お知らせ

WBCの準決勝の相手がメキシコに決まりました。明日の朝が楽しみです。プロ野球観戦が好きな私からすると日本代表の相手が弱くて物足りないという話を前回書きましたが、ようやく気の抜けない相手です。勝つか負けるかは時の運、私は大差で楽勝するような試合より僅差で敗北があるかもという試合が見たい、それこそが観戦し甲斐があるというものです。時差ボケもあり総合的には日本不利と思われますが、逆境をはねのけてこそのサムライです。負けたってまた次回勝てばいい、頑張ってもらいましょう。
私にとっての3大趣味は野球、釣り、競馬と前回書きましたが、4を挙げるとすれば最近はプロレスです。九州プロレスという団体が2月の北九州大会の協賛の依頼にやってきたことをきっかけに興味を持ち始めたプロレスですが、異形の人間がリングで技を繰り出し合うのを見ていると不思議な感覚が降りてきます。その九州プロレスにTAJIRIというレスラーが今年から入団しています。彼はプロレスの本場アメリカで活躍した時期もある実は凄い人なんですが、今52歳で熊本県玉名市の出身でもあり、レスラー人生の終盤を九州プロレスで過ごすことに決めたようです。彼のプロレスでの役割はヒール、つまり悪役(口から毒霧を吐きます)なんですが彼のもう一つの顔は文筆家でありプロレス論のような話も著書で書いています。先日も小説「少年とリング屋」を上梓(じょうし、本を出すこと)したばかりで私も今日から読みます。プロレスに興味を持ち始めたばかりの私ですがTAJIRIの言っている理屈は非常に分かるというか納得がいくんです。
…プロレスはスポーツや格闘技ではなく、舞台演劇に近い、そこにルールや勝負はあるものの、ときに無効試合や乱闘というものもあり、よくわからない世界であるけれど観客を惹きつけ楽しませることを至上命題とする、私はTAJIRIの論をそう理解しています。そしてTAJIRIはプロレスはマニアだけのものになってはいけない、老若男女に受け入れられるべきものであり、いま九州プロレスはその意味で成功しているから入団したと言っています。TAJIRIが惹かれた九州プロレスの理事長、筑前りょう太氏もレスラーなんですが、筑前氏は北九州大会のあと弊社事務所にも御礼にいらっしゃったという律儀な人です。彼は筋金入りのプロレス好きで大学卒業後はここもプロレスの本場であるメキシコで修行したそうです。
メキシコでも人気があるプロレスですが、明日のWBC日本戦で観客はプロレスのマスク(覆面)を被って応援するという話をテレビで見ました。日本人の多くがいまだにコロナ対策風のマスクを外せないのと対照的なメキシコです。メキシコという国は政府と麻薬組織がウラで繋がっているとかいうキナくさい話もあり国全体がまるでプロレスのようなハチャメチャさです。日本でWBCをめぐる雰囲気はというと日本野球の強さ、大谷やヌートバーはじめ選手達のクリーンさや素敵さの強調が目立ちます。プロレスに比べたら真剣で大真面目なんですが、今私の気持ちはWBCより九州プロレスの方が優勢です。強くて上手くて真剣にやって勝つ、という世界も悪くないんですけど、なんだかその合理性があまりにも強いとそれは利益や効率追求の仕事に通じていて、私はそれをちょっと遠慮したくなる冷めた気分もあります。非合理的で面白い世界を作ることを一生懸命にやっているプロレスは皆さんにおススメですが、まだマスクを外せないような日本人には理解しきれないものかもしれませんね。

