お知らせ


 心が外に向かっていって、ほかの人とのかかわりが見えてくると、人の温かみが感じられるようになる一方、怒りなどが感じられたりもします。しかし、楽しい感情も不快な感情も含めて、いろいろな感情を感じること、それが自然な流れです。

  こういったことを通じて、いろいろな感覚を実感として得られるようになってきます。今までは「映画を見よう」などという気も起きなかったのに、「何か見にいってみようか」という心の余裕が出てきて、映画の主人公に共感して泣いたりすることができるようになります。もちろん、それだけでは悩みは解決しないかもしれませんが、悩みを解決する勇気は出てくるはずです。 

 人間は変化するもの、変わりえるものということを忘れてはいけません。そして変化を恐れないことです。変化にこそ、可能性があるのです。

  人の感じ方や気分は瞬間瞬間で変わっていくものです。たとえば、何かちょっといやなことがあって、そのことばかり考えていたとしても、次の瞬間、偶然友だちに会って、自分ではそれほど意識していなかったのに、着ているものが「素敵ね」とほめられたりすると、何だかうれしくて幸せな気分になります。そこで、さっき考えていたいやなことを思いおこしてみると、悪いのは相手ばかりでもないかもしれないな、と思えたりします。それくらい瞬間瞬間で人間の心は変わりえるものです。

  それが、ひとつの悩みや不安、心の傷にあまりに強くとらわれてしまうと、このような変化を感じることができなってしまう。目の前に新しいかかわり、新しい出会いがあっても、その可能性に気づかないし、どんな言葉も上滑りして、心に届かなくなってしまいます。 

 悩み始めたら、常に変化の可能性に立ち戻ることが大切です。変わりえる力を信じることです。自分の心にまだ柔軟さが残っていれば、たとえば本を読んだだけで変わっていくこともできます。心の持ち方ひとつで悪循環になるという説明を聞いただけで、腑に落ち、自分を変えていく努力ができる人もいます。

  自己発見や自己確認を最も確実にするのは、やはり行動を通した体験です。本を読んで、そこから行動に向けて一歩踏み出すことで、実際の経験が生まれます。読んだ本を起爆剤にして、行動をおこし、発想ややり方を変えてみる。自分の注意を外に向けて、そこで何を感じたかを見ていく。それが経験です。そのあとで起爆剤になった本を読み返してみると、また違った実感が得られるでしょう。

  頭でっかちの完全主義は返上し、実際の経験から得た知恵を生かすこと。これが悩みにとらわれたり、そこから逃げ出さずに、悩みと上手につきあい、自らの成長の糧とする秘訣なのです。

 「くよくよするな」といわれても…くよくよしてしまう人のために 著:北西憲二 法研



 夫婦に限らず、上手に人づきあいをしていくためには、相手との距離感を的確に把握することが大切です。しかし、二人だけでいるときには、相手との距離感を測ることが大変むずかしいものです。互いが孤独を感じているからといって、その二人の間が遠いのか近いのか、どのくらいの距離なのかは、当人たちだけではわからないのです。 

 ですから、この距離を測るには、もう一人、別の誰かが加わることが必要です。第三者が加わって、三角形になるとその距離を測ることができるのです。二人に加わるもう一人は、共通の友人でもいいし、相談役みたいな人でもかまいません。二人の近くにそういう人がいれば、二人の距離感を保つことができます。 

 二人の関係がぴったりと閉じられていて、誰も入れないような関係だと、恋人どうしても距離が取れず、破綻します。恋人どうしの関係に限らず、友人関係でも、二人だけでくっついているといずれうまくいかなくなってしまいます。このことは、恋人どうしの関係だけでなく、あらゆる人間関係の原則です。たとえば、友だちどうし三人、四人とグループで緩やかにつきあうほうが、長く関係を続けていくことができます。このほうが、お互いが少しずつ不満を持ちながら、うまくそれを解消していけるのです。なぜなら、どんなに仲のいい恋人や友人でも、相手にまったく不満がない、ということはありえないのですから。

  夫婦の間でもよく、「子どもができて、ギスギスしていた二人の関係が変わった」ということがあります。それは、夫婦二人のほかに、子どもという第三者が入ることで、それまでの緊迫した状況が変化した、ということです。 

 結局、二人で一緒にいるのも楽しめるけれど、それぞれがどこか別に楽しめる場所を持っているとか、共通の友人を持っている、といったことが、夫婦、恋人の間の距離をほどよく保つための重要なポイントです。常に二人だけで、何かじっとりと閉じこもったような関係は、実は、仲がいいというよりは、要注意の関係なのです。誰か訪ねてきたら家に招き入れて、一緒にもてなしたり、どこかに招待されたら一緒に出かけられるような、ほかの人間とフランクにつきあうことができる開かれた関係であれば、互いに心地よい距離感が保てます。 

 私たち治療のなかでも「家族面接」あるいは「夫婦面接」といって、問題を抱えた二人の間に、治療者というもう一人の人間を入れる方法があります。こうすると当人どうしの関係が三角形になって、互いがもう少しよく見えてくることがあるのです。治療者は、問題のある二人が互いの距離感を確認するための役割も果たすわけです。こうして互いの距離が見えたところで、初めて話せるようになる、率直な言葉をかわせるようになるということがあるのです。

  当人たちとは違う第三者の見方が入ったり、人間関係が外に向けて開かれていないと、その二人の距離は取れなくなってしまい、自分たちの距離が近すぎるのか、遠すぎるのか、わからなくなってしまいます。こうして二人は悩みながら、破綻を迎えてしまうのです。 

「くよくよするな」といわれても…くよくよしてしまう人のために 著:北西憲二 法研



 もうひとつ友だちどうしの関係で、こだわらないほうがいいのが、「一生の友」という考えです。
よく「本音で一生つきあえるような友だちを持ちなさい」などといわれますが、私はこの言葉には疑問を持っています。
むしろ、この人とは一生のつきあいだ、などとかまえないほうがお互いにいい関係を保てます。友だち関係は変化をともなう関係なので、およそ十年くらいのサイクルで変わっていくのが自然でしょう。
相手も変わるし、自分も変わる。
ですから、いずれ離れていくのも自然だし、また違う誰かと出会い、新しい関係が始まるというのもごく自然なことです。
お互いが変わっていくのに関係はそのまま、というほうがむずかしいのではないでしょうか。
なかには、互いに変わりながらも何かの縁で一生つきあっているという人もいますが、それはたまたま結果としてそうなったということだと思います。
「この人とは一生つきあうぞ」という、かたくなな思い込みがあると、かえってその関係は長続きしなくなります。

 「くよくよするな」といわれても…くよくよしてしまう人のために 著:北西憲二 法研

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