具体的な詳細がかなり決まり出してまいりました。

今回のイベントはこんな感じ…。
昔こんなことがあった。
まだZEPPET STOREがメジャーデビュー直前の頃の話。
CLUB Queだったかな。
それなりに話題になっていたからそれまでの動員がウソのように客がきたのさ。
それはとても嬉しかった。
でも彼らが見たいのはそのZEPPET STOREのみ。
最前列から彼らは場所取りをしていて
ZEPPET出演までの間、座ったまま他のバンドを見ていた。
そしてZEPPET STOREが終わったあとは帰ってしまう。
その日の打ち上げである雑誌の取材をしたんだけど
その席で俺はそのことを記事にしてほしかった。
ライター氏は「それを五味くんの発言として掲載するといろいろ問題が起こるかもしれない。
ボクの感想として、そういうのどうだろう?みたいに書くよ」といってくれた。

リスナーの立場として興味のあるバンド以外は見たくない…という気持ちもわかる。
俺だってそうだもん。
だけど自分(性格には俺と信一)の企画ライブは
俺が好きなバンドしか呼んでいないし
イベント全体を楽しんでほしいし
俺たちのサウンドが気に入ってくれてる人なら
「他のバンドもいい」って思ってくれると思うし
またその逆もあるだろうと。
押し付けたりはもちろんしないけどね。

今回特に見てほしいのはUTARIとdisburden。
もちろんキム&ひろの大御所二人は見逃せませんが…。
さらにsphereは見逃せませんが(笑)。
信一と児嶋くんという
間接的になんかしらを伝えられた二人と
音で真剣勝負がしたい。

出演者は気心の知れた仲間ばかり。
だけどステージに立ったら真剣勝負。
内輪ノリはありません。
なるべく一人でも多くの人に
興味のあるバンド以外も見てもらって
その真剣勝負を味わってほしい。

真剣勝負後の打ち上げはいつも以上にダラダラだろうけどね(笑)

最近の俺の流行りはプログレ名盤をヘッドフォンで夜中に聴くこと。
先日Pink Floydの『狂気』に続きYesの『危機~Close to the edge~』を聴いた。
やはり素敵なアルバムだ。
普段はあまりヘッドフォンを使わない。というよりあまり好きでない。
許す限りの大音量をスピーカーから鳴らすほうが当然いい。
だけど昨今ヘッドフォンで聴く人のほうが多いよね。
iPodなどもかなり普及してると思うし。
iPodなどの圧縮音楽(なんて言うんだ?)に関しては腐るほど言いたいことあるが
(実際ミュージシャンでiPod聴いてるやつとかの意識は疑うが…)それはまた次の機会にするとして…
で、ヘッドフォンの話。
やはり新しい発見とかある。
新しい発見というより違った空間というべきかな。
それはそれでおもしろいね。

冒頭の小川の流れる音と小鳥のさえずり~
シンセのフェイドインからバンドのインプロヴィゼーションの流れが俺の今までの解釈と全然印象が変わってしまった。
困ったなあ。でも楽しいなあ。

昨日WOWOWで『ROCK THE CLASSIC~PINK FLOYD 狂気~』って番組をやっていた。
ロック名盤の制作過程をメンバー/関係者が当時を振り返りながら掘り下げるという番組。
すばらしい企画だね。ほんと。
以前sphereの日記でも「諸君!今のつまらんポストロック聞くのなら『狂気』を聞け!」
という内容を書きましたが。

メンバーやアラン・パーソンズがアルバム収録順にその曲が生まれた経緯や実際の録音過程を話していた。
ガキの頃からもう何百回と聞いて染み付いている曲のKeyとなるフレーズのトラックのみソロで聞けるなんて、とても不思議な感覚だ。

「On the run」のシーケンスフレーズの話。
「Time」の鐘の音の話。
「Great gig in the sky」の女性スキャットは即興ほぼワンテイクだった話。
あの美しいピアノフレーズの逸話など。
どの話もとても興味深かった。

だが俺にとってもっと興味深かった話は
アルバムの制作過程(つまりディティールやマテリアル)の話よりむしろ彼らがあのモンスターアルバムにこめた想い。
音で表現した人間の狂気〝Dark Side Of The Moon〟。
「今から振り返ると子どもでもわかるようなシンプルな単語ばかり使っているね」と
ロジャー・ウォーターズが語っていた。
彼らにとっても歌詞やメロディーは戸口なのだよ。
口ずさみやすい歌詞も美しくシンプルなメロも。
共感できる話がいっぱいあった。

メロディーや歌詞は俺にとっても似ている。
よく画(え)に例えて人に説明するクセがある。
例えば天使の絵があるとする。
その天使はとても穏やかでだけど厳かでそして少し何かにおびえている。
人類の、あるいは地上の来世を案じているのか。
世紀末のアルマゲドンに備えているのか。
俺にとって歌詞やメロディーは天使そのものを表している。
その天使の表情や風景などのロケーションを歌詞とメロが示してくれる。
俺が描くのはその天使の内面の不安。
あるいはその風景のディフォルメ。
ただ美しい鮮明な「色」だけでは人には何も伝わらない。
少なくとも俺が観て心を動かされる画には
そういった「色」だけではない「色」を何重も塗りなぐった上での鮮明さに満ちている。

共感するの当たり前だよな。
確実に俺は彼ら(音ですべてを自由に表現してよかった時代の人々)の子どもですから。

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