月別アーカイブ / 2018年10月


本日、内容重めです
後で読むのもありです。

近しい誰かが
天にめされた時…

ここ最近、
そんな場面に足を運ぶことが何度もあって

言葉通りの意味ではないのだけれど

誤解して欲しくはないのだけれど

そして、
否定も肯定も
して欲しいわけではないのだけれど

亡骸をおくる場所において、
「私に悲しむ資格はないな」と
そんな思いに絡められました。

(資格という言葉は本当は
的確ではないけど)
なんとも言い難いのだけれど。

というのも
私は、その事実を、どこかで
ごまかせる。
そして、ずっと、そうして来ている。

岡崎さんだってそうだ。

今ココにいない、会えないという事実を
長い旅行に出かけている、とか
本当の意味では、実感のないまま、
思い出だけで、生きていけている。

でも
一番つらいのは「家族」

おはよう、おやすみ
いってらっしゃい、ただいま
今日さ~
あのね…
要らないものを買ってくる
ちらかす、かたずける

昨日まで、または少し前まで、交わせていた
「普通の会話」が、その瞬間をもって終わる。

お父さん、お母さん
おじいちゃん、おばあちゃん
妻、夫
兄弟、ペット

ずっとそこにあった、
当たり前が突然なくなる。

正直、
わかっていたつもりだったけど

とても近しい、好きな人がいなくなる事と

一緒に暮らしていた家族がいなくなる事は

凄く、凄く、違う。

悲しみは、
ソコめがけて
とてつもない勢いで襲いかかる。

想像したら怖くなった。

悲しくなったのではなくて、怖くなった。

残った私物
食器
鞄、洋服

毎日、毎日、目覚める度に
どう向き合えばいいんだろう。

実父は、
私が結婚して家を出ていたこともあって
離れて暮らしていたから大丈夫だった。
闘病もしていたし、
「やっと楽になれたね」と、少しほっとした。
もう、体を出ていいよ。ゆっくり休んでねと、
素直に思えた。

死は、誰にも必ずやって来る
平等性は全く無いけれど
やっては来る

「いつか」と思わないで
「いつでも」と思って
まじめに「終活」しようとさえ思った。
そして、ちゃんと、ノートを買った

それは、今すぐに
自分の「死」を想定しているのではなくて
生きているうちに、出来ることはしなくては!
という気持ち。

行きたい旅行に行くとか
食べたいものを食べるとか
見たい映画を見るとか
そういう事の延長にある、
特別じゃない感じで
そうしないといけないと思った。

だからって
ファンの皆さん
林原を突然、心配しないでくださいね。
健康診断してるし!!!
まあ、そーゆー事ではなくて、

これは皆さんへの提案でもあるのです。
(10代、20代の子の場合は、
父さん、母さん,じいちゃん、ばあちゃんへね)

想像したくないけど逃げないで
誰にでも、必ずや、いつの日か訪れる死に
悲しみは癒せなくても
愛する人達が、少しでも
困らないように。

携帯のパスワード,
パソコンのパスワード
1つとっても
家族が知らないこと、
わざわざ知らせないくてもよいことの中に
大きな困惑を置いていくことになる。

明日から11月
ハロウインも終わって、町はクリスマスに向けてイルミネーションが光りますね。

秋のさみしさから
冬の楽しみへ

景色に救われながら、
また元気なブログ
ポツン、ポツンと
お届けしたいと思います。










SNS上のニュースの前に

お知らせを頂き
最後のお顔拝見しました。

お通夜当日は、あまりに月がきれいでした
告別式は、足を運べなかったけれど、青空でした。心で、手を合わせました。

またもや、
ずっと信じられないまま行きそうです。

いつも、
お別れの事を、こうやって
SNSに投稿する行為が
どうにも気が引けてしまうのです。

発信することなんだろうか?とも思ったり
公人とはそういうものなのかもと思ったり
最近は、「それ」に少し意味を見いだせて
来ているようにも思います。

沢山の思い出、
溢れる景色や、言葉や表情
それらを
語るということは、
また誰かの中に生きる
ということに繋がるのでしょうか。

発表されたと言う事で
また少し、喪に服させていただきます。

とってもいろいろ考えた
そしてそれはちゃんと、
「いつかは」言葉にした方が
良いかもしれない
と思っています。

バーニィも
八雲も

脳内にずっといます。





東京都 のんさん 21歳より

めぐさんお久しぶりです。LINEブログに移行されてからはじめて投稿させていただきます。気がつけば21歳になっており、色々考え思った上、この度先月末に上京しました。ずっと憧れを持っていた東京。だけど自分は住むことはないだろうなと思っていた東京。今そんな東京に住み、働いています。人生何があるかわからないなと21歳ながらに思いました(笑)自分の人生このままでいいのかな?もっとレベルアップしたいなと思い東京に飛び込んできました。ありがたい事に周りの皆さんは優しい方々ばかりで周りの方々に教えられ助けられながら、新入りとして日々頑張っております。今回上京するという大きな決断をして感じた事は、人生何が正解で何が不正解かだなんてわからないなって事です。実際私は短大を辞めて前の職場で働き始め今は東京で働いています。周りの環境が3回変わっているけれど、どの環境でも様々な経験をしてその経験が今の私を構成しています。その経験が無かったら今の自分は構成されていないと考えると間違った道を歩んできたとは言い切れません。たまーに家で1人でいると寂しくなるけれどそのときは大好きなコナンを見て哀ちゃんに癒されますね。きっと落ち込んでたら哀ちゃんに怒られますものね(笑)

成人式の次の年…21歳
で、このご意見とは…。
頭が下がります。
きっと年齢以上の「経験」を積んでここまで来たんだね。

そして
その経験の結果を「誰かのせい」にしていないから
前が見られているのかな…って思います。

もちろん
後ろを振り返ったり、
後ろばっかり見ちゃったり
これで良かったのかな?と
思う日々や、瞬間はあると思う。

それでも、
後ろに残してきたことは、
前に向かうためのヒントと思って
あなただけの道を歩いてくださいませ。
(* ̄∇ ̄)ノヽ( ̄▽ ̄)ノ

組織を抜けた哀ちゃんだって
これで良かったのかしら…なんて
毎日思いながら

それでも、博士や探偵団や眼鏡の探偵君のおかげで
前を見て…、見ようとして
過ごしている事でしょう。

寂しかったり
落ち込んだりしたところで、
そんな顔は誰にも見せないだろうけど
「わたしも同じよ…」
ってモノローグ(声にはしないで)で言うかもね?



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