例えば誰かの言葉に傷ついたとき
出来るだけその人と距離を置いて
当たり障りない距離を保つようにしてきた。
でも、それって一時的な解決にはなるけど
またその人と会わなくちゃいけないってなったときに、より億劫になってしまうんだよね。

嫌いな人をなるべく作らないように、ちょっと苦手かもって思ったら距離を取るようにしてきた。
嫌いって気持ちは自分にとっても相手にとっても悪でしかないと思うし
出来るだけ嫌いたくないし嫌われたくないなぁって思う。
いま嫌いな人いる?って聞かれたらどうだろう…すごく難しいけど、苦手な人はいたとしても多分いないと思うってなると思う。
勿論今までに1人もいなかったわけじゃないけど
きっと昔に嫌いだった人はもうほとんど覚えてないし、自分の人生において関係がない人だ。

嫌われないようにしてきた時期は本当に相手の顔色ばっかり伺って自分ってどんな人間なのかもよくわからないままに生きてたと思う。
今も人の顔色は伺ってしまうときはあるけど、基本もうそんな場所には出来るだけ行かない。
無理をすることをやめた。ってことでいいのかな。

さて、そんなこんなで少し逸れたけど解決について書きたかったんだった。

そう、人の言葉で傷ついたとき今まではその場から逃げることで自分を守ったり
自分のせいだったり、相手のせいだったり、何かに責任をなすりつけることで逃げてきたけど
このままだと結局傷ついた事実は変わらないし、最終的な解決にはならないなぁと思った。
例えば常に会わなきゃいけない人に傷つく言葉を言われて、それが克服できなかったら…
生活に支障が出ちゃうよね。

今までの方法じゃダメだと思っていよいよググって色んなものを見ていたけど
なんとなくその中で自分なりに納得できたのは
傷ついた自分をちゃんとケアしてあげること。
というところでした。

今までは逃げてその場を乗り切ったらそのままにしてきたけど
自分が傷ついたことを知ってるのは自分だけだもんね。
そりゃ、労ってあげないと傷だらけなままだなぁ…と。

でも自分で自分を大切にするってなんか変な感じだ…と前なら思っていた。
だったらもっとやりたいことのために少しは無理をしたり、大切な人たちに何かしてあげる方がよいのではないかなと。
でも結局自分を疎かにすると人のことも疎かにしてしまったり迷惑をかけてしまうなぁと思った瞬間がここ何年か思い返すとあったなぁって。
自分がいっぱいいっぱいになってしまったとき結局助けてくれるのは大切な人たちだ。
それの繰り返し。

いっぱいいっぱいになる前に本当はもう少し自分で自分をコントロールして労わるべきだったのかもなぁ。って
今は何だかそう思える自分がいて、自分のことは自分で守るじゃないけどもちゃんと理解して守ってあげないとほかの人も守れないね。と思ったのでした。

今年のテーマは 余裕 だと思っていたけど
時間がない、やりたいことは沢山ある。
そんな中でもほんの少しの気持ちの余裕が持てるように、自分に少し優しくしてあげられる自分も育てていきたいなぁ。
それで最終的に相手にも寄り添えたら万々歳。

そんなことを考えていた昼下がり。

小さい頃って、褒めてもらったときどんな反応をしていたんだろう…。

いつ頃からか忘れちゃったけど、基本的に褒め言葉に対して謙遜をするということを覚えて
だいたいのことは褒められても
いやいやそんなことないです。って否定をしてしまってて
学生のときに同じように褒められたときに、いやいやいやって言ってたら
「褒められたら、ありがとうって、素直に言ってしまえばいいんだよ。そしたら相手も悪い気はしないし、世の中には社交辞令とかもあるから相手が実際褒めてようとなかろうと、ありがとうって言えば綺麗におさまるんだよ。」
みたいなことを教えてくれた人がいたのだけど
当時は、ありがとうっていったらまるで褒めてもらってることをちゃんと自覚してるみたいでなんかやだなぁって気持ちがあって
自信がある人の話なんだろうなぁとかね思っていたんだけど
自分