私は私立大学の地理学科を卒業しているのですが、その地理学科がある大学自体珍しく、また私が受験生だった今から30年くらい前は地理で受験ができない大学も結構ありました。日本では日本史か世界史を選択する人が多数ですしね。…私は子供の頃から地図を眺めたり、日本各地のことなどに興味があり、小学校で県庁所在地を問う授業なんかでは誰にも負ける気がしませんでした。みなさん、白地図に都道府県名をスラスラ書けますか?…もちろん大学の地理学科はそんなクイズみたいなことばかりをやるところではありませんよ。学問としては地味ですが社会に出ると地理学科出身の人間はなかなか役に立つと思います、なんて自分で言うのも変ですが。
さて、コロナウイルスの感染拡大も収まりつつあるとされますが、今回の一連のコロナについての政府や自治体の対応をみていて、私はそこに地理学的センスの欠如を感じます。まず、都道府県を超えた移動は自粛を、という呼びかけのナンセンスさはみなさんも感じたことでしょう。まあ行政サイドの人間が他県の人間にまるで興味も関心も無いのは仕方ないのかもしれませんが、私たち国民は都道府県の境目なんて一切気にせず生活していますから、移動の自粛を呼びかけるなら、生活圏外に出るなと言うべきでしたよね。たとえば神奈川県の川崎市民が東京に通勤をするのは止む無しだけど、しばらくは川崎市民は県内でも箱根温泉など不特定多数の人が往来するところに遊びに行くのは控えてくださいと、なぜ言わなかったのでしょうか。私たち国民には生活圏があるということを知らないはずはないのに、県知事などリーダー的な立場の人間ですらそこに思いが及ばない、それは私は彼らが地理を学んでいないからだと思うんです。
地理という学問を私が好きなのは、絶対的な真実がそこにあるからです。地形や町がそこにあることには必然性があります。一方で歴史という学問は日本においては政治史に偏っていますし、歴史上の人物に興味を持ち過ぎでしょう。聖徳太子とか織田信長とかがああしたこうした、そういった事実かどうか曖昧な話が多過ぎではありませんかね。ただ、日本のリーダーの方々は学生時代に歴史を学んでいる人が多そうです。それが今回のコロナウイルスへの対応が今ひとつ科学的でなかった、論理的でなかった原因ではないでしょうか。私は国民に指示を出すべきは首相や都道府県知事ではなく、国民の生活事情を知っていてその地の地理に明るいはずの市町村長ではないかと思います。市町村長の話を伝えるメディアがもう少しあっても良くないでしょうか。ここ数日、福岡県でコロナウイルス新規感染者が複数人出ていますが、その感染者は全て私の住む北九州市です。やはりここで指揮をとるべきなのは福岡県知事より北九州市長です。地理を学んだ者として私は、感染症対策において都道府県単位で物事を考えたり決めたりすることには反対です。

前回ここで私は、学校で学ぶのは勉強より色々な体験ではないかということを書きましたが、その体験で一つ大事なものを書き忘れましたので、そのことを少々書きます。
…私が小学生時代を過ごしたのは広島市なんですが、小学校に給食室がありまして、学校で給食を作っていました。なのでやっぱり美味しかったですし、温かい汁物や揚げ物もありました。現代の予算が厳しい自治体の学校給食をたまにテレビなどで見ると、その質素な感じが私の目にはわびしく映ります。栄養バランスなんてあまり考慮されてないようにも思えます。
そう、学校で体験できる大事なこと、それは給食です。きちんとした食事をきちんとした作法で食べるということを学ぶ機会であり、給食当番を順番にやることも良い経験ですよね(最近、使い回す給食の白衣を家庭によっては香りが強い洗剤で洗うので、人によってはそれが嫌でストレスだとか。私も香りは苦手です)。私はそんなに好き嫌いはありませんでしたが、牛乳が苦手でして苦労しました。とくにご飯の日は牛乳が変に甘く感じて辛いのなんの…今でも牛乳をそのまま飲むことはありません。ちなみに私の弟は牛乳が好きで家でもよく飲んでいましたが、背丈は私の方が数センチ高いですから、身長伸ばすには牛乳というのはウソかもしれませんね。それはさておき、学校の休校が続くと給食も当然無いですから日本の酪農家の方も大変でしょうし、やっぱり嫌いなものでも文句言わず食べるというマナーは給食がないと身につかないように思うんです。
人間というか、日本人は幼い頃に好きなことばかりしていてはきちんと育たないことを経験してきた、だからこそ学校というものを作りそこでまず理想的な社会のあり方を目指そう、その考え方は私はとても良いと思います。大人になったらきちんとしてばかりはいられないことを知っているからこそ、子供にはまずきちんとすることを教える、そのためには子供を家庭から離すことが大事ですよね。子供というものは家では本能と本音100%でのびのび生きているものです(両親や家族に気を遣わなければならない状態にすることを児童虐待というのではないでしょうか)。私はオンライン授業というものが物理的に可能になったとしても、家庭を離れ学校に子供が集まるということの大事さを忘れてほしくないと思います。そして日本にコロナウイルスが外国ほど広まらなかった(ともう言い切って良いでしょう)のは、国民がやっぱり学校で自分のやりたいようにばかりにはできない我慢を学び身につけていたからですよ。

