↓大畠さんのツイートから。

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『いつでも見られるから今日はいいや』

なんて感覚は東京在住者に限った事だろうな・・・

僕ら地方在住者は、プロレスラーであれ役者さんであれ、東京を中心に活動する人に会える機会なんて稀だから、その機会は逃したくないよ。

プロレスの試合だって、100個あれば100個とも違うので、そりゃ全部見れりゃそれに越した事はないけど、お金のかかる事でもあるし、全部なんて不可能だ。

『会いたくなったらすぐ会いに行ける』
のも、東京やその近郊在住者に限って言える事だからなぁ・・・



昔・・・、そう2004年〜2006年ぐらいまでの間・・・

今現在はWWEで大活躍しているASUKA(明日華)さん、そう当時の華名さんを追いかけ倒していた時期がある。

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↑現在WWEで活躍中のASUKA(明日華)さん



無我夢中とは正にその事で、大阪在住の僕が、年に何度も東京へ出向いては華名さんの試合を観戦し、試合後は華名さんとポラを撮って、お手紙や差し入れを手渡していた。

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↑僕が追いかけていた頃の華名さん



地方興行ともなれば、それこそ札幌から鹿児島まで追いかけた。

なぜそこまでしていたのか?・・・

話は簡単。

大阪での試合がなかったから。



華名さんがデビューした団体『AtoZ』は、大阪や近畿圏での試合が極端に少なかった。

少なかったというより、華名さんが在籍していた期間、大阪での試合はたったの1度だけで、その1度は華名さんが怪我で欠場している時だった。

大阪で待ってたって会えないのだから、そりゃ東京まで行くでしょうよ!・・・て事で、当時の僕は高速バスを駆使して、しょっちゅう東京へ足を運んでいた。

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↑デビュー2年半で一度引退した華名さん


当時の華名さんはデビューして半年で手首を骨折してしまいその後4ヶ月間の欠場、復帰後また1年弱で体調を崩してしまい、キャリアわずか2年半で早すぎる引退をしている。

その後約1年半の期間を経て復帰。
復帰をしてからの華名さんはファイトスタイルを変え、フリーとしての活動の基盤を作り、自主興行も行うなど、セルフプロデュースを充実させていく事となる。

一度引退する前には禁止されていた関西弁も、フリーとなってからはそんな縛りも消え、自由な大阪弁で男女の垣根なく色んな選手と交流し、プロレス界全体にその名を轟かせる存在となる。

大阪での試合も増えたのに、なぜか僕はデビュー当時ほど追いかけたいと思わなくなっていった。

なんか、実力的にもあまりに強くなりすぎて、また固定ファンも飛躍的に増えて、僕が応援しなくても・・・的な考えになっていたのかも知れない。


華名さんが復帰してからアメリカへ旅立つまでの約8年間、たまに見に行く興行に華名さんが出ている時に少し言葉は交わす事はあっても、僕が彼女のデビュー当時の様に日本中を追いかけ回す様になる事は、ついになかった。



彼女がアメリカへ旅立つ直前に、現在の僕の家から一番近い『生野区民センター』での試合があり、久しぶりに彼女の物販に並び、顔を合わせ、言葉を交わした。

デビュー当時は全くなかった、大阪での試合で最後に会えた事は、今では良い思い出。



アメリカへ渡ってからの華名さんはASUKA(明日華)と名を変え、アメリカデビュー以来無敗を続け、2018年4月に行われた『レッスルマニア』でシャーロット・フレアーに敗れるまで、約2年半で
267連勝を記録するなど、日本からアメリカへ渡った女子レスラーとしては最も成功を収める大スターとなっている。


