月別アーカイブ / 2017年02月






噂。誰しもが毎日のように触れる、噂。


根拠のあるなしに関わらず、日々いろいろな噂が生まれ、広がり、消えている。どんな人であれ、一度は噂を流された経験はあるんじゃないかな。良くも悪くも。


人前に出るようになれば、噂の数は倍の倍のそのまた倍とキリがなくなる。


ふと気がつけば、自分も噂の的になってしまっていた。


検索候補に出てくるキーワードがもろそれで、どこから何を思ったのか、よく分からないキーワードが名前と空間を隔て並んでいる。

噂される分には構わない。好き勝手言ってくれればいい。なぜなら、噂とは大抵噂にすぎないし、事実の曲解でしかないから。

いくらSNSやメディアで中卒だと言ってもどこかの大学に通ってると思われるし、最近はご無沙汰なのにめちゃくちゃ遊んでるとも思われるし、いちいち否定と訂正するのすら躊躇うことばかり。

自分に対する噂以外でも、結局それ通りだった試しはまるでない。「あの人はこうだから」「実はこういうことが」なんて、嘘か気にかける必要がないことがほとんど。

それでも、今日もまた噂し、噂され、会ったことない人から評価され、評価し合う。なんて不毛なんだ。

火のないところに煙は立たないとはいうけど、それでも人から人に移り渡る途中で事実は人それぞれの解釈というフィルターとなり、噂となる。


何を信じるか、何を聞くか、それからどうするか。


すべて個人の自由だけど、自分で触れたもの以外はどういう形であれ、必ず他人の手が加わっていることを忘れちゃいけないよ。わたしも、あなたも。



マドカ・ジャスミン





この先、ラ・ラ・ランドのネタバレ要素も含んでいるので嫌な人は読まないでね。 




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年末年始に映画鑑賞に行くたびにこの映画の予告を目にしていた。予告編は何ともポップでロマンチックなTHE ミュージカル映画な印象。正直、心は動かされなかった。

そもそも、わたしは恋愛映画があまり好きではない。もっと正確に言うなら、恋愛"のみ"が題材になっているものが好きじゃない。というか、嫌い。

ラ・ラ・ランドに関しても、「へいへい、ラブロマンスミュージカルっすね」としか思ってなかった。何せ、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』で眉間に皺を寄せ、『ローグ・ワン』で大号泣する人間だ。また皺を寄せ、理解できない恋人たちのあれやこれを二時間以上観なきゃいけないんだろうと思い、観る予定すらなかった。

なんとなく気の持ちようが変わったのは、ゴールデングローブ賞総なめの一報だった。そう、ただのミーハー心。そんなにいいの?評価されてるの?アカデミー賞歴代最多タイノミネート?まじ?みたいな。ミュージカル映画自体は嫌いじゃないし、何なら高校三年生の最初の授業をすっぽかして観に行ったIMAX上映のレ・ミゼラブルで顔面をぐちゃぐちゃにするほど泣いたこともあった。映画好きの友達も「これは期待大だね!」と声高らか。


「観るしかないな」


と思い、公開初日に鑑賞。もちろん、IMAX。


さて、何て言えばいいのか。…とにかくね、つらい、苦しい、悲しい、どうしようもない。最後の「もしも…」のシーンが過去の恋愛を思い出させてきて、心臓がゴリゴリにやられた。大号泣。「今日の睫毛はいい感じ♡」なんて思ってたマスカラも物の見事に流れた。

よく「理想の恋愛関係は、隣にいる相手と向かい合っているのではなく、お互い真っ直ぐ前を見ている状態」だなんて、偉そうにモテテクを指南する人がいるけど、果たしてそうなのか?間違いなく、セブとミアはお互い前を見ていたし、しっかりと自分たちの足で歩んでた。でも、それでも、"恋愛"としてはまるで駄目だった。お互いがせっせと進んでいってしまったせいで、お互いがお互いの帰り場所にはならなかったからだ。