以前東京に住んでいたときにちょっと気になった話、東京23区全てがそうなのかは知りませんが、小学校区はあるけど区内であれば他学区の小学校に通えるという仕組み、私たち夫婦に子供がいないのでそれについてあまりよく知らないまま東京を離れましたが、東京あたりの小学校はやや歪(いびつ)な様相を呈していたようです。ひとつ例を挙げれば、3学期は私立中学受験が平日にあるために小学校に児童が一人や二人でなく来ない日があるとか、昭和時代に公立小学生だった私からしたら信じられません。
私は、学校というものは運と縁の集合だと思うんです。他人の評価や評判を気にしてあっちの学校の方が良いらしいと選んだところで、それが良い選択だったかなんてわからないものなんですから、小中学校くらいは最寄りの学校、つまり学区内(他学区の学校の方が近い場合もあるでしょうけど)の学校に通う方が面倒くさくないし何より自然だと思います(友達が近所にいないなんてね)。勉強ができる子できない子、身体の強い子弱い子、やんちゃな子、引っ込み思案な子、身体障害や知能障害がある子、いまの時代なら外国の子…さまざまな子供が集まることに意義があり、そんなクラスを大人の先生がまとめることが教育ではないかと私は考えます。勉強ができる子だけ集めれば良いクラス、良い学校ができると思う人を、バカと私は言ってやります。
自分の通う学校がどんなものか、全ては運と縁に委ねるしかないと考えることが、それが寛容とか、良い意味でのあきらめられる精神が身につくと思うんです。何ごともうまくいくに越したことはありませんが、子供の頃は色んな子がいる小学校で色んな経験をした方が、結局は大人になってから苦労に強くなれそうですし。そして教育に携わる大人は日本中どこの学校も良い状態にしようと努力をするべきですよね。それは理想論かもしれませんが、教育者が理想を追求しないなら、教育者とは一体何でしょう。
…そう考えると、コロナウイルスを前にしていま、学校はどうでしょうか。私は大人が会社や経済活動を止め続けるにせよ、小学校は再開していいと思います。私たち大人の1日と子供の1日は重みがまるで違うもの、コロナウイルスへの感染状況を見れば、子供たちを通常の小学校という環境に戻した方が良いです。もちろん、これまで通りではなく変えられるものは変えて、たとえば登校人数を減らしたり、授業内容を減らしたりすれば良いのではないでしょうか(歴史の貴族や大臣、武将の話なんかは大幅に削っていいでしょう)。勉強は好きな子だけがどんどんやれば良いことです。
小学校でのオンライン授業は私は全面的に反対です(パソコンに触れる授業はあった方が良いですが)。費用面やパソコン環境面を考えると困難ということもありますが、私は小学校の意義で大きいのは授業内容より体験だと思います。みんなの前で発表する、朗読する、黒板に字を書く、先生の話を黙って聞く、一般家庭にはないもの、顕微鏡とか跳び箱とかプールとかスポーツ用具とか、それらを経験できることです。オンライン授業なんて浅くはかなく、人間が薄っぺらくなること間違いないです。そして小学校で最も大事なことは、それは始業時間に間に合うように身支度をし食事を済ませ交通ルールを守り登校すること、私はそう思います。

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