今のところ、WWEでの活躍は好調で、日本凱旋の予定はない。

もしかしたら彼女はこのまま、WWEに骨を埋める道を選択するかも知れない。




僕は今現在、『東京女子プロレス』にフリーとして参戦している瑞希(みずぴょん)を応援している。

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↑我らが『みずぴょん』こと『瑞希』


みずぴょんとの馴れ初めはまた別の機会に詳しく書くけど、Twitterでご縁が生まれて、応援するようになった。

初めてみずぴょんと言葉を交わした場所も、華名さんと最後に言葉を交わした場所と同じ、『生野区民センター』だった。


まだ『東京女子プロレス』(以下:東女)に参戦する前の『ブリバト♡』として活動していた頃、2016年の8月に、松山勘十郎が主催する『松山座』に参戦した時だった。

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↑『ブリバト♡』時代のSAKI & MIZUKI


以前から『ブリバト♡』の事は知っていたし、神戸出身の瑞希(当時はMIZUKI)という存在も気にはなっていたけど、言葉を交わすご縁はこの時が初めてだった。

『一回みずぴょんと喋ってみたかってん!』

これがみずぴょんと初めて言葉を交わした時の、僕の第一声だった。

物販にいつも長蛇の列が出来る『ブリバト♡』の神対応は評判通りで、一人一人に丁寧な対応をする『ブリバト♡』が人気あるのも理解できた。

長い時間並んで待っても、絶対に損した気分にさせない『ブリバト♡』の二人の対応の良さは、心地良かった。



しかしそれから間もなく、2016年の11月に、『ブリバト♡』は所属団体である『LLPW-X』との契約を満了し、退団となった。

まだ次に上がるリングも決まらないまま、所属団体を退団した『ブリバト♡』の二人は、事実上の無期限休業状態となった。


彼女達のファン歴の長い人はともかく、僕はまだみずぴょんと接したのは1回キリで、まだこれから何度も繰り返し会うことで覚えてもらおうと思っていた矢先の事だったので、このままご縁が途絶えてしまうのは勿体ないと思っていた。

けど、焦っても仕方ないし、Twitterのリプとかで焦らせても悪いし、
『まぁ引退した訳じゃないし、いずれどこかの興行に参戦するところから、また再スタートすれば良いんちゃう?』
ぐらいに思って、気長に待つことにした。



年が明け2017年を迎えたが、ひと足先に主戦場をみつけたのはSAKIの方で、MIZUKIはまだ次に上がるリングは決まらないままだった。


そんな折、2017年の3月に、MIZUKIの『東京女子プロレス』定期参戦が発表され、それに伴いリングネームを『瑞希』と改めた。

みずぴょんのキャラが、『東女』にピッタリなのはすぐに気づいた。

2017年4月、『東女』の成増大会で『瑞希』は現在の主戦場となる『東女』にその第1歩を記し、程なく行われた『東女』の大阪大会で、僕はみずぴょんとの再会を果たすことが出来た。

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↑2017年4月30日『東京女子プロレス』大阪大会にて


その時はさすがにみずぴょんも僕のことは覚えてなかったけど、その後定期的に行われる大阪大会には必ず足を運び、Twitterでは常にリプを書き、そして何より試合のチケットを、みずぴょん本人にお取り置きをお願いする事で、覚えてもらえるようになった。

2018年は3ヶ月に1回のペースで大阪大会があり、その度に必ずチケットをみずぴょん本人にお願いし、試合当日は必ずお手紙と差し入れを欠かさず持参し、みずぴょんも僕の応援は喜んでくれているようで、差し入れを時折みずぴょんがインスタに上げて下さる事もある。
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↑8月の名古屋大会では赤福を差し入れ。
めっちゃ喜んでくれた!



今では大阪大会の常連となっている。

本当を言えば、みずぴょんの試合はもっともっと見たい。

今現在は東女のタッグチャンピオンになっているみずぴょんだが、タイトル戦の大半は首都圏だし、イベント事もほとんどが東京である。

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↑タッグチャンピオンとなってからは、必ずベルトを携えてリングに上がるみずぴょん!



でもまぁ、今の僕はかつて華名さんを追いかけ回していた頃と状況がまるで違う。

経済的にも、時間的にも、背負ってる事情も・・・


だからおいそれと東京へは行ってられないし、それに来年は東女の大阪大会が2ヶ月に1回のペースで開催される。

2ヶ月に1回のペースでみずぴょんに会えるのなら、今は無理すべきではない。


それは、みずぴょんの神対応が、本当に一人一人分け隔てなく変わりないからである。

しょっちゅう会いに来れる東京の常連ファンと、僕らみたいなたまにしか来れない地方のファンを、分け隔てなく接してくれるみずぴょんの対応が本当にありがたくて、嬉しいのだ。

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↑いつも神対応ありがとうやでー!


