月別アーカイブ / 2015年09月

歳をとるということは
それまでは目には入っていても心に留めない
自分のまわりの小さな出来事に気づけるということなのかも知れない。

電車に乗る、バスに乗る
ここ数年で華麗にこなすことが出来るようになったこれらのタスクも
それはそれで楽しいものだし
その移動時間に音楽を聴いたり
ゲームをしたりSNSをやるより
ただ周囲を感じる…のも楽しい。

先日のモネ展観賞の際に
自分の思い込みから遠回りをしてしまったが故に
偶然あの日比谷線に乗ることになり
彼女に出会うことができた。

彼女は揚羽蝶。
鮮やかなブルーだった。
どういった経緯で迷い込んだのか…
天井の蛍光灯の光に沿うように羽をバタつかせていた。


数年前
ぶっちの割と強引な誘いにNARASAKIくんも来るというので
吉祥寺での飲み会に向かおうと雨の降る中出かけ
最寄駅から小田急線に乗った。

最寄駅はカーブがきつく
雨のせいもあり
俺の前に並ぶ年配の女性が突如足を滑らせ
気がついたらホームと電車の間の隙間にスポッと落ちてしまった。
慌てて俺はその女性の背後から抱き起こし
とりあえず助け出し電車に乗ったが
その女性の足から血が流れていて
それが擦り傷程度ではないことに気づき
そういう時は平静を装いたい気持ちも理解できたが
次の駅で女性を降ろし
駅員を呼び救急車を呼んでもらい
平静を装う…から状況を認識し始め不安を感じ始めている…その女性の側に救急車が到着するまでいた。
急いでいることやお金の心配なんかもしていたが
傷が思いの外酷いのではということと
おそらく小田急が処理をするので心配ないと思いますよということを伝えた。

人助けをしたぜい!
と言えるほどのことをしたわけではないが
その場にたまたまいて流れのままにしたことが
そのあとその女性がどうなったかもわからないが
アゲハチョウを見つめながら思い出された。

カオス理論のバタフライ効果(バタフライエフェクト)から逆算すれば
この揚羽蝶を摘みあげ
電車を降り地下を抜け
上野の森に放つことで
例えばパラグアイあたりで竜巻が吹き上がったり
中央アジアの砂漠でスコールが起きたりするかも知れない。

その女性が鮮やかなブルーのスカーフをしていた…なんて重なり合いがあれば
それはもう小説にしてしまうぐらい
頑張ってこの文章を書くのだが
そんな偶然はこの話には存在しない。

が、あのアゲハチョウをあの車輌に
何もせずに留めたことが
今もどこか引っかかっている。

ベランダに遊びに来た
蝶々を見ながらそんなことを考えてる
ただひたすら普通な日曜の午後…である。

どうやら昔から自分は思い込みが激しいようで
割と天然と指摘されるケースも多々。

いつだか「サン・ラザール駅」を新国立美術館で観た時も
実は最初わざわざ自宅からアクセスの悪い六本木まで電車を乗り継ぎ
さあ着いたぜ、と六本木ヒルズの森美術館に辿り着き…という醜態を晒した。

然るに今日は万全、というつもりで乃木坂に降りたったわけだが。

連休明けでガラガラな発券場の前にて勝利のガッツポーズを高々と挙げようとしたわずかコンマ数秒後には
…こ、ここではないな…という異変ぐらいは感じられるのだが
自身の重度の思い込みはツイッターでモネ展オフィをフォローしていようが
確認すらしないという有様だったのだ。

わざわざ回り道をした上に回りくどい書き方になっているが

上野の東京都美術館にて

を観てきた。

先だってのブログでも書いたように
1番の目当ては
「印象、日の出」Impression ,soleil levant


これも四年前のブログに書いたとおり

絵の素晴らしさを言葉にするほどの文章力もないが
ついに目にできた悦びはここに記す。

モネの作品は作品と目と脳と心が一つになるポイント…ピントと言い換えたほうがいいか…があう場所を探すのが楽しい。

「印象、日の出」を通過し
次の間(ノルマンディーの風景〕の
「ヨット、夕暮れの効果」の上手側45度を壁ギリギリまで下がり
振り返ったあたりでの「印象、日の出」がよかった。
ノルマンディーの風景の
「ブールヴィルの海岸、日没」と「ヨット、夕暮れの効果」も素晴らしく
「印象、日の出」と交互に見れるポイントで
何度もその3枚の絵を観ては幸せだった。

1日の終わり
寝る前に本を読む習慣が戻りつつある。
ツルツル読めるのでもう何ターン目かも忘れた
「ローマ人の物語」文庫本全43巻。
現在は14巻「パスク・ロマーナ、上」。

あの、武装したアウグストゥスの彫像の話が記載されていた。

5月28日
山田は楽しみにしていたヴァチカン。
他方、こちらは前日までの遺跡巡りがメインだったために
(そして美術館、サン・ピエトロ大聖堂の規模感を知ってるが故に)
昨日までの能動性も失せ
この日ばかりは山田に煽られ気味だった。

順路もショートカットし
システィーナ礼拝堂の天井画も見終え
名物の螺旋階段に向かう出口辺りで
「あ、アウグストゥス見るの忘れてた」と思った瞬間に
我々を見送ってくれるかのように
ぽつんと置かれたアウグストゥス。

「おー、アウグストゥス」と
その時は感激したのだが
本来新回廊にあるはずだし
こんなところにいるわけないし
台座もちゃちいし
何のためのものかはわからずもあれはレプリカだったのだろう…多分。
「見るの忘れたな、また来るがよい」とこちらを指差す。


これは

共和制という元老院主体の寡頭制に限界を感じ
独り新たな秩序を創造しようとした
天才カエサルが
急進すぎるが故に暗殺され
遺書が公開され
18歳の無名の青年が突如後継者に指名され
以降内戦を制し
35歳にしてローマ社会の絶対権力者になりながらも
カエサルの意思を引き継ぎ
帝政を口にせず感じさせず
ローマ社会と元老院を欺き
初代ローマ皇帝としての地位を磐石にしたアウグストゥスが
帝国内最大の問題であったパルティアとの講和を記念し作られた彫像。

カエサルが
誰もが気づけなかった
ローマ社会の機能不全を感じ
独り新秩序を築こうとした
その原動力とはなんだったのだろう。

アウグストゥスが
カエサルの意思を継ぎ
パスク・ロマーナ(ローマによる平和)を実現した
その原動力とはなんだったのだろう。

男であれば
この世に生を受けた理由を考え
己の存在理由を考えながら生きていく。

あるいは
それを考えること
行動すること
それに執着することで
生かされる。

男がぶら下がるのは
業績の大きさではない。
存在理由がほしいのだ。

「また来るがよい」
「そうしたいと思ってますよ」

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