へんてこりん①無敵感

三歳の時から、養父母の保護者のつもりだった私には、保護者的存在が無かったかというと、そんなことはありません。私を守ってくれているのは、お空に優しく瞬くお星さまです。

何でも話せて
心の中に答えてくれる。
覚えたてのジョークにも
チカチカと笑ってくれる。
そして、絶対的に守ってもらえているという、安心感。

お星様が、お母さんというのは、
最強です。

幼い時からの私の無敵感は、
そんなところから
培われたのかも知れません。



前回まで·························
(これ連載にしちゃいます)
(このお話は不幸自慢ではありません。私は、へんてこりんに育ったからへんてこりんな感性を持つのか、そもそも、へんてこりんなのかという自己探求のお話です)(続きは更新で書き足します。グッドアイデア😊)



前提 1.母は星

私の母は、45歳の高齢出産、帝王切開で私を生みました。当時はまだ珍しい高齢帝王切開。自分の命と引き換えの覚悟だったといいます。産後の肥立ちが悪く、結核を患い、病床に臥し、
私が3歳の時に、他界しました。

「お母さんはお星様になったんだよ。」

父のその言葉を、私は文字通り信じていました。七夕の日は、夜空の星のお母さんに、おねだりをする日でした。その日、雨が降らなければ、お母さんのために、花火をしました。

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前提 2 çˆ¶äºŒäºº

禅僧だった父は、最愛の妻を喪った後、3歳の私を、学生時代からの彼の親友に預けて托鉢の旅に出ます。
(ネグレクト?)
年に数回、托鉢から戻る父に会うと、
その墨染の人は、いつも何か、夕陽の
ような輝きを放って見えました。
(ファザコン?)
·
実父の親友の養父は、ちっちゃな私が懐いていた大好きなおじちゃんでした。当時としては、もう初老で、仕事をしていなくて、入籍をしていない内縁の妻(養母)と下町の長屋で貧しい暮らしをしていました。

父と養父は、 
仲良しで
よく一緒にお酒を飲みました。

父は、
物静かに、にこにこと、ざるの様に、
いくら飲んでも酔わない人でした。

養父は
泣き上戸、笑い上戸、歌い上戸で、  
飲むと子供に戻ってしまうような人でした。

養母は、
儚げな面持の
いつも語らぬ人でした。
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へんてこりん  ① 守ってあげたい

それだからかも知れません。
養父母に預けられた時
私は、明確に思ったことを記憶しています。

「これからは、私が、おじちゃん達を守ってあげなければいけない。」

3歳の子供でも、兄弟やペットを守ろうとする心理はありますし、親を守ろうとする心理も報告されています。幼い錯覚であるとしても。

そして
私が養父母の保護者であるという認知は生涯続きます。

続




思考の枠組みが、突然、拡がる瞬間がクライアントさんにはありますね。私の視野の範囲で、誘導しては行けないのだと、あらためて思います。

K子さんは、互いの息子が中学の時からのママ友です。もう10年来のおつきあい。一緒にPTA活動をしていた頃から、
彼女と私は、しょっちゅう喧嘩をします笑。互いに、謝りもせず、そのうち、珍しいお菓子を貰ったとか、お漬物が美味しく出来たとか、どちらからともなく、お茶のお誘いをして、仲直りします。

「何か、こないだ喧嘩したよね〜。アハハ」喧嘩したことは、覚えているのですが、中味まで覚えていない。喧嘩したことも懐かしいのです。

ぽんぽんと
ものを言うどうしだから、
ウマが合う。
そんな関係です。

二人とも
子供はもう社会人。
昨日、久しぶりに会って、
歳だよね〜、でもお互い、
歳の割に若いよね〜と
褒めあい、

これからも
一緒に年を重ねていくのだなあと
しみじみ思うこの頃です。

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