が3割とかピッチャーなら10勝とか。会社の営業成績なら、昨年度の売上に対して100%以上あるかどうか。…それらの区切りの数字をクリアすることが出来なかったとして、実質的な意味がそこにあるのか、私達は今一度真剣に考えてみてはどうでしょうか?例えば野球選手のホームラン30本打てば給料が1000万円アップなどというインセンティブ契約とやら、それがチームにとってどのくらい有益なものか、怪しいもんです。携帯電話があるいまの時代、29本の時点で対戦相手のピッチャーに明日は甘い球よろしく、打てたら100万円あげるから、そんな不正があるかもしれませんよ。
そういった区切りの数字にこだわるという態度が何を産むかと考えると、やはりそんな偽装工作ですよね。9000人の観客にするためにあと2000人、その辺を歩いている人にお金渡してでも入場してもらうとか、プロ野球の打者が打率3割に達した時点で残りの試合に出ないとか、あと一万円の売上で100%達成のボーナスが3万円出るから自分で買うとか。世の中の不正などは大体そんな数字だけ整えておきたいということから始まっているもので、近視の人を障害者雇用にカウントしていた水増しの話などもそうですよね。
こうして考えてみると、数字というものは嘘を隠すための道具であり、数字だけ取り繕ってみたところで、私達人間の胸にやってくるのは虚しさだけ、そんな気がします。ところで、出版業界では100万部のベストセラーとか言いますが、ここで一番大事なことは、何部印刷したかです。100万部売るのに200万部刷ったのなら、そこにあまり利益は発生してないはず、数字にこだわるならやっぱり損益分岐点ではないかなあと私は思うのですが、いずれにせよ大御所さんの無理な要求は不正の発生源であることには間違いないですよね。全国の大御所の皆さんには区切りのよい数字へのこだわりはなしで宜しくお願いしたいのと、数字以外のもので価値判断をすることがこれからの人間の役割だと私は思います。