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・患者はまず仕事の能率上、はなはだ損害になるこの不快な容態を完全に治しておいて、その後に大いに奮闘しようとする欲望にかられている。
強迫観念でも皆、これと同様であって、まず全ての心の内に起こる邪魔な考え、不快の気分を一掃して、充分に人生の幸福を享受しようと欲望するからである。
読書恐怖で、ちっとも読書ができないと訴えながら、学校の成績の優秀なるものが多いという事実をみても明らかなことである。
  
『神経衰弱と強迫観念の根治法』 森田正馬 著 


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・神経質患者が、独断で自ら耳が過敏であるというのは、自分のたてる音や、気に入った騒ぎには平気であって、他の音がやかましいということである。
私はこれを仮性過敏と名づける。
真性の過敏、例えば、熱病とか、結核性脳膜炎とかいう時には、自分の音でも、全ての音に過敏になるのである。
これも神経質が常に自己中心的であるということの一つの現れとして見ることができる。
  
『神経衰弱と強迫観念の根治法』 森田正馬 著


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・室外でブリキ屋が音を立てているときには、誰でもやかましくてうるさい。
しかし自分がブリキをたたいている時には、少しもやかましくない。
それはなぜであるか。自分でうつ時には、強く弱く、早く遅く、各々その程度に応じて、自ら心が緊張して、全身に力が入り、打たない時には、心が弛緩して楽になる。
他人の打つ時には、このように自由に、適切に、精神の調和をとることができないから、したがって注意が散乱され、心がかきみだされるのである。

・だから我々は、もしブリキ屋の一定のリズムをおぼえて、その音と自分の心の緊張、弛緩との調子を合わせることができれば、けっして心を き乱されることはない。
音楽やリズミカルな音が割合にうるさくないのは、その調子を会得されやすいのであって、ブリキ屋やその他の雑音がうるさいのは、自分との調子が合いにくいからである。(略)

・神経質や強迫観念の人には、こんなことのできない人がはなはだ多い。
私も神経質で、少年時代からすこぶる種々の症状を経験してきたものであるが、こんなことは、上に述べたブリキ屋に対する心理を会得しさえすればできることである。
しかし修養、練習を要することはもちろんである。

『神経衰弱と強迫観念の根治法』 森田正馬 著


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