その神対応がありがたいお陰で、大阪大会しか足を運べない僕みたいなファンでも、みずぴょんとの関係は良好である。


たから今は無理せず、この良好な関係を保ちながら、みずぴょんの活躍を応援出来たら良いなぁ・・・て思っている。

 






 


正直なところ、中島安里紗の退団を今でも根に持ってるPURE-Jの人達って、人間としてちっちゃいなって思う。

新人時代の中島を拾ってやったとか、恩着せがましいにも程がある。

もう済んだ事。
過去の事。

久しぶりに道場に顔を出した中島に対して
『お久しぶり』
って出迎える人が一人も居ないとか、『村根性』丸出しで吐き気がする。



そりゃ〜人間だから色んな感情は持つだろうし、団体が大変な時に裏切って出て行った奴を、憎んだり恨んだりする事も、一時的にはあって良いと思う。

ただ、出て行った本人が用事があって久しぶりに戻ってきた時に、その感情のまま接する事が、人間としてちっちゃい。

まるで自分達だけが大変な苦労をした様な被害者意識でもあるのか?

『オレ達が大変な時に、みんなで一丸となって頑張ろうな!…てやろうとしていた時に、自分だけ勝手に出て行った奴が、どのツラ下げてここへ来たんだ?』

みたいな反応、気分が悪くて本当に吐き気がする。


人の人生なんて縛れないし、旅立った側にも苦労はある。
楽な選択肢なんてないんだよ。
どの道を選んでも、その行く先には苦労が待ち受けているものだろう。

それを解ってやれんのかね?



同じ様な事といえば、藤本つかさがさくらえみに対して持っていた感情もそうだった。

さくらはアイスリボンを捨てて出て行き、残されたつっかが一人で大変だったのは確かだが、それがあったからこそ今のアイスリボンがある訳で、さくらえみが残っていたら、いつまでもアイスリボンはさくらえみの色が強い団体だったと思う。

結果オーライだとは思わないか?



