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確かに物質には裏表があります。
でも事象や感情や概念に裏表なんてあるのでしょうか?

好き・嫌い、良し・悪し、普通・特別、 白・黒 、右・左、損・得と、人は様々な事象を二極に分けて認識し、判断、行動にまで活用していますね。

この二極を裏表と表現するのなら、確かに事象・感情・概念にも裏表はあることになります。

とするならば、付け足しておかなければならないことがあります。

全ての事象には裏と表だけでなく、側面もあるという理です。
(側面=コインで言えば厚みの部分)

つまり巷でよく使われている二極論で認識して判断して行動という一連の作業の中、選択肢は裏と表の二選択ではなく、側面の部分にあたる中庸な選択肢もおよそ無限数にあるということを知らなければなりません。

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人は目の前に選択肢が現れるとどれを選ぶか悩みます。

しかし最初から無限数の選択肢を目の前に出されると、情報処理出来ずに戸惑うだけになります。

まずは両極端な裏表と呼ぶ大きな二極を設定して、その上で側面にあたる中庸な選択肢群の中から熟考して選ぶ。

これがこの方程式の正しい流れでしょう。

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しかしこの方程式は、時短等のメリットのためによく間違った使い方をされています。

そもそも繊細に時間をかけて取りかかるべき事象に対して、分かりやすいからという理由で物事の認識を全て両極に分けて積み重ねていき、短時間で結論を得て安心したいという欲から広まったのではないかと考えています。

まるでジェンガのスティックの両端だけで積み上げたタワーのよう。

不安定きわまりない概念が組み上がっても、短時間で答えが出来上がるので仮初めの安心を得て、目の前のストレスは取り払おうという浅はかなメソッド。

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物事には確かに裏表があります。
でも、同時に側面もあり、そこには無限数の面があります。
(球体の裏表をイメージすれば分かりやすいかと)

それを短期間で頭をさほど使わずに選択肢を決定できる魔法の方程式の様に使うのはいかがなものかと思うのです。

即断即決を求められる時代が生んだ大きな弊害かと思うのです。
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好きか嫌いかを出会ったその日の内に一刀両断でバッサリ切り分け、以後ずっとその解を基本の立ち位置に判断や行動をする・・・。
どうしてもその即断即決が必要で、この方程式を活用してその場を凌いだとします。
でもその解を見直して更新しなければならない時は必ずやってきます。

仮初めの答えを出してその場は安心したとしても、以降ずっと心の中に隠したモヤモヤを抱えて一生を過ごしていくのは、とてももったいない命の時間の使い方に私は思うのです。


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真夜中の登山道。

かなり険しく急勾配な登山道。
小さなお子さんもいるご家族一行で登る山道にはとても見えない。

おそらく「ご来光を拝みに行こう!」と思いついた若いお父さんが、言い出しっぺなのに寝坊したせいでスタート時間が遅くなってしまい、いくつか用意された登山ルートの中で初心者向きではなく、最も短時間で頂上に到達できるエキスパートルートを選ばないと、目的のご来光には間に合わないのでありましょう。

渋る奥さんと子供たちを、父親の威厳でポジティブシンキングを唱え続けるものの、そんな幻のようなステータスはスタートの時点で消失していると気づけない程に周りをみることが出来ない男となってしまっています。

先頭が、ただ目的のためだけに前を向いて力強く登っていく姿を魅せつけたい思いのパパ。

長男・長女と続き、お母さんは最後尾についてくるだけで必死のまだ学校にも上がっていない女の子の前を行きます。

休みたいと訴え続ける女の子に一度決めたらやり遂げよとか、休んでしまうと疲労感がさらに強くなると父親は受け入れてくれません。

末っ子の前を歩く母親は、ご来光はとうに諦めていました。

出来れば山の頂上まで登りきった時の得も言われぬ幸福感を感じとってほしいと願い、子供たちを見守りゆっくりと登っていきます。

ゆっくりではあるもののエキスパートルートの登山道。
お母さん自身の体力も容赦なく削り取っていきます。

その余裕の無さから、末っ子におんぶやだっこをせがまれても我慢してと言い続ける自分を責め続けています。

山を登れば登るほど、心は奈落の底に 沈んでいく気分のお母さん。

ご来光までもうあと一時間。
まだ小さな末っ子の女の子以外の誰もがもう無理なんだろうなと気づき始めていました。
落胆した気持ちは疲労感を倍増させ、もう誰も文句すら口にする気も失せて、黙々と先頭を行く父親のあとにただ着いていく難行苦行となっていました。
一歩一歩、固い山肌を踏みしめる音のみが静寂の中に響き渡り、一人一人の気持ちを逆なでします。

