“社会人になる前夜”

“学生としての最後の夜”

そんな言葉が並ぶ友人たちのSNSを眺める。
世間一般の、大学生だった22歳たちが社会人のスタートに備え、寝支度をし始めているであろう午後23時前。

入社式なんて存在しない私は、今後取り組んでいく仕事の話の合間にこう問われた。

「君は、なんで生きようとしてるの」

「なにそれ」

「生きるのって、意思を持って生きるのって大変だから」

社会人の定義をどこに置くかは別として、進学先の門を開けた同い年とは違い、社会人となってから五年が経っていた。自分の名前を仕事にしだしてからは、三年が経つ。

それぐらいの時間が経ったところで、焦燥感と「自分は何も持ってない」は消え去っていない。

そもそも、何故私は今、こうして生きているのだろうか。
学歴社会からドロップアウトしたとはいえ、フツウにシアワセな生活を送ることは選べたはずだ。

なのにも関わらず、私生活や経験をお金に換え、時に激昂し、時に絶望し、息絶え絶えになるような道を歩んでる。
得たものも多い分、捨てざる得なかったものもそれ以上にあった。

それでも、足を進めるしかない。
何故なら、まだあの子がこちらを見てくれないから。

自分勝手なオトナたちに踏み躙られ、やりたいことを奪われ、声を上げることすら禁じられたあの子。

どれだけ周りが賞賛するような結果を産んでも、彼女は体育座りで俯いたままだ。

暗闇の中、ひとりで座り続けている彼女は、昔の私。
非力でか弱い、私自身。

昔の私は、まだ私を認めてくれない。
それどころか、時折呟く。

〔どうせ、誰かに壊されるんだよ〕
〔頑張ったって、欲しいものは手に入らない〕

〔結局、ひとりぼっちなんだから〕

ノイズのようなそれに支配され掛ける時もあるけど、そうなったら私の生きる意味は無くなってしまう。
だから、今日もまた、明日もまた足を進めるしかない。

例え、その先に嵐のような批判が待っていようが、先に行くしかない。じゃないと、あの子が生きてくれた意味が無くなるから。

こちらを向いて、笑ってくれないから。

「まだ何もやり遂げてないし、私の中にいる小さい時の自分が厳しいからね」

「惣流・アスカ・ラングレーみたいなやつ?」

「まあ、そんな感じ」




君が望んでいた22歳の春とは少し違うけど、それでもまた今年も桜を見れたよ。

いつか光の中で微笑んでくれるその日まで、私はどんな困難にも立ち向かって行く。

あの悔しさ、悲しみ、その他全部を昇華させるその日まで、私は君を抱いて生きていく。



さて、今日も、新年度も、
必死こいて生き抜いて生きましょうか。



マドカ・ジャスミン