「あの時は本当に頭が真っ白でさ」

ヘラヘラしながら語るその人に相槌を打ったのはいつのことだったか。

大切な人を侮辱されて起こした行動とはいえ、語られる内容はモラルからは大きく反していた。
深刻な内容とは裏腹な彼の表情もまた、私にとっては理解し難かった。

「…すごいことしたんだね」

「まあね、よく覚えてないけど」

よく覚えてないのかよ、という指摘を飲み込み、じゅるじゅると氷の溶けかけたアイスカフェラテを啜る。

「君も分かる時が来ると思うよ」

「そんな物騒なことしないから」

「どうだろうねえ」

したり顔の彼に若干のムカつきを覚えるが、オーダーしていたパフェがテーブルに置かれると、注意はそちらに逸れた。

「人ってな、他人から見たら狂ってると思われることも、出来ちゃう時があるんだよ」

その言葉よりも、フォークに刺さった苺の方が大事だった。鮮やかな赤いそれを突き刺す銀色のフォークは、いつ見ても私の心を見事に躍らせるのだ。





深い闇に映えるのは、自分が着ている赤のワンピースと地面に刺さる銀色の草刈り鎌。

獲物を捕えた手はぎりぎりと力を増しているが、不思議なことにまるで感覚がない。

静かな夜に不釣り合いな荒い息、叫ばれる名前、どちらも自分のものな気がした。獲物から離され、拘束された身体は強張り、まだ尚、獲物を狙い続ける。一向に瞼は閉じない。

そう。私は、人生で初めて、"キレた"。

昔から友達に危害が加わることがあれば、声を荒げ、泣いたことも何度かあった。

友達が大切だったのは前提としても、それが所謂"キレる"だったのかは、確信が持てない。

思いやりもだけど、何よりも「ここで怒らなければいけない」という強迫観念が強かったのか、もしくは同情心だったからなのか。何せ心から危害を加えた相手を本気で憎んだことは無かったから。

その私が、人生で初めて"キレた"。

こう例えるのもおかしいけれど、その感覚は性行為中によく似ていた。頭が真っ白になり、思考ではなく行動にギアが変わる。血も上っている。

無我夢中に、獲物を始末しようとしている。

我に帰った瞬間は、不謹慎にも、ある意味快楽に似たモノを感じてしまった。同時にその間の記憶が曖昧なことにも気づいた。

秒速で階段を降り、そのまま素足で外へ飛び出し、獲物を捕らえる様はどうやらジャガーのようだったらしい。足裏はたしかに泥で塗れていた。


"人ってな、他人から見たら狂ってると思われることも、出来ちゃう時があるんだよ"


狂ってる。そう言われても仕方なかった。
いや、実際狂っていた。

だとしても、悲痛なあの人の声に理性を捧げた自分の本能が間違っていたかも分からない。


"人ってな、他人から見たら狂ってると思われることも、出来ちゃう時があるんだよ"


それならいっそのこと、狂い尽くしてやりたい。


「ああ…そういえば、あの続きは」


"大切な人を侮辱されることは、その人を大切にしてる自分を侮辱されてるんだよ"


"そんな時にまで守りたい理性って、何なんだろうな"


「違う。私はただ」


自分を守りたい為に理性を捨てた。自分の世界を守りたい為に理性を捨てた。


自分の世界の中心にいるその人を壊されたくなくて、理性を捨てた。

これが愛と言うならば、愛に狂い、愛に溺れ、愛に殺され、愛に死んでやろう。狂気と呼ばれても構わない。

私は、狂ってる。
美しいほどに狂ってる。




私以外の世界は、醜く汚く狂ってやがる。




マドカ・ジャスミン