不満に満ちた表情を隠す事無く表している長男と長女はそれぞれ学校で問題を起こしていました。

そのことに対して両親に申し訳なくは思っているものの、この年齢特有の自立心の芽生えから親に子供っぽい部分を見透かされてしまうのだけは避けたくて、二人ともまだ謝罪も反省の気持ちも表せずにいました。

しかし素直に謝りたいという気持ちもあって、今回の突然の登山に参加することにしました。

登る途中のどこかのタイミングでさらりと軽く謝っちゃえれば儲けものという算段が働いたのです。

が、二人の思惑とは逆に、なぜ日の出を見るためだけにこんな苦労しているのか、自分は何故ついてこようと思ってしまったかと答えの出ない問いが頭の中をループして、ただ足を踏み出すしかないこの状況を呪っていました。

この二人の学校での問題行動の対応に追われ続けていた母親は、心身共に疲れ切っていました。

正直、お父さんが「したり顔」で登山プランを切りだした時には、離婚の二文字が頭をよぎるほどストレスは限界にまで達していました。

休みたいのに休ませてもらえない、いや休んでいてはいけない。私が頑張らなくては!
という物事の対処は全て真っ向から受け止めてしまう奥さん。

末っ子の女の子は来年、小学一年生。 上の子供たちみたいにまた学校でトラブルを抱えてしまうのが心配で心配で夜もろくろく寝られません。

旦那さんは行動力だけは頼りになるけれど、やる事や言う事が少しズレていて余計に疲れさせられてしまう。 もうむしろ何もせずにじっとしていて!と願うものの、悪気が無く子供っぽい旦那さんには強く当たれずにいました。

負の感情がとぐろを巻いていき、その双肩に重く重くのしかかっていきます。

家族それぞれが同じ目標に向かって前に上に進み登っているように見えるその一行は、実は個々のエゴや思惑や気持ちのズレからてんでバラバラの方向を向いて自らの保身だけの人生を送っている個の集まりに成り下がっていました。
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ふと突然目の端に強い陽光が射してきます。

全員が立ち止まり自分の世界から外の世界に久しぶりに目を向けたその方向には、一切の色彩を排除していた闇夜の世界をモノクロからフルカラーの世界に一気に塗り替えてしまう圧倒的な力を持った光を放つ太陽が地平線から姿を現していました。

黒くて広い面でしかなかった場所は、みるみる金色に彩られた草の波がゆっくりと流れている世界に変わり、黒いシルエットでしかなかった遠くに見える山々は山肌の精細で落ちついた青にふんわりとした綿菓子のような朝霧をまとって立体感を存分に魅せていきます。

そして頭上に広がっていた漆黒の闇は、あまりの強い陽光に切られるように七つの色が滲み出していました。

五人皆が言葉無く、向かう視線は一点に集中して、その顔には悩みも苛つきもストレスも完全に消滅している家族という存在が寄り集まってそこにいました。

人が作った「言葉」なんかでは表せない程に上質なしあわせの表情をした五人の家族が日の出というショータイムを存分に味わっていました。

何故と聞かれても答えられるわけはない温かい涙が両目からとめどなくあふれ出している長女が声を震わせて発した言葉は、

「おかあさん、ごめんなさい!」

でした。
その一言で気づかれないように隠そうとしていた自分を恥じ、流れ落ちないように必死で止めていた涙を全開であふれさせ、続けた長男の心の叫び。

「俺も!母さん、ごめん!・・・ごめんなさい!!」

二人の言葉は母親の涙をますます止められなくしてしまいます。
二人を両手で抱いてうなづくことしか出来ない母親の顔には綺麗に輝く紅潮した肌の色のみで、疲労の色はどこかに吹き飛んでいました。