つまり、人と人は『恨みっこ無し』であるべきだと思う。

出て行く者と残る者、それぞれの生き方なんだ。



さくらえみに限らず、アイスリボンからは志田光、里歩、帯広さやか、真琴、希月あおいなどの選手が退団し、別の場所へと旅立っている。

それに関して、藤本つかさがこんな風なコメントを残している。

『出て行った人の気持ちは分からない。
私は出て行かれた方なので、出て行かれた人の気持ちは分かる。残された人がどれだけ大変か・・・』

確かにそれはそうかも知れない。

出て行く奴は勝手だ。

気に入らない、合わない、面白くないと思ったら、簡単に『出て行く』という選択をする。

しかし、僕もどちらかと言えば『出て行く』側の人間なので・・・

むしろ『出て行く側』の気持ちが分かる。


『居場所がなくなる』感
『この場所でのやり切った』感
『心が通じ合わない』感・・・

『出て行く』事を決意する人達の、そんな空虚な気持ちや寂しい気持ちはよく分かる。


反対に、その場所を守るために歯を食いしばって残る人達の気持ちや苦しみも、分からない訳ではないのだ。

自分が勝手である事だって、十分理解している。
だから本当は、『出て行く』という決断は、心苦しいのである。
本当に決断するまで、何度も何度も、考え直すのだ。

出て行くか?…踏みとどまるか?…心の針が左右に揺れ動くのだ。

結局は、『出て行く』方に針が傾く。

しかし、そうなるまでには、長い葛藤がある。


長い間、その場所で頑張って来たのであればある程、『出て行く』と決めた事への罪の意識も大きい。

でも、決めてしまったのだ。

そんな『出て行く側』の心の葛藤と、熟慮と、罪の意識は、『残る側』にも理解してほしいと思う事もある。

でも、『理解できない』と言われてしまえば、それはそれで仕方ないのかも知れない。
自分は勝手な事をしているのだから・・・。


これが、『出て行く側』の気持ちだ。





僕は何年か前に、藤原竜也と山本裕典が主演の
『鱈々(だらだら)』
という名の舞台を観た事がある。


とある倉庫に住み込み、荷物の管理をしている二人の男の物語だ。

二人は荷物の中身など知らない。
倉庫へ送られてくる荷物を黙々と積み上げ、その日に出荷するべき荷物を運び出すだけの毎日。

藤原竜也の演じる男は、その毎日の仕事を自分の任務として疑わず、毎日の職務と向き合って過ごしている。

山本裕典の演じる男は、変わり映えしない毎日に嫌気がさし、外の世界へ旅立ちたいと思っている。

やがて二人は様々な出来事を通して意見を交わし合い、対立する。

そしてとうとう山本裕典の演じる男が、倉庫から旅立ってしまう・・・

というストーリー。



どちらが正しい訳でも、どちらが悪い訳でもない。

どちらが『楽』で、どちらが『苦しい』とかもないだろう。
それぞれに苦楽はある。

つまり、『生き方の違い』に過ぎないのだ。


倉庫の中での仕事と生活こそが自分の天職、自分の居場所と信じ、毎日の職務に向き合う男を、誰も咎める筋合いはない。

かと言って、そんな毎日に嫌気がさして旅立った男には新しい人生があり、それが社会的に悪事や迷惑行為でない限り、それはその人の生き方として尊重されるべきものだろう。


つまり、お互い『恨みっこ無し』だ。



出て行く者と残る者とは、それぞれの考えや生き方の違いによって、袂を分かつ事になる。

そこには、お互いがお互いを認め合って尊重し合う事が大切ではないか?



だからこそ、『PURE- J』の人達の中島安里紗に対する接し方は、気に入らなかった。

中島を恨む筋合いなんかない。

仮にそれがプロレス特有の『ブック』であったとしても、こんな恨みつらみや恩着せがましいコメントなど、『犬も食わないブック』だと思う。



加えて言うなら、つっかが、さくらえみを恨む筋合いもない。

さくらえみが、アイスリボンを捨てて出て行ったからこそ、つっかはリーダーシップを発揮する事となり、現在のアイスリボンへと繋がって行くのだから。

つっか自身も、大変な苦労をして現在のアイスリボンを作ったからこそ、人としての魅力が増したんだと思う。



昭和の村組織じゃないんだから、もっとその辺、出て行く側と残る側のそれぞれの生き方が尊重される、そんな世の中であっていいんじゃないか?・・・て、そんな風に思うんだが。

どうだろうか?・・・























2005年(平成17年)4月25日。

午前9時18分頃というのが公式な記録のようだが、兵庫県尼崎市のJR福知山線で、信じられないような列車事故が起こった。

それが世に言う『JR福知山線脱線事故』である。


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このほど、経営トップ三者の刑事責任を問う裁判が最高裁まで争われ、三者とも無罪が確定した。

その判決に関して、被害者、遺族の方々の無念さは大変なものと思えるが、無情にも司法の判断は、危険予知の難しさと、ATS(自動列車停止装置)の設置義務のない事を理由に、経営トップの刑事責任までは問えないと判断したのだ。


重大な事故を引き起こした大手企業の、組織罰を問うべきだと主張した被害者、遺族の方々の無念さを思うと、僕個人の意見を申し上げるのは心苦しいのだが、実は僕も、この司法の判断は概ね妥当であるという立場にある。



ではどういう事故だったかを振り返ってみるが・・・



朝のラッシュアワーが一段落した午前9時過ぎ、宝塚発→同志社前ゆきの快速電車(1両20m × 7両編成)が、伊丹駅を1分半遅れで発車したのち塚口駅を通過後、現場となる半径300mの急カーブに、制限速度の70km/hを大幅に超える116km/hで進入。
遠心力による片輪走行をしながら脱線し、どう見ても『空を飛んだ』としか思えない状態で、正面のマンションに激突したもの。

