ありがとう「神州無頼街」
ありがとうカンパニーのみんな。
みんなに会いたいよう。
会いたい。
無頼街に行きたいよう。
全部の公演…無事に終えられて本当に良かった。
こんなにも、スッキリと全てを出し切れた作品は無いかもしれない。
きっと、「当て書き」だからだなぁ。
あ、未だに、身体中痛いけど。(笑)
ぜんぜん治らない。。。(歳かな)
草臥。
当て書きをしてもらえた役。
自分のための役。自分のためだけの役。
企画を聞いた時、
ワクワクした。
心躍った。
そして、
プレッシャーが半端なかった。
自分のためだけの役。
生かすも殺すも、自分次第か。。。
当て書き=本人
では無いから。
果たして、自分に「草臥」を生かす力はあるのか。
昨今の状況下でのお稽古は、過酷だった。
マスクを付けてのお稽古。
苦しい。息ができない。
でも、喋る喋る動く動く歌う歌う。
マスクを付けてのお稽古。
表情が見えない。
相手の感情をもっと受け取りたいのに。
もどかしい。
でも、本当にカンパニーに助けられた。
みんなで力を合わせて、
想いを合わせて、
進んでいった。
足りないところは、いっぱい話し合った。
過酷でも、困難でも、
決して妥協しなかった。
誰一人諦めなかった。
なぜなら、
僕らは、ここに居られる喜びを、一番大事にしていたから。
「神州無頼街」、中止。
中止を経て、延期。
そして、2年経って、
ここに「居る」
心底嬉しかった。
稽古場は、そんなみんなのエネルギーで満ちていた。
飲みにいけなくても(笑)、
絶対この公演を成功させるぞ!という想いで溢れていた。
お稽古期間から、常に全力を注いでいった。
自分でも経験した事のない激しさ。
身体は悲鳴をあげるし、
稽古場の、最終通しの時に、喉を傷めてしまったのは、
怖かったなぁ。
怖かったし、情けなかった。
なにしてんだよ、、、って。
でも、いろいろ…して、なんとかして、
公演までに治して(そこはプロ根性)、
幕が上がった時の感動は、忘れられない。
だって幕が上がったんだよ?
ついに「神州無頼街」が始まったんだよ。
念願。
想いの結実。
そして…絶対最後まで。
本当に本当にみんなで頑張って、
ずっとずっと、みんなで気をつけて、最後まで来れたんだ。
自分たちで手繰り寄せた奇跡なんだ。
草臥。
面白かった。
当て書きってすごいよ。
ほぼ初めてだもんなぁ。当て書き。(コントを除く)
もう、「演じる」とかじゃ無いところまで、いけた気がするんだ。
当て書き=本人
では無い、と言ったけど、
俺から出る全てが「草臥」だ。ってところまでいけちゃったんだよ。
もちろん、本があって、
演出があって、
なんだけど、
それを踏まえて、咀嚼して、
俺から出たものは、全部俺の「草臥」だったんだよ。
「生きた」んだよ。
草臥の人生を、全力で「生きた」んだよ。
そこまでいけたんだよ。当て書きってすごいや。
でも、それは、
「当て書き」じゃなくてもいけるんだよな。
常日頃、自分は役の人生を「演じる」のではなく「生きる」と言ってるけど、
その想いは変わらないし、今までと一緒だけど、
さらに今回、
役者だから感じる、言葉では説明できないような「何か」を、掴んだ気がするんだ。
だから、
きっと、
これからの宮野は、もっとすごいよ(言うのはタダ)
なんか、久しぶりに、
想いのまま、
ダラダラ書いたなぁ。
ダラダラ喋っても、語り尽くせないくらい、
今回、特別なものをたくさん手に入れる事ができたってこと。
まだまだ、話せる事はいっぱいあるけど、
物語の解釈とか、
勝手に考えてた草臥の過去とか。例えば「父親」の事とかね。
他にも余白をたくさん埋めながら、舞台に立ってました。
あの舞台で発せられるもの全てが「本物」であるように。
あ、でも、話し尽きないので、もうやめときます。
とにかく言いたいのは、
「神州無頼街」、ありがとう。
僕にとって、特別な作品になりました。
という事で、
これからの宮野は、もっとすごいよ(2回目)
