wipeからDROPにかけて、俺には二人のローディがいた。タツとクニ。
きっかけは彼らの知人からの紹介だった。
「バンドをやりに東京に出てきたけど何も形になってない。給料などいらないから色々と鍛えてあげてほしい」ということだった。

タツは2年前に俺のところを卒業(今でもたまに会うけど)。
クニは俺が動く時などはまだ手伝っている。
まだ二十歳そこそこの田舎モンのクソガキを一度に2人預かったわけだ。
ギターの弾き方や音楽理論などもちろん教えたことはない。
そんなもんは覚える気になれば自分でできることだし
だいたいにして自発的でなきゃ覚えないもんね。
俺が彼らに最初にしたことは余計なプライドや思い込みの常識を外すこと。
「おまえらが見えてる世界は俺が見えてる世界とはちがう」
ということを再三言ってきた。
「常に自分を疑え」「一見真実と見えてる裏側に真実は存在する」などなど。
哲学者でも宗教家でもセラピストでもスピリチュアル・カウンセラーでもない俺が自信満々に言ったことを彼らなりに信じてくれたかどうかはわからない。
伝わったかどうかも。

なんでそんなことばかりしたか?
俺もある知人とのやりとりがきっかけだった。
今から考えるとZEPPET脱退後の俺はその知人とのやりとりで救われたのだ。
ZEPPET脱退のトラウマとその知人とのやりとりで俺が勝ち取ったものは今も俺の考え方のベースになっている。
社会において人間の負と思える感情、例えば嫉妬・妬み・憎しみ・自分を他人に大きく見せたいというつまらないプライドなど。
自分が社会と接する上で起こる摩擦から自分を守るためにあるもの。
それらは自分を向上させるためにはなんの役にもたたないものだ。
世の中のすべてをなるべくフラットに受け入れ
善・悪や好き・嫌いなどを見極めないと。
もしかしたら目の前にある『それ』は自分を向上させるためにとても役立つものかも知れない。
自分の中にある偏見が邪魔をして『それ』の本当の良さに気がつかないかも知れない。
彼らに言いたかったことはそんなことだった。

オリジナリティ→独創性。創意。 「―に富む作品」
パーソナリティ→個性。人格。
         個人個人に特徴的な、まとまりと統一性をもった行動様式。
         あるいはそれを支えている心の特性。人格。

独創性→他人をまねることなく、独自の考えで物事をつくり出す性質・能力。
創意→これまでだれも考えつかなかった考え。新しい思いつき。
   「―工夫」「―に満ちた作品」
                    〈大辞林 第二版 (三省堂)より〉


俺も20代半ばぐらいまでは音楽バカだったな。

今の若い子たちは言葉の意味は知ってるよな?
では何故そうしない?
「オリジナリティを追及して…」「個性的なサウンドを目指し…」
言葉ではみんなそう言うんだけど…では、
『実力がそこまで追いついてない(頭の中身を具現化できない)』ということか?
Originality/独創性とPersonality/個性は俺の中でも近しい言葉だけど、
使い分けているつもりだ。
パーソナリティの追求が=オリジナリティであると思っている輩が多い。
だいたいにしてパーソナリティは追求するものなのか?

独創性や創意を手中に収めたいのなら
部屋の中で口を真一文字にして苦悶してないで
まずその手にしているギターを置けよ。
怖くなどない。
やりたくなったら自然とまた手に取るし
そのままやめてしまうのならそれは新しい人生がはじまったというだけのこと。

君らは何も特別じゃない。
神が与え給うた君だけしか持ち得ないその『個性』とやらは
実は君以外の誰もが持っているものだ。
独創性はその先にある。

君らは音楽で何を表現している?
まるで『音楽』で『音楽』を表現しているかのように
『音楽』のことしか考えてないのではないか?
人生を楽しみ/苦しみ、どん底を味わい、どん底の先にある甘味な幸福に感謝し、
生きていること/生かされているこの世のすべてに感謝をする。

人々に共感して欲しい?人々を救いたい?
おこがましい。
神は君など指名していないだろ?
独創性がそんなに容易く手に入るのならだれも苦労はしない。
君ごときがない知恵を振り絞ったところで、出てくるわけないだろ?

人生を生きていく中でありとあらゆるところにヒントがあり
それを音楽という媒体を使って書き殴る。
曲によってはあっという間に書きあがり
またある曲は何度も何度も色を重ねてようやく完成する。
そのうち出てくるよ。

「聴衆は音楽の母」とロバート・フリップが言っていた。
聴衆は採点をする審査員などではない。
その時代が欲するものに微笑むだけだ。
点数が欲しくて音楽をやっているのか?
あんなに学校のテストがきらいだったくせに?

前に日記にも書いたが、ある人に昔こう言ったそうだ。
「人生とは感じることだろう」って。
我ながらいい言葉だ。

ある日突然彼のことを思い出す。
普段から彼のことが常に頭の中にあるわけでは決してない(すまん)。
通算何回、計何時間同じ時間を過ごしたのか?
たぶん、実はたいした時間じゃないね。
俺は酒呑まないから、誘いを断ってムクれてたことあったし。
だいたいにして「1っこ下のくせに生意気だよな」って思われてただろうし。
俗に言う『ロス事件』(別に‘俗’に言わないって)は今も鮮明に覚えてるけど、
それ以外の彼との思い出は、実は俺の中で勝手に無意識に美化してるだけなのかも知れんし。
でも、それ以降の自分の人生には何にしろ多大な影響を勝手に与えられたわけで。
彼といたあの時期は彼の運転するジェットコースターに無理やり乗せられ、
その後の人生もそのジェットコースターの余韻の中で生きている。
「hideさんもやりなよ。自分の好きなこと。」
「俺はファンのためにやるからいいよ。五味くんやりなよ。」
唯一彼の誘いにのった霞町の飲み屋での会話。
相変わらずだけど、やってるよ。

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