大きな悩みでも、小さな悩みでも大丈夫。
あなたの心の声を聴きます。

そんなコピーを、
タウンページに載せて頂き、
自宅オフィス、訪問&カフェカウンセリングをスタート。

最初のクライエントさんは、
鬱で外に出られない、
求職して、3か月目の女性だった。

傾聴と、ご自宅からカフェへの
中間脱感差エクササイズの平行。
カフェカウンセリングが可能になった頃、
突然、彼女から
別人格が、登場した。
解離性同一性障害だった。

私は、自分の中の
あきらとmarikoを棚に上げて
青ざめてしまった。
その人格間のあまりのギャップに。

彼女の人格が、統合(というよりも同時認知)できるようになり、行動のコントロールができて、職場復帰するまでの数ヶ月間、ただ、傾聴に徹するしかなかった。傾聴の力は、やはり偉大だと思う。

スタートから、ハードなケースだったのだけれど、その後も、ハードでないケースはなかった。

当時は、まだカウンセリングというものが、一般的ではなく、
精神科に何年も通院し、
入退院を、繰りかえされている方が、
もしかしたら、とカウンセリングを申し込まれたり、
通院もできないくらい、動けなくなってしまった鬱の方のご家族からの依頼が多かった。

スタートから15年。
ただただ、ひとりひとりの
クライエントさんに没頭していた。

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カウンセラーには、二種類あって、
傾聴を専門とし、心理療法にはタッチしないカウンセラーと、
傾聴他、各種心理療法を総合的に取り入れるメディカルを目的とした心理療法のカウンセラー。

フロイトから心理学への興味が出発している私は、後者を選んだ。

傾聴についても、各種療法についても、
独学での知識があったので、ただ、資格を得るための形式的受講のつもりだった。

けれども、けしてそうではなかった。

傾聴は、愛や心構えだけではなく、
ただ、真摯に聴けばいい、というものではなく、技術であることを、学んだ。

子供を愛する母親に、
何年も沈黙し続けているクライエントが、
その日会ったばかりのカウンセラーに、
話をはじめる。
愛は母親の方が、深いに決まっいる。
ただ、母親は、技術を知らないだけ。

物理的技術。
お化粧方法、衣服。
色彩。シンメトリー。

座る位置。
手の動かし方。
声量の調整。

言葉の技術 
反復、相づち。
沈黙の聴きかた。

けしてアドバイスをしないこと。

もちろん、愛や真摯さが、

根底になければならない。

個人的関係のある人のカウンセリングは、
困難とされている。カウンセラーもプライベートな領域では、私的価値観や、私的感情があるのだから。
 けれども、私は、クライエントさんを
愛する、家族や、彼や彼女や、友達、先生や、同僚や、上司に、この技術を知ってほしいと思う。

愛が愛として活きるために。
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HAPPY ENDのそのあとは、人は、幸せの維持に留まるのだろうか ?

私は、人にも幸せになってほしかった。

特にも、父たちは、幸せだったのだろうか?思想を基盤に生きていた父たちは、
思想と、自分の幸せと、ほんとうの自分との間に、自己不一致は、なかったのだろうか。

貧しくても、幸せな人もいる。
けれど、貧しくても不幸せな人もいる。
裕福でも、幸せな人もいる。
けれど、裕福でも、不幸せな人もいる。

問題は、自己不一致にあると思う。

私は、もう一度、認知の問題に戻る。
人を認知の自己不一致から、
解放したい。

汝が内なる声を聴け。
人を社会的一般論から解放する、
幾多の優れたアファメーションも、
時がたち、定着すると、
それ自体が、内なる声を遮断する
一般論になってしまう。

認知のレンズには、
一般論というフィルターが、
屈折率を引き起こす。

私は、人の内なる声を聴く、
カウンセラーになろうと思った。
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