野球に興味が無い人にも読んでもらえるでしょうかシリーズです。野球の世界選手権的な大会、WBC(ワールドベースボールクラシック)が行われています。さすがに知らない人はほとんどいないと思いますが、二刀流大谷選手(以下大谷に略)が日本代表に参加したことにより世間からの注目は2倍増しかそれ以上です。野球が好きであればあるほど、彼の凄さは実感するところです(ここまでのWBC4試合は相手が弱くて仮に大谷抜きでも楽に勝てましたが)。凄い選手が現れるのを見るにつけ、一般ピープルの私たち庶民が人生で目指すべきはなんでもよいので何か詳しく知っている物事や趣味を一つ二つ持っておくことだと私は思います。私はプロ野球や高校野球を小学生低学年だった頃からずっと見ていますので、大谷が過去の日本プロ野球界史上最高の選手であることが実感できます。ニワカにWBCを見てオオタニさーんなんて騒いでるアナタ、実は何が凄いのかあやふやでしょう?…自分は積み重ねたものがない人生、刹那的な人生、流される人生だと感じている人がいるとしたら、私は自分の3大趣味の野球、釣り、競馬のオッさんセット(女性向きではないですね)をおススメします。他人との会話のきっかけにも良いですしね、そして趣味は多くの人を惹きつけているものの方が間違いないとも思うところです。自分の殻に閉じこもるためのものは趣味とは呼べないと思いますよ。
そんな野球好きな私だからこそ、WBCに対しての不満もあります。人間は興味があることだからこそ不満を持ったり批判したりするものです。なので昨今言うところの誹謗中傷などにしてもそれは興味の裏返しですから、プロ野球選手や芸能人など有名著名な人たちは一般ピープル(←この俗語が私は好きだ)からSNS上で何か言われたって受け流し、ときには参考にするくらいの度量と技能を身につけてほしいと私は思います。所詮スマホの中で騒いでいるだけなんですから…。私の不満は大谷は格下の中国戦ではなく韓国戦で二刀流を披露してほしかったということです。その後の出場スケジュールもあり中国戦でピッチャーと打者の二刀流をやって見せた大谷ですが、現状の中国チームが相手では大谷は役不足(=物足りない、の意味であることをあえて補足しておきます)で、正直なところ敵役として弱すぎなので大谷はじめ各選手が一生懸命やる相手ではないんですよね。野球に詳しいアナタならこの私の意見はわかるはずです。なぜ中国戦で大谷がフル回転してみせたかというと、それは中国相手では観客が集まらない、TVの視聴率が取れないという心配もあったからで、その辺の興行的なところにも応えてみせる大谷はやはり役者なんでしょうけど、私はプロ野球の歴史上の良きライバルの韓国相手にぶつけてほしかった、まあ大谷は打者として韓国をコテンパンにしましたけどね。
その韓国戦があった日、私と仲が良かった先輩からLINEがきました。その先輩とは2013年のWBCの台湾戦を東京ドームで一緒に観戦し、あまりの熱戦で感動しました(今大会のここまでの試合は私は凡戦だと思う)。試合終了後に私たちの後ろにいた台湾の人たちと健闘を称え合うくらい素晴らしい試合でした。先輩はこの度の韓国戦を東京ドームに見に行っており、台湾戦が思い出されるね、もう10年だねとのLINE、私がいま北九州にいることやコロナもあり疎遠になっていましたが、野球という趣味のおかげでこうやって久しぶりに連絡を取るきっかけができました。では今度のゴールデンウィークには飲みましょう!ということにしました。趣味は人生を素晴らしいものにする、少しセンチメンタルですが私は強くそう思います。

前回ここで私の実家(広島市)で飼われている猫(18才、オス、名をコシロ)がそろそろ寿命かもということを書きました。猫が好きな方のみならず気になると思いますのでその続きです。…3月2日、天寿を全うしました。認知症状態の父は寝ているだけじゃないのかと言い張ったとか、そんな父であってもコシロの死は受け入れられないものだったのかもしれません。母も寂しいことこの上ないと思います。コシロは仔猫の頃は私の弟が飼っていたのですが、弟の仕事と住まいの事情により両親宅にて飼われていました。コシロの体調の衰え、不調のさなか母が腰骨を骨折してしまい、コシロや認知症の父の世話も兼ねて私たち夫婦や弟が2月は広島市の実家にはよく行きました。コシロの今際の際(いまわのきわ、死ぬ間際の意)は元の飼い主である弟も立ち会い、亡き骸は弟が引き取りました。弟の住まいである大分県国東市の家(=父の実家)にはかつて畑だった広い空き地があり、そこに生えている毎年沢山の実をつける橙の木かレモンの若木の根元に埋めてやるとのこと、私はそれは良い弔いだと思います。コシロが来年以降は香りの良い橙やレモンの実を成らせてくれることでしょう。
ペットロスという言葉を昨今聞きます。私がよく聴いている上沼恵美子のこころ晴天というラジオ番組でも、昨年上沼氏のペットの犬が亡くなった際、それはもう大層な悲しがりようで涙ながらに飼っていた犬について語るさまはいつもの上沼氏のキャラクターとは全く異なりました。上沼氏が言っていましたがなぜこんなにもペットが可愛いのか、それは言葉を話さないからだと、なるほど一理も二理もあります。犬猫は満足も不満も言葉では表さない、そこが飼い主の人間の心をとらえて離さないというのは本当にそうでしょうね。…私たち人間は他人を批判したり、他人に文句を言ったり嘘をついたりします。その言葉はときに真実をついてしまい人を悩ませ、傷つけます。そして人は人を嫌いになる、自分に甘いことを言ってくれる人を良い人だと勘違いしたりします。残念ながら人はそのくらい弱く自分勝手なもの、それゆえにペットの犬猫をどうしようもなく愛してしまう、スーパーやドラッグストア、ホームセンターに行けばペット関連の商品は山ほど並んでいます。私はそこに現代人の精神的な弱さを感じます。自分の味方はペットだけという孤独な人が増えているとしたら、ちょっと心配な日本です。
…コシロが旅立ってしまったというLINEを母から受け取った私たち夫妻、こんなとき母の長男たる私は何の言葉も持ち合わせていません。実母に歯の浮くような慰めの言葉をかけるのはどうもしっくりきませんし、実際申し訳ないですが私自身はコシロの死はさほど悲しくないですから…(冷たくてすみません)。しかしながら、義理の娘、嫁である私の妻(社長)はコシロはお母さんに可愛いがられた一生で幸せだったはず、コシロも感謝しながら旅立ちましたよ、とかまあ気の利いた文面のLINEを送ってくれました。義理や他人の関係同士の方が力強い言葉を使えるものだな、そしてLINEというツールがペットの死を巡るやり取りにはちょうどいい、電話したりや手紙書いたりするのもなんだかね、なんて妙な感慨を抱いたりしました。人間の使う言葉というものは不思議なものですが私はこの言葉を恐れず怖がらず生きて行きますよ。

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