本日、内容重めです
後で読むのもありです。

近しい誰かが
天にめされた時…

ここ最近、
そんな場面に足を運ぶことが何度もあって

言葉通りの意味ではないのだけれど

誤解して欲しくはないのだけれど

そして、
否定も肯定も
して欲しいわけではないのだけれど

亡骸をおくる場所において、
「私に悲しむ資格はないな」と
そんな思いに絡められました。

(資格という言葉は本当は
的確ではないけど)
なんとも言い難いのだけれど。

というのも
私は、その事実を、どこかで
ごまかせる。
そして、ずっと、そうして来ている。

岡崎さんだってそうだ。

今ココにいない、会えないという事実を
長い旅行に出かけている、とか
本当の意味では、実感のないまま、
思い出だけで、生きていけている。

でも
一番つらいのは「家族」

おはよう、おやすみ
いってらっしゃい、ただいま
今日さ~
あのね…
要らないものを買ってくる
ちらかす、かたずける

昨日まで、または少し前まで、交わせていた
「普通の会話」が、その瞬間をもって終わる。

お父さん、お母さん
おじいちゃん、おばあちゃん
妻、夫
兄弟、ペット

ずっとそこにあった、
当たり前が突然なくなる。

正直、
わかっていたつもりだったけど

とても近しい、好きな人がいなくなる事と

一緒に暮らしていた家族がいなくなる事は

凄く、凄く、違う。

悲しみは、
ソコめがけて
とてつもない勢いで襲いかかる。

想像したら怖くなった。

悲しくなったのではなくて、怖くなった。

残った私物
食器
鞄、洋服

毎日、毎日、目覚める度に
どう向き合えばいいんだろう。

実父は、
私が結婚して家を出ていたこともあって
離れて暮らしていたから大丈夫だった。
闘病もしていたし、
「やっと楽になれたね」と、少しほっとした。
もう、体を出ていいよ。ゆっくり休んでねと、
素直に思えた。

死は、誰にも必ずやって来る
平等性は全く無いけれど
やっては来る

「いつか」と思わないで
「いつでも」と思って
まじめに「終活」しようとさえ思った。
そして、ちゃんと、ノートを買った

それは、今すぐに
自分の「死」を想定しているのではなくて
生きているうちに、出来ることはしなくては!
という気持ち。

行きたい旅行に行くとか
食べたいものを食べるとか
見たい映画を見るとか
そういう事の延長にある、
特別じゃない感じで
そうしないといけないと思った。

だからって
ファンの皆さん
林原を突然、心配しないでくださいね。
健康診断してるし!!!
まあ、そーゆー事ではなくて、

これは皆さんへの提案でもあるのです。
(10代、20代の子の場合は、
父さん、母さん,じいちゃん、ばあちゃんへね)

想像したくないけど逃げないで
誰にでも、必ずや、いつの日か訪れる死に
悲しみは癒せなくても
愛する人達が、少しでも
困らないように。

携帯のパスワード,
パソコンのパスワード
1つとっても
家族が知らないこと、
わざわざ知らせないくてもよいことの中に
大きな困惑を置いていくことになる。

明日から11月
ハロウインも終わって、町はクリスマスに向けてイルミネーションが光りますね。

秋のさみしさから
冬の楽しみへ

景色に救われながら、
また元気なブログ
ポツン、ポツンと
お届けしたいと思います。