その家族の姿を見てずっと胃の辺りに力が入って抜く事が出来なかった父親も、ようやくしあわせな表情を得られました。

「良かったな、みんな。ご来光、皆で見られて、良かったな!」

仕事が忙しいのを言い訳にして家の事を全て奥さんに任せていたお父さん。
実は奥さんの声が最近元気がなくなってきていたことをとても心配していたのです。

子供達に信頼されたかったのも、その悩みを母親にしか打ち明けない長男と長女に頼ってもらい、母親の負担を少しでも軽くしたいと思ってのことでした。

そして終始、表情を変えずに登山をしてきた末っ子の娘の言葉はこのショーの全てを、家族の物語をシンプルに表してくれました。

「すごいね!太陽の光。何もかも綺麗に出来ちゃうんだね。」

ーおしまいー

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この薔薇の写真はその方達と話していた時にレタッチしていたものです。

インスタライブの初テスト配信をやっていた時のお話です。

どういう画面が出て使い勝手を知りたいなぁと始めたら、あれよあれよという間に知っている人だけでなく知らない人も集まってくださり、念願のコラボも話してみたかった方と出来て、全く初めての人たちとも笑い声が似合わないこの部屋に自分の笑い声が響くほど楽しい時間を共有して過ごすことが出来ました。

パーキンソン病を患って自分の意志だけで行動が出来なくなる以前は、コミケ会場や漫画家同士の忘年会、またはバイクやクルマのレースイベントに参加したり、その練習でサーキットに通っていたので、たくさんの人と同じ方向を向いて、通じ合う共通の言葉で話し、培ってきたスキルアクションを見せることで一気に距離を縮めて深いコミュニケーションが出来るそれはそれは楽しい一日を過ごした経験は幾度となくありました。

しかし、現在はこの見慣れすぎた部屋の中で、毎日「無動の人」としてただただ時が流れてその日が来るのを待ち望む自分でしたが、ネットとデジタルツールのおかげで約一年間で現実社会で出会って仲良くなった方々よりも、ネットで知り合った友人の方が数が増えて、心の底から信頼しあえる仲になれたと感じる方まで現れてきました。

正直なところ、ネットで知り合う人との関係は、おそらくは浅く薄く嫌な事も多いだろうと推測して警戒しながら様子をうかがっていました。

動画配信者(LINEライバー)の立場となって一年が過ぎた現在、その思いはベースにあるのは変わりません。

実際、浅くて薄いつきあいより発展しない方々がほとんどですし、裏に呼び出されてフルボッコに遭った経験も出来ました。(笑)

でも、動けていた頃と照らし合わせてよくよく考えると、リアルなつきあいの方とも滅多にはそう深くはならなかったし、濃い関係性になることも極少数。

嫌な目に遭うのは、リアルもネットも回数も度合いも大して変わらない印象があります。

やはりネットも一つのツールであるだけで、出会う人自身は変わりないからなのでしょう。

よく良い人と悪い人という切り分け方がされていますが、どちらか片一方という人はまずいないはずです。

それぞれどちらかの立ち位置に自らの意志で立った時にはその程度は大きく変わりますが、それでも基本は良い人と悪い人は同一人物です。
良い人の仲に悪い人は内包されていますし、その逆もまた然りです。

「この世の全ての物事には裏と表がある。無いという者はとなりの次元の者である。」

それならば、ネットもリアルの出会いも最初から良い人の側でのおつきあいを望みますという姿勢で始められれば、人生の限られた時間の中をより短い時間で、リアルでは出会えないであろう人と出会う可能性も発生して、実際にその後リアルなおつきあいに発展することもあるので、人とのつながりを求めている方にとってネットというものはとても良いツールと育ったようですね。

今日の薔薇写真は、そんなことを考えながらレタッチしました。

まずはリアルワールドでない雰囲気にして、ネットワールドにいらっしゃる様々なアバターを着た同じ色の集団、しかしその中に同じ形の者はいなくて、様々な色の花が混じり合って一緒に咲いている場所もあり、全体的に光に満ちている世界で、共に仲良く咲いている薔薇達。そんなイメージ。

薔薇なので、綺麗でカッコいいがトゲというリスクも同時に内包しているとこが「良い人=悪い人説」を連想させてくれます。(笑)

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