今年もあと少しで終わりですが、このブログも年内は今回で最後です。年の終わりは来年に向けて思ったことを書きます。
…ある日喫茶店でコーヒーを一人で飲んでいたときに思ったのですが、喫茶店にいる店員と客が今こうして同じ時間を過ごしているのは偶然です。もしも私が28年前に第2希望の大学に進学していたら、私は今ここにはいないだろうなと思いました。私は高校卒業後の入試で第1希望の大学は不合格となり、一年浪人することを選びました。その頃の日本には浪人生が沢山いたので、あまり不安はなくむしろ第1希望ではない大学に行く方がつまらない、そんな気持ちもありました。その浪人中、私は予備校には行かず(難関国立大学などを目指していた訳ではないので)、秋頃までは週に4日くらい1日4時間程度、ある物流倉庫でジュースやヨーグルトなどの仕分けのアルバイトをしていました。そのバイト代で参考書買ったり模試の受験代を払ったりしていましたが、家が経済的に苦しかった訳ではなくて、ただそうすることがカッコいいと自分なりの美学に従っていた、そんなところです。加えて、大人の世界すなわち仕事の現場に興味があったりもしまして、そのアルバイトで社員の方に仕事ぶりを褒めてもらったのが嬉しかったことを覚えています。
さて、私に限らず浪人生の皆が、もしも浪人せずに第2希望の大学に進学していたら、今の世の中はどうなっていただろうと思うのです。人生において1年のズレは大きいですよね。私もこれまで4つの会社でサラリーマンを経験して起業し今に至るのですが、浪人せずに大学に入っていたら、多分今とはまるで違う人生を歩んでいると思います。妻(社長)とも出会っていないでしょうし。
つまり、この世にいる皆さんが、人生の節目でした判断の一つ一つが偶然に重なり合っていま、この喫茶店の同じ空間でたまたま一緒になって今日という日を形作っている…私が浪人しなかったら、今日という世界が違うものになっていたはず、そう考えるとそのときは失敗した、あるいは成功したと思ってもそれはその後の人生がそのままであることを意味するのではなく、人生という偶然の一場面に過ぎない、すなわち悲観も楽観もし過ぎることはない、ただ私達は繰り返されつつも少しずつ形を変えながら流れていく日々を生きるしかないのであり、しばしば他人の判断により自分が動かされていることがあり得る…たとえば、アナタがある仕事をやめれば誰かの人生がそれにより動く、またその逆もあり得る、ということです。私が浪人中にバイトなどせず予備校に行っていれば、そのバイトは私ではない違う誰かがやり、予備校に行っていたら新しい友人と出会っていたかもしれない。気が遠くなるくらい人生には分岐点が広がっているように思えますし、世の中を変えたり動かすのは必ずしも大人物だけとは限らないとも言えそうです。
という訳で進学や就職の結果が自分の希望通りでなかったとして、その後の人生の失敗を確定するものでもない、なのでとりあえず仕事など自分のすべきことを頑張り、来年も世の中を良くなるように作り続けていきましょう、私もアナタも。それでは皆様良いお年をお迎えください。