きっとね♪
ありがとうカンパニーのみんな。
みんなに会いたいよう。
会いたい。
無頼街に行きたいよう。
全部の公演…無事に終えられて本当に良かった。
こんなにも、スッキリと全てを出し切れた作品は無いかもしれない。
きっと、「当て書き」だからだなぁ。
あ、未だに、身体中痛いけど。(笑)
ぜんぜん治らない。。。(歳かな)
草臥。
当て書きをしてもらえた役。
自分のための役。自分のためだけの役。
企画を聞いた時、
ワクワクした。
心躍った。
そして、
プレッシャーが半端なかった。
自分のためだけの役。
生かすも殺すも、自分次第か。。。
当て書き=本人
では無いから。
果たして、自分に「草臥」を生かす力はあるのか。
昨今の状況下でのお稽古は、過酷だった。
マスクを付けてのお稽古。
苦しい。息ができない。
でも、喋る喋る動く動く歌う歌う。
マスクを付けてのお稽古。
表情が見えない。
相手の感情をもっと受け取りたいのに。
もどかしい。
でも、本当にカンパニーに助けられた。
みんなで力を合わせて、
想いを合わせて、
進んでいった。
足りないところは、いっぱい話し合った。
過酷でも、困難でも、
決して妥協しなかった。
誰一人諦めなかった。
なぜなら、
僕らは、ここに居られる喜びを、一番大事にしていたから。
「神州無頼街」、中止。
中止を経て、延期。
そして、2年経って、
ここに「居る」
心底嬉しかった。
稽古場は、そんなみんなのエネルギーで満ちていた。
飲みにいけなくても(笑)、
絶対この公演を成功させるぞ!という想いで溢れていた。
お稽古期間から、常に全力を注いでいった。
自分でも経験した事のない激しさ。
身体は悲鳴をあげるし、
稽古場の、最終通しの時に、喉を傷めてしまったのは、
怖かったなぁ。
怖かったし、情けなかった。
なにしてんだよ、、、って。
でも、いろいろ…して、なんとかして、
公演までに治して(そこはプロ根性)、
幕が上がった時の感動は、忘れられない。
だって幕が上がったんだよ?
ついに「神州無頼街」が始まったんだよ。
念願。
想いの結実。
そして…絶対最後まで。
本当に本当にみんなで頑張って、
ずっとずっと、みんなで気をつけて、最後まで来れたんだ。
自分たちで手繰り寄せた奇跡なんだ。
草臥。
面白かった。
当て書きってすごいよ。
ほぼ初めてだもんなぁ。当て書き。(コントを除く)
もう、「演じる」とかじゃ無いところまで、いけた気がするんだ。
当て書き=本人
では無い、と言ったけど、
俺から出る全てが「草臥」だ。ってところまでいけちゃったんだよ。
もちろん、本があって、
演出があって、
なんだけど、
それを踏まえて、咀嚼して、
俺から出たものは、全部俺の「草臥」だったんだよ。
「生きた」んだよ。
草臥の人生を、全力で「生きた」んだよ。
そこまでいけたんだよ。当て書きってすごいや。
でも、それは、
「当て書き」じゃなくてもいけるんだよな。
常日頃、自分は役の人生を「演じる」のではなく「生きる」と言ってるけど、
その想いは変わらないし、今までと一緒だけど、
さらに今回、
役者だから感じる、言葉では説明できないような「何か」を、掴んだ気がするんだ。
だから、
きっと、
これからの宮野は、もっとすごいよ(言うのはタダ)
なんか、久しぶりに、
想いのまま、
ダラダラ書いたなぁ。
ダラダラ喋っても、語り尽くせないくらい、
今回、特別なものをたくさん手に入れる事ができたってこと。
まだまだ、話せる事はいっぱいあるけど、
物語の解釈とか、
勝手に考えてた草臥の過去とか。例えば「父親」の事とかね。
他にも余白をたくさん埋めながら、舞台に立ってました。
あの舞台で発せられるもの全てが「本物」であるように。
あ、でも、話し尽きないので、もうやめときます。
とにかく言いたいのは、
「神州無頼街」、ありがとう。
僕にとって、特別な作品になりました。
という事で、
これからの宮野は、もっとすごいよ(2回目)
きっとね♪