今わたしも世間から見れば、セブとミアのように「夢を見ている」人たちの一人だろう。だからこそ分かる、この状況で"恋愛"関係になれる相手は自分とは違い、どっしり構えてくれていて、ちゃんとした基盤とゆとりを持っている人じゃなきゃ上手くいかないって。

もちろん、「お互い成長し合える!高め合える!」っていうのも、素敵な関係性だと思うけど、戦場ともいえる外部から帰ってきて、「オタガイセイチョウシアエル!タカメアエル!」なんて繰り返されてたらさすがに気が狂ってしまう。

色んな形はあると思うけど、恋愛は立ち止まってもいい貴重な時間を作れる相手とじゃなきゃ続かないのでは。真っ直ぐ前を見ることができる者同士が敢えて向かい合うのが恋愛ではないのか。 



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わたしが昔好きだった人がいた。大好きだった。距離が縮まりつつあった時期に彼の仕事が軌道に乗り、ドンドンドンドン前へと進んでいってしまった。そのとき、わたしも頑張って追いつけるように走るのではなく、「いつでも戻っておいで」と両手を広げておけば、"恋愛"関係は上手くいったかもしれないなんて、今更思っても仕方ない。

わたしもセブとミアのようにすべてを二人で手に入れる未来を何度も想像して、そのたびに「有り得ない」と笑ってきた。そして、少し涙も流した。


そう、もうその未来はない。「もし…」の話は夢でしか見れないし、夢だからこそ甘く美しいのだ。





以前、イベントでもチラッと話したけど、わたしは出来ることなら「書きたくない」。


本ならいくらでも買ってくれた家だったのもあって、小説から偉人伝、はたまた神話に性教育の本、図鑑、美術書などあらゆる本を読んできた。

中でも、小説が大好きで、小学生の頃はネットに創作小説をあげたりなんかもしてた。

未だに人生で一回だけはきちんとした小説を書きたい気持ちが強い。もうこれは野望だ。


そんなルーツがあり、昔から読むことと書くことは得意なほう。


得意なほう、だったはず。


毎日のように締め切りがあるわけじゃないヌルい書き手だけど、有難いことにコンスタントに書く仕事をいただいてる状況だ。

書くことで世間と繋がり、広がり、わたしがわたしとなる。

そんな感覚があるほど、書くことはわたしの中でとても大きなものになっていった。


けれど、120%の本音で言うならば、わたしは今すぐ書くことをやめたい。「お前何様なんだ?!」と詰められるかもしれないけど、やめたくて仕方ない。

締め切りに追われる時の苦痛、想像以下の反響、求められるアレコレ、自分の低い文章力との対峙。すべてが一気に津波のごとく押し寄せる。逃げたい、書きたくない、波の中でそうもがくわたし。


なぜ書いてるんだろ。


ポツリと漏らしたのは、去年の夏前。
彼は有名なミュージシャン。同じ表現者の土台があるとするなら、限りなく頂点に近いところにいる人。

「書きたくないんだよね」「でも、求められてるからさ」「あと、周りにこういう影響があるから」

ぶつくさ言葉を重ねるわたしに彼は口を開く。

「俺がなんで音楽やってると思う?」

え?と思った。デカい舞台で輝いてる人が何を言うんだ、と。

「お金稼ぐため、お金稼ぐためにステージに立ってる、曲も作る」

「食べてくための手段が音楽だった、それだけだよ」

目の前にいたのは、舞台で輝いてる人じゃなくて、日々いつ死ぬか分からない戦場で戦ってる戦士だった。

「崇高な理由つけて仕事すんな」

「まず食ってくため、でいいんだよ」

「求められて、応える。それで食ってく」

「理由つけてやるのは趣味だよ」



書きたくない理由も、書かなきゃいけない理由もたくさんある。

そんな戯言はどうでもよくて、わたしは今日も書くのは生きるため。食ってくため。


書きたくない、で書かないのは趣味。
そうじゃないから、今日も書く。書くしかないんだよ。



マドカ・ジャスミン

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