営業部長日誌と名付けて、私は弊社HP内にこのブログを書いていますが、書く頻度は月に3、4回なので実際は日誌ではなく、看板に偽りあり…だからって特に不都合不具合があるわけでなし、そのまま今回も書いています。
このタイトル・看板といったものは世の中でどのくらい忠実なものなのかと考えると、まず今なら各地の緊急事態宣言というタイトルですが、実際は各スポーツの決勝戦が無観客とはいえ実施されたり、大相撲が始まったり、あんまり緊急事態っぽくありません。そろそろ入試も実施されますし…交通機関や物流、ゴミの収集を止めるくらいの状態が緊急事態だと私は思います。もしも1日のコロナ感染症数が10万人、あるいは新規重症者が1万人を超えたらもう病院も受け入れ不能でしょうから、私も警戒しようと思います。その新規重症者1万人というペースでも、日本人全員が重症者になるには1万2千日、つまり32年かかります。重症化しないのならそれは風邪の一種、無症状なら風邪ですらない、私はあくまでも重症化と確率を重視しますが、そう考えると案外気楽に思えませんか?実際の今の1日の新規感染者数は5千から7千人、新規重症者数は多い日で1日30人程度ですから、このペースなら日本人全員が重症者になるには32年の330倍、10560年かかりますが、さて本当にいま緊急事態なのでしょうか?
まあ、それでも私は現代社会の中で生きていかなければなりませんから、外出時にマスクは必ずしますし、旅行も会食も控える、自分は無症状の感染者であり、他人に移してしまうかもという危機感を持ち、コロナ罹患を避けねばというごく常識的なマトモな日本人の振る舞いをします。でも内心はコロナが怖いなんて思ってませんから、これこそが私という人間のタイトルを偽っている真っ最中ですね。悔しいけど仕方ないです。
しかしながら、食事に無頓着で太っているしタバコも吸うし高血圧、脂質異常、高血糖etcの状態…という40代以上の方はコロナに感染した際の危険度は高いかもしれません。私は外食をしてはいけないとされる今こそ(みなさんヒマですよね)、きちんとした食事をし体調を整えるべきではないか、人間が生活を見直すチャンスではないかと思います。医療を崩壊させてはいけないと本気で思うなら、コロナ以外の病気やケガもしないようにしなくてはいけませんよね。コロナで日本中の医療機関が頼れないのなら、私は健康体であることを心がけます。自分が健康なら医療機関が崩壊しcloseの看板を出していても生きていけます。
先日の8日、夜10時からの報道ステーションに菅首相が出演するというので見ていたら、生放送のニュース番組なのに収録による出演でした。生放送ではない報道番組とは看板を偽ること甚だしいですよね。生放送でなければ、あ、この発言はまずいか、いまの無しでやり直し、なんてことができますから、聞く側の国民の緊張感もなくなるんですよ。コロナ対応については私は菅首相一人に多くを求めるのは気の毒とも思いますが、せめて生放送で素直に率直に自分の言葉で物を言わないと、一国の首相の看板が泣いている、あなたは本当に首相なのかと国民は本気度を疑っています。…菅首相は本音では私と同様にコロナを怖いと感じていないのかもしれないですが、コロナは怖いものという看板を掲げたのも菅首相ですから、どうしたものでしょうね。時が過ぎるのをただ待つしかない、案外これですよ。

