月別アーカイブ / 2015年05月

アラパキスとアウグストゥス廟

満を持してアラパキス


俺は早くもこの旅のピークをむかえて50の自撮り。


志半ばで暗殺されたカエサルの意志を継ぎ内戦を勝利し唯一の権力者となったアウグストゥスの功績を称え紀元前9年に元老院から贈られたアラパキス(平和の祭壇)は皇帝ファミリーの肖像を今に残す。


ユリウス・クラウディウス朝の繁栄とパクスロマーナ(ローマにより平和)の象徴。


皇帝の家族が神々に生贄を捧げる儀式が描かれ、アウグストゥス、アグリッパ、ティベリウスや元老院議員、子供たちとロイヤルファミリーが連なる。


現在の白大理石の見事な装飾からは想像しづらいが当時はすべてにカラフルな色彩が施されていた。


数世紀もの間ティベレ川の氾濫により沈泥にさらされていたが
16世紀に発掘がはじまりながらも20世紀になった1937年アウグストゥス生誕2000年の記念事業としてようやく本格復旧化し
ムッソリーニの軍事的プロパガンダに利用される形でアウグストゥス廟に並ぶ形で今の場所に置かれた。

アグリッパ、顔でかい。


アウグストゥス廟


アウグストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネルウァの諸皇帝やユリウスクラウディウス朝多くの人々の遺灰が収められていたが410年の西ゴート族のローマ略奪で破壊された。今は発掘する中身もないままのそのままの状態にされている。

アラパキスは4mもの沈泥に埋まり忘れ去られることでキリスト教に大理石を剥がされることなく(ローマにあった建造物の多くが破壊され大理石だけがキリスト教徒に二次利用された)現代にその姿を残し41mあった霊廟は打ち叩かれ中世には城として利用されたりしながら無惨な姿を残す。

隣接するアラパキスとアウグストゥス廟のコントラストが繁栄と衰退の歩みを見ることができ、ローマ帝国の興亡の象徴として切なく感じた。

ポポロ広場

アラパキスを目指したが地球の歩き方の情報に誤りがあり開館30分前についてしまったので予定にはなかったがポポロ広場に。


フラミニア街道からローマを訪れた人の玄関口。
この先まっすぐ行くとフォロロマーノ。


ちょうど通勤ラッシュだったため現代のローマ中心部を目指す人の流れが世界の中心だった頃のローマを目指す人の群れと重なる。

広場というだけあってスタジアム1個分はある広さで東京ならとっくに有効活用されちゃうだろう土地面積をそのまま残していることにも驚かされる。

近くにあったちょっとかっこいいハム屋。

12年前
トレビの泉にコインを投げた恩恵…
というより
ゆえの執着が実って
ついにローマに凱旋(本人の中では)できた。

今回の旅の目的は
前回の旅以降にハマった
古代ローマへの想いを胸に
前回巡った場所への再訪と
前回見逃した場所へ向かう旅。

旅のお供は山田浩文。

俺のうんちくを
カタカナにフリーズしながらも
付き合う羽目となるであろう。

空港に着くなり
このオスティア辺りは
征服・属州化した
地中海の各都市からの物産を
ティベレ川を利用して
ローマに運び入れるために
クラウディウス帝が…
といううんちくからすでに
華麗にスルーされた。

空港からタクシーで
市内にはいるとすぐに
ローマな雰囲気に。


ヴァチカンの城壁は高くそびえ立ち我々を歓迎している。


前回は反対のチルコマッシモ側から
タクシーでローマ市内に入った。
ベンハーの舞台となった円形競技場を
当時は何も知らずに
川の水が流れてない
不思議な大きな土手と思っていたっけ。

宿はローマ中心から
カブール橋でティベレ川を渡ってすぐ。
ヴァチカンにいくにも
フォロロマーノに向かうにも
最適な立地。

ティベレ川を渡ればすぐに
今回の個人的な主目的である
アラパキスがある。

部屋も広くて清潔で素晴らしい。
荷物を置きさっそく
ティベレ川を渡る。


橋から見下ろす川の流れも雰囲気最高。
アラパキス博物館の
ガラス張りの近代的な佇まいと
アウグストゥス霊廟辺りを散策し
メインストリートのコルソ通りへ。

正面には夜でもライトアップされている
エマヌエレ2世記念堂。

帰ってきたことを実感し
路地を入ったビストロで
軽く晩飯を食べた。

俺が選んだのはリングイネ・レモーネ。
クリームとチーズとベーコンの
素朴な味付けとレモンの香りが
爽やかで美味かった。


明日からの彼の地の巡礼
…カトリックにとっては
サン・ピエトロこそ
なのかも知れないが
自分にとっては
「人類史上最良の時」を創り上げた
ローマこそが巡礼…
に、はやる気持ちを抑えながら
まずは寝るとしよう。

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