月別アーカイブ / 2018年04月



世界を変えるのは誰なのか。

個人がピックアップされる時代とはいえ、盛り上がっているのはごく一部な気がしてならない。

訪れる変化を真っ先に享受し、それを見た大衆は沸き立つか、混乱に陥る。

その時、自分はどこにいるのか。
仮に限りなく中心にいたとして、変化を素直に抱き締めてるのか。

破滅衝動が強いわけじゃないけど、この世界があらゆることで満ち溢れてしまったら…


全部、終わってしまっていいと願っちゃう私がいる。


これからのヒトたちの価値観は別にして、例えば今あるものが無意味なことばかりになったら私にとっては生き辛さしかない。

もしかすると、結婚の制度も無くなるかもしれない。
そうしたら、愛することはどうやって体裁を保てばいいのか。

私たちの感情は、とってもシンプルで知らず知らずのうちに様々なシステムが作用している。

イマのシステムが消えたら、激変したら、弾圧の対象になったら、果たして私たちは私たちでいられるのか。

私たちは、誰に生かされ、生きているのか。

私たちは、ダレなんだ。


期待によく似た恐怖でやってくるミライにゲシュタルト崩壊するか、イマが終わるか。

それとも、終わらせるか。



この感情も、誰かのモノだったら、早くシャットダウンさせたい。


ねえ、ダレなの。



マドカ・ジャスミン







お世話になっていた西麻布のとあるバーへ数ヶ月に行ってきた。

これまたお世話になっている人の知り合いが私のファンらしく、ぜひ会いたいということで事に至ったわけだ。

最近、プライベートでオトナの人と会う回数が少なくなっていたのもあって、ちょっとばかし緊張していた。

しかも、ファンときた。
振る舞いや言葉で幻滅されたら…なんていう恐怖心もあった。

「初めまして」とあって、色々話してみる。
お酒も入ってくれば、ぎこちない会話もなんとかスムーズに進みだす。

相手の方は既に書籍を購入してくれたらしく、あれやこれやと内容についての話を持ち出してくれた。

発売日当日の例のイベントでや、友人からの直接のフィードバックはあったけれど、いわゆる“ファン”の人からの生の声はちゃんと聞くのは初めてだった。

自分よりも年上の異性が、それはそれは内容について細かく話してる姿に感心というか、自分のことじゃないような不思議な感覚に陥っていた。

そんな折、相手の方はこう言った。
「実は色々仕込んできてね」

そう言って自分の鞄を見せてくれると、そこにはウルトラマンティガのキーホルダーが。

思わず、子供染みた声を上げ、喜んだ。

また、その人の携帯のアラームが鳴ったと思えば、その曲は宇宙戦隊キュウレンジャーの主題歌。

さらに声を上げる私に相手の方も嬉しそうだった。

書籍の中には、新録コラムが三本収録されていて、その内の一つに特撮作品についてのものもある。

残念なことにそれについて触れてもらえている感想は、ネットにも存在していなかった。

確かに“マドカ・ジャスミン”的ではないし、好き勝手に書いたものだから、仕方ないことだとも思っていた。

けれど、目の前のその人は、私の“好き”を汲み取って、わざわざ披露してくれた。

とんでもなく素晴らしいことだ。

「嫌らしい!」なんて言う人もいるかもしれない。
だけど、好意を抱く相手の好きなものを示すことは褒められることに違いない。

好きだということ。それは理解。
理解がなきゃ、好意も押し付けがましい感情として消化されてお終い。

自分の好意を理解し、相手の好きを理解する。


こんな簡単なことで、きっと世界はもっと楽しくなるのにな。

世界を動かすのは、こんな酷くシンプルな感動で十分なんだと思ったそんな夜。



マドカ・ジャスミン



“社会人になる前夜”

“学生としての最後の夜”

そんな言葉が並ぶ友人たちのSNSを眺める。
世間一般の、大学生だった22歳たちが社会人のスタートに備え、寝支度をし始めているであろう午後23時前。

入社式なんて存在しない私は、今後取り組んでいく仕事の話の合間にこう問われた。

「君は、なんで生きようとしてるの」

「なにそれ」

「生きるのって、意思を持って生きるのって大変だから」

社会人の定義をどこに置くかは別として、進学先の門を開けた同い年とは違い、社会人となってから五年が経っていた。自分の名前を仕事にしだしてからは、三年が経つ。

それぐらいの時間が経ったところで、焦燥感と「自分は何も持ってない」は消え去っていない。

そもそも、何故私は今、こうして生きているのだろうか。
学歴社会からドロップアウトしたとはいえ、フツウにシアワセな生活を送ることは選べたはずだ。

なのにも関わらず、私生活や経験をお金に換え、時に激昂し、時に絶望し、息絶え絶えになるような道を歩んでる。
得たものも多い分、捨てざる得なかったものもそれ以上にあった。

それでも、足を進めるしかない。
何故なら、まだあの子がこちらを見てくれないから。

自分勝手なオトナたちに踏み躙られ、やりたいことを奪われ、声を上げることすら禁じられたあの子。

どれだけ周りが賞賛するような結果を産んでも、彼女は体育座りで俯いたままだ。

暗闇の中、ひとりで座り続けている彼女は、昔の私。
非力でか弱い、私自身。

昔の私は、まだ私を認めてくれない。
それどころか、時折呟く。

〔どうせ、誰かに壊されるんだよ〕
〔頑張ったって、欲しいものは手に入らない〕

〔結局、ひとりぼっちなんだから〕

ノイズのようなそれに支配され掛ける時もあるけど、そうなったら私の生きる意味は無くなってしまう。
だから、今日もまた、明日もまた足を進めるしかない。

例え、その先に嵐のような批判が待っていようが、先に行くしかない。じゃないと、あの子が生きてくれた意味が無くなるから。

こちらを向いて、笑ってくれないから。

「まだ何もやり遂げてないし、私の中にいる小さい時の自分が厳しいからね」

「惣流・アスカ・ラングレーみたいなやつ?」

「まあ、そんな感じ」




君が望んでいた22歳の春とは少し違うけど、それでもまた今年も桜を見れたよ。

いつか光の中で微笑んでくれるその日まで、私はどんな困難にも立ち向かって行く。

あの悔しさ、悲しみ、その他全部を昇華させるその日まで、私は君を抱いて生きていく。



さて、今日も、新年度も、
必死こいて生き抜いて生きましょうか。



マドカ・ジャスミン

↑このページのトップへ