1両目はマンション1F部分の駐車場へと突っ込み、横転しながら大破。

2両目はマンションの外壁に叩きつけられ、くの字に湾曲した上に3両目に押さえつけられるように大破。

3両目は進行方向から180°向きを変えた状態で脱線し、2両目を押さえつける形で停止。

4両目は対向線路に乗り出す形で脱線し停止。

5両目は進行線路上で脱線し、車体を右に傾けた状態で停止。

6両目と7両目に関しては進行線路上に残り、大きな被害はナシ。

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運転士を含む107名が死亡、562名が負傷するという、日本鉄道史上に残る甚大な被害を出した。

犠牲者は1両目と2両目に集中しており、両車の生存者は数える程しか居なかった。


ラッシュアワーこそ過ぎていたものの、まだ午前9時過ぎに大阪市内方向へ向かっていた電車の車内はそこそこの乗車率であり、座席はほぼ埋まっていて、立っている乗客がドア付近にもたれたり、吊り革を握ったりしている状態だったと思われる。




この事故の原因にせよ責任の所在にせよ、すべて事故後の第三者による調査と推定からでしか特定されないのは、ひとえに当事者である運転士が死亡している事にある。

そのため、運転士がこの様な無謀な運転をするに至らしめたJR西日本という会社の、組織的な責任を問わざるを得なかったのだ。

それにより明るみになったのは、ミスをした乗務員に対する懲罰的な勤務の存在や、人命・安全よりも利便性・効率性を優先する経営実態であり、それはそれで社会からの厳しい批判を浴びる事になったが、それらはあくまでも間接的原因であり、直接的な原因や責任を実証するものではなかった。


それでも、誰も責任を問われないのは社会として不健全であるし、それが企業である以上、経営トップが責任を問われる形に、なるにはなったのであるが・・・


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もともと検察は、JR西日本の経営トップを起訴する事には消極的であった。

状況証拠だけで、有罪に持ち込む事が難しいと判断していた。

しかし、それでは収まらないのが被害者、遺族であり、これだけ甚大な被害を出しておきながら、企業の誰も責任を問われない事には納得が行かないのも当然だった。





確かに、事故後のJR西日本の取った対応は最悪としか言いようがなかった。


事故の直後、JR西日本は事故の原因を置き石だの粉砕痕だのと、まるで自社に責任が無いかのような発表に終始した。

事故現場が高架線路で、電車の運転間隔も分刻みで、置き石など出来ようはずもないのに・・・である。


また、当該する事故車両にはJR西日本の社員が同乗していたが、付近の住民が一丸となってボランティアで救助活動をしているにも関わらず、会社からの出勤命令に従い現場を離脱。
救助活動には一切参加しなかった。


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さらに会社内では別の部署が懇親ボウリング大会を行なっていたが(ド平日の朝っぱらからボウリングもどうかと思うが…)、事故のニュースを知ってもボウリング大会を中止せずに続行していた。

現場では何の罪もない多くの人が、JR西日本が勝手に引き起こした事故により命を落とし、また大怪我をし、付近の住民が懸命に救助活動をしていたのにも関わらず・・・だ。

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大企業であればある程、こういう
『オレらの部署は関係ない』
的な体質にはなりやすいが、人命を預かる企業がこういう危機意識の乏しいのは問題であると言える。


しかし、これらの企業体質を生み出したのも経営トップの責任である部分も否めないが、だからと言って法律的な刑事罰を問うには、事故との直接的な要因としてはあまりに乏しいのである。

結果的に、検察は経営トップを不起訴にしたものの、被害者、遺族の根強い処罰感情に後押しされる形で、検察審査会が起訴に持ち込み、経営トップの刑事責任は問われる事となったが・・・



最高裁まで争われた結果、控訴は棄却され、経営トップの無罪が確定した。





経営トップは、全く責任を問われなかった訳ではない。

問われたが、法律上では有罪にできなかっただけである。



無罪が確定したからと言って、自分たちは何も悪くないんだ・・・という様な顔は、間違ってもしないで頂きたい。

人命・安全を軽視した経営体制や、乗務員に対する懲罰的な勤務の存在が、運転士を追い詰めたのは紛れもない事実なのである。

罪に問われた経営トップも、今後の経営陣も、この事故の教訓は絶対に忘れてはならない事なのだ。

法律的に裁くことが出来なかっただけだ。

そこは肝に銘じてほしい。



しかし・・・




ここで今一度問い詰めたいのが・・・



当該車両を事故に至らしめた、運転士本人である。




確かに経営陣も社内の体質も悪い。


しかし、一番悪いのは、運転士本人であろう。



運転士・Tくん(実名は伏せます)


君が事故車両もろとも命を落としてしまったがために、生き残った被害者や遺族は、怒りの矛先を持って行くところを失い、その責任の所在は経営トップに向けられる事となったのだが・・・

一番悪いのは自分自身だと、本当は解ってるんじゃないのか?


それとも、やっぱり自分を追い詰めた会社が悪いのかい?


おそらくだけど、君はもし生き残っていたとしても、その被害の甚大さを知ったら、遅かれ早かれ自殺していたかも知れないね。



今さら死者に鞭打つ様な事を言っても仕方がないのは解ってるけど、僕も鉄道好きの一人、しかも『乗り鉄』として思うところ、そして今だからこそ君と話したいと思うことが山ほどあるのだよ。



教えてくれないか?

あの時、どんな事を考えて、あのカーブに突っ込んで行ったの?


宝塚駅を出る時の気持ちは?

川西池田駅で停止位置を間違えた時の気持ちは?

伊丹駅でオーバーランしてしまった時の気持ちは?


公式な発表では、116km/hでカーブに差し掛かった・・・て、されてるけど、本当はもっと出ていたんじゃないの?

その列車に乗っていた乗客が、『快速電車と言うより、新快速に乗ってるぐらいの速さだった』
と、証言している。

JR東海道線を走る新快速は、最大130km/hまで出す事もある。

半径300mは確かに急カーブかも知れないけど、そんなカーブ、日本中のどこにでも存在していて、どこの電車の運転士も、そこを安全な速度で通過してるんだよ。

しかし、君の運転する電車はそのカーブを曲がれずに、明らかに空を飛んで、マンションに体当たりしたんだ。


自分でもビックリしたでしょ?

まさか自分の運転してる電車が、空を飛ぶなんてね。

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厳しい事を言うけど・・・



君は電車の乗務員としては、不適格としか言えない。


車掌をさせれば居眠りばっかりで、運転をさせればオーバーランばっかり。


職務に対する真剣さも足りないし、同じミスを何度も繰り返す。


そして君は、乗務員として絶対に忘れてはならない、一番大切な事を見落としていた。




人の命を預かっているという事・・・



普通に運転してれば、何事もなく通過できるはずのカーブで、君は先を焦って電車を暴走させ、挙げ句の果てには106人もの人を道連れにして自殺したんだ。

たくさんの人を巻き添えにしたし、いまだにその後遺症に悩む人もたくさんいる。


確かに、そこまで君を追い詰めたのは会社だ。

正常な精神状態を失うほど、追い詰めたのはまぎれもなく会社だと思う。



でもね・・・


それでも君は、電車を運転する限りは、人の命を預かっている事を、一瞬たりとも忘れちゃならないんだ。


それは、ミスった時こそ、電車が遅れた時こそ、忘れちゃならない。


厳しい事を言うなら、もし自分が運転ミスを理由にクビになったとしても、自分のクビと引き換えにしてでも、人の命は護らなきゃならなかった。



それが、運転士ってものなんだ。




君みたいな、自分のミスを隠すために人命を軽んじる、不適格な運転士のために、何も悪くない人たちが犠牲になったんだ。



合わない仕事は辞めなさい。

部署を変わりなさい。


そんな、本当の意味で厳しい手を差し伸べる人は、当時の社内には居なかったのかも知れないけど・・・



事故の本当の責任は君自身にある。


どんなに会社の体質が腐っていても、
乗客には関係ない。

乗客一人一人の命も人生も生活も、それを動かす運転士にかかっているのだ。


それを忘れた、いや、もともと考えていなかった君は、乗務員になるべきではなかった。


誰も幸せになれない事故は、二度と繰り返して欲しくはない。

 

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