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「自己治療の支障」治療が目的でない、立派な人になるのが目的である。
目的を忘れて治療はない。
「安心立命」は目的でない。声明を全うする手段である。
向上を忘れて、いたずらに安逸の立命を求めるのは、邪道であり小乗であり、迷信であります。

【森田正馬全集第4巻:森田正馬著】


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心配ごとを安心したり、忙しいのを落ち着いたりしようとするのは、それは「難きに求む」以上のことで、まったく不可能の努力であるのである。
以前に香取さんが、退院の頃かと思うが、「不安心に常住すれば、はじめてそこに安心立命の境地がある」という意味のことをいわれたことがある。
なかなかうまいことをいったものである。
しかし一つの公案を通過するはやすいが、香取さんは、最近までも「忙しいときは、ハラハラする」という「諸行無常」、すなわち世の中の絶えざる変化という事実を認めることができないで、ずいぶんたびたび私のところへ来て、いろいろなことを質問して、私の期限を悪くしたことがあった。
忙しいときはハラハラする、注射が未熟なときは、手が震える、難解な読書は骨が折れる、人前は恥ずかしい、不潔はいやらしい、みなすべて「諸行無常」すなわち固定・常住でないとうことの事実である。
この事実をそのまま認識さえすれば、はじめて安心立命に到達し、強迫観念が解消する。
心配ごとをも、作為をもって安心しようとするから、そこに迷妄が起こり、絶えざる不安心に駆られるようになるのである。

【森田正馬全集第5巻:森田正馬著】


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僕も子供のときは、坪井君と同様に優越感があった。
母の話に、僕が三、四歳のとき、本と石盤とをあてがっておけば、世話は少しもやけず、独りで遊んで、そのままときどき眠っていたかということであった。

五歳のときから学校に行って、非常によくできた。
その時代には、年二回試験があって近村の数校の生徒が集まって、試験管が出張した。
その当時の僕の漠然とした記憶に、祖父や母やに連れられ、試験の時間外には、お菓子をもらって、食べたことや、試験官が、黒板に難しい漢字を書いて問うのを、僕が他人の分までも、片っ端から答えて笑われたりほめられてたりしたことを憶えている。
それが五、六歳のときのことである。
なお小学時代は、先生がたびたび入れ換わり、かつずいぶんつまらぬ先生もあったので、教育はまったく乱暴なものであった。
十二のとき、高等科を終えたけれども、僕の村は、高知から五里の否かであり、中学校などのことは、僕はまったく知らなかった。
年中わけなく、がき大将で、遊ぶばかりで、二年間をまったく怠惰で過ごした。
十四のとき、母がはじめて、高知へ連れて行って、中学校へ入れてくれた。
中学で、もっとも恥ずかしい目に合った思い出は、作文のできなかったことである。
これが僕の第一印象で、それから劣等感に支配されることが、メキメキと進歩した。
「君子は上達し、小人は下達す」ということがあるが、僕はそれから、グングンと下達したのである。
僕も、もし坪井君のように、順調にいったならば、同様に優越感が続いたかもしれない。
どっちにしても、、僕が神経質の素質だということは、免れないかと思うのである。

【森田正馬全集第5巻:森田正馬著】


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