新年明けましたがコロナ対策のせいで幸福感に包まれない日本、この状況で神社に参って何を願い何を祈る必要がありましょうか、とりあえず家でテレビでも見て笑っているしかないですが、またしても緊急事態宣言出すかなんて何を迷い何を慌てているのでしょうか(とはいえコロナで収入が得られなくなった等の方々は本当に大変だと思います。私なら仕事を変えます。ピンチはチャンスですよ)。日本には8000以上の病院(加えて星の数ほどの診療所)があるのに年間3600人(主に高齢者)しか死なない感染症で医療崩壊するなら、そもそもそこがおかしいと考えるべきでしょう。医師の方々は頭が良い人たちなんですから、彼らには政府の指示待ちではなく今こそその叡智を結集し能力全開でお願いしたいですよね。
…私は1月2日の朝NHKで、ダーウィンが来た、という番組の再放送を見ました。丑年ということでヌーというアフリカにいる牛が主役の回で、ヌーは食物の草原を求めて大集団で大移動することが特徴だそうです。さてその大移動にはさまざまな困難がつきまとい、たとえば集団には子供のヌーもいるんですが、その仔ヌーがケガをして歩けなくなってしまった、心配そうに見守る母ヌー、だけど集団は構わずどんどん進む、母ヌーも最後には仔ヌーを見捨ててしまう、そうすると私たち人間には見るのが辛いですが、ヒョウなどの肉食動物がどこからともなくやってきて襲いかかる…弱肉強食、それは自然の摂理ですが、私たち人間だけはそこには抗い弱者をなんとか助けようと頑張るべき、そこが人間とそれ以外の生物の違いですよね。人間なら弱いものをいじめてはいけません。
ところで大集団大移動の先頭を行くヌーはどのくらいリーダーシップのある猛者(この場合猛牛)なんでしょうか…?この番組は決してお笑い番組ではなかったんですが、私は年末年始のお笑い芸人さんたちのテレビ番組よりここで笑いました。…ヌーの大集団の先頭を行くのは、なんと数頭のシマウマですよ。シマウマは危険察知能力が高く彼らの行動に従っていれば間違いがないらしく、野生動物としてはなかなかスタイリッシュなシマウマさんが、クールに淡々とヌーの大移動を率いていらっしゃるというオチがなんだか私にはツボでしたねぇ。もちろん、シマウマにはヌーを率いている気持ちはなく、実は慎重かつ臆病なヌーたちが勝手に付いていっているだけ、ヌーは誰もリーダーシップを取りたくないだけ、安全かどうかわからない道を進みたくないだけ、おまえ先頭で行けよ、ヤダよおまえ行け、そんなやりとりをして出した結論、だったらシマウマに付いて行こうゼ、あまりにも人間的あるいは日本人的で、私は新年から笑わせていただきました。
政治家が勝手に始め国民も勝つと信じさせられた戦争で木っ端微塵にやられた日本、その無謀な行動の後処理や後始末はそれまでの敵国アメリカにお願いするという腰抜け無責任ジャパン、戦後の私たち日本人はアメリカシマウマに付いてきただけのジャパンヌーです。コロナの世の中になりそれがあらわになりましたが、みなさんは今年もジャパンヌーのままでいますか?私は率先垂範(そっせんすいはん)するジャパンシマウマになりたい、ヒョウなんぞに狙われるスキを与えない強い生き物になりたい、そんな勇ましい年頭所感をこんなインターネットウェブの片隅に記すのでありました。

年末の日本、直木賞と芥川賞の候補作品が発表され、テレビでは漫才の賞レース番組のM-1グランプリがありました。今回直木賞にアイドル歌手・加藤シゲアキの作品がノミネートされましたが、M-1と直木賞芥川賞のその注目度の差が、現代日本らしいところです。直木賞に興味がある大学生がいまどれくらいいるんでしょうか?最高学府、大学に所属するキミたちがインテリぶらないでどうするんだ!なんて私は危惧を覚えます。直木賞が大衆文学賞(すでに本として売られている作品)で芥川賞が純文学新人賞(文学雑誌に掲載された新人の作品)だということすら知られていないことでしょう。…いま日本では笑いを取れる人間が最も優秀という風潮があります。菅首相ですらそれに捉われガースーですと言ってみたり、医師会の会長ですらクリスマスはサイレントナイトでお過ごしくださいと言ってみたり(山下達郎の曲です)、なんせ人前で話す際はウケないとダメだという観念が世に蔓延しています。漫才が面白いからといって、素人が真似したりする必要はありませんよね。一方で私はむしろ今の漫才には政治的社会的要素が無さすぎだとも思います。
直木賞にアイドル歌手作家をノミネートすることも、ウケ狙いに近いものがあると思います。私も加藤シゲアキの作品を読んでいないのでそれについての批判は控えますが、ただ私は小説や漫才は本来競うものではないと思うんです(緊張してる芸人は笑えないですよね)。小説も漫才もどちらも高い技術が必要ですが、それの受け取り手である私たち素人の感じ方は点数化されたり順位付けがされたりするものではないでしょう。なので、直木賞芥川賞の受賞作家やM-1の優勝コンビは林真理子や松本人志ら審査員たちの感覚や好みに一番合致しただけで、人によっては異議を唱えたくなることは大いにありうる、そして自分の感覚や好みが審査員たちとどのくらい合っているか、あるいはズレているか、そこを楽しむのが大人ってもんだぜ、と私は思いますが、あなたはいかがでしょうか。ただ、直木賞芥川賞のノミネート作品を毎回全て読む人はいまの日本にほとんどいない、このことが出版業界の衰退を端的に表しています(もちろん私も読んだことありませんよ)。
さて今回、受動的か能動的かというタイトルをつけましたが、小説においては読者が必要で、漫才においては視聴者・観客が必要です。小説は本をめくったりときに読めない漢字を調べたり能動的に読まないといけませんが、漫才はソファーにもたれビールでも飲みながら受動的に聞き流したりできます。いま、日本人に小説と漫才どっちが好きかと問いかけたら、漫才と答える人が多数のような(私も漫才かな)、つまり私たち現代日本人は受動的(つまりラク)な行動を好む、すなわちコロナ感染対策についても首長とか政治家とかのトップに立つ人に何か言われないとわからない、決められない、むしろ決めてほしいという受動的な人が多数なのかもしれない、そう考えると菅首相のガースーです発言もお笑い要素がないと話を聞いてくれない国民に「寄り添って」のものとすれば、同情の余地及び一理あるのかなと思いました。…来年は楽しく笑える世の中になると良いですが、それでは良い年をお迎えください。

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