月別アーカイブ / 2017年01月



彼女は今朝も驚く時間まで寝てた。疲れてるんだろうな。走っていったよ。


明日はねーねの13歳の誕生日。





ねーねが何歳の時だったか、生まれる前のお話をしてくれて。以下、想像の世界か本当かはご自由に。



ーーーーー雲の上でおじいさんがいてね。神様みたいな。私の周りには、保育園のお友達や学校のお友達がたくさんいて、「どこへ行きたい?」と聞かれたの。ママとババが泣いているのが見えたから、私はあそこへ行きたいっていったんだよー。ーーーーー



もう13歳のティーンというのになったので、なんでも自分で、なんでもイヤで、でもママがイヤだと言うと追いかけてくる。なんでもイヤなイヤイヤ期。ねーねは今はじめてのイヤイヤ期。


昨日は6時間以上、ねーねの部屋を掃除したけど、まだまだだから、今日も引き続き。ひとなみのレベルにしたい。



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小松菜と豆腐の味噌汁に卵入れて、ご飯は昨日のパエリア的なやつのおにぎり。明日から工夫して、フルーツも入れよっかな。




私もお母さんになって13年。そろそろ中堅どころ。しっかりしてね。ガンバ






今日も明日も明後日も
みんなが幸せでありますように。



めぐ留♡ウイズラブ 






子供たちはおばあちゃんとレッスンへ行ったので、その余暇にお風呂でも入って、掃除してと思っていたけど、「あら、このベーコン早く食べなくちゃ」ってことで、チャーハンじゃなくてパエリアにしようと思ったのがまずミス。


これ、いつできるかなのレベル。まず、鍋が開いてなかったので、深めのフライパンでやってる自体がかなりのロスで、その間心配でお風呂には入れず、ガス台の前で座ってる。



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流しに飾った蘭は、頂いた花束の中で唯一残ってるもの。まだまだ大丈夫そう。






サタデイナイトは難しすぎて聴いているだけだったオーティスレイディングの好きなうたを、ちょっとうたっていたら。それまで、ちゅるるるる...バンバン...とやってた3歳児がぱたっと止まって、急に深刻な顔をして、くうを見ていた。


シーンとしたら、ひとことだけ私にお願いをした。それは、なんでそう思ったかもわからないし、誰かの言葉をキャッチしちゃったのかもしれないし、私の心を読んだのか、英語の歌の意味がわかったのか謎だけれど



二人でギューっとして、大泣きした。



私と彼にしかわからない言葉だったけれど、泣けた。



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これ一応パエリアw生米から。




こどもは不思議だ。


あたたかい愛。


ありがとうね。







今日も明日も明後日も
みんなが元気でありますように。



めぐ留ウイズラブ



今年から一個やめようと思ったのは、「お母さんらしい」というもの。




意識の高い私としてはwwwもちろんPTAや参観日に、チャカカーンみたいなキラキラ衣装では行きませんが、何もかも「お母さんらしい」から考えるのはやめようと。


もともと家の中では、子どもと同じレベルで生活していて、12歳娘はかなり上、3歳児に関しては同じかちょい上の、私からうまれたはずの命ですが、追い越されています。


なので、いくらがんばっても、クタクタになるので、もうその辺りはあきらめた中で、それでも節度を持って〇〇ちゃんのママをやりたいと思います。


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今日は白菜&ベーコン&玉ねぎのトロトロコンソメスープと、佃煮withくるみのおにぎり。味のりはおやつに入らないだろうと思っています。



昨年の6月のある日。父と30分くらいの会話でしたが、泣けるほど嬉しくて、自立コンプリート的な達成感を感じた日の事を思い出しました。

ガメさんという人のblogにインスパイアされたのだと思う。ありがとうございます。




母方のおじいちゃんは目の色などがおかしかったし、父方の方はやけに毛深いし、それでもうちの家族のルーツはいまいちわからないですが、どちらも極貧と金持ちを一代のうちで何度か繰り返す家系です。


父方のおじいちゃんは結構な大所帯の漁師の親方で、おばあちゃんは函館の大きな御宅のお嬢様だったのに、おじいちゃんがニシンの移動を読み違えて失敗。なので父らは小学生の頃からずっと休む暇なく働いている。

母方のひいおじいちゃんは、稚内の旅館経営から、関東大震災で材木業に切り替えて、一儲けし今のショッピングローン的なのを始めた途端に亡くなって、女子供で路頭に迷い、拾った傘を駅で売っていたらしいけれど。畳も作れないくせに畳屋と傘屋を始め、ある時に駅の再開発で、長年住んでいた借家が土地に変わった。


金の卵の父15歳と母17歳は、ビビビッとレーザービームが走ったといい恋に落ちて、その後「津軽海峡冬景色」とともに、青函連絡船で駆け落ち。飛行機で来た親に連れ戻されるも、袋屋、畳屋の修行を得て、ハレて結婚できたものの、母の民謡教室は父によって拡大されていき、私も先生んちのまぁまぁ裕福な家に育ったものの、やめて民謡をぶっ壊したために撃沈。今に至る。





みんな何かに賭けることが好きなファミリーらしい。




私自身も残っていた猫の缶詰食べるような、水しか飲めないような日があって、家賃も払えないといいつつも、驚くような大金を稼ぐような日があって、下行ったり上行ったりしてるから、なにが起きても毎日余裕なんだと思う。




そんな父は、歌手になるというのを反対した自分の父親の遺言のように、私にも「食べれないような事はやめて」と私に教え、全くもって相手にされていなかったし、応援された覚えもない。


途中「趣味ならいいんじゃないか」と、慰められ、父自身もそれで納得しようとした日もいっぱいある。



うちの3歳児のように、私は親の言う事をいっさい聞かずに、学校にも行かないし、家出はするし、芸事と親の嫌いなバイトや仕事で大きくなっていった。


でも昨年の6月に、これまた親の反対する曲で、仕事をしたところ、なんとまぁ、珍しく世間様から賛辞を受けた事があって。


「いいうただった。誰も真似できないようなうただった。久しぶりに演奏者と歌手の勝負を聞いた気がした。お前は俺の言う事聞いてたらダメだ。ダメだって言う事をして、うまくいってる。もう気にしなくていいからさ、なんでも好きなようにやりなさい」って。


私は自分ではもっと、上手にやれたはずと思っていたので、とても驚いて

「もっとうまくって、あれ以上にどうだったの?いやらしくなるだけだ」

とまで、褒められた。


嬉しかった。
本当に嬉しかった。



父も60すぎて、人のおじいちゃんになって変わったんだな。



母はといえば、もともと遊ぶために生まれて来たような人だから、昔から庭に金のなる木があったら、「いくら欲しいんだ?」と言って、欲しい分だけあげたいと言ってる。多分、そんな木はないかもしれないけど、思い続けたら叶うかもね。



私ももう少しがんばって、うちのタニマチを救ってあげたい。







今日は世の中が暗いので、とても眠いけれど、ねーねが「私今日から本気で勉強する!」と言ったので、少しは部屋を片付けてあげようと思う。


社会の闇を示しているような部屋。




今日も明日も明後日も
みんなが元気でありますように。





めぐ留♡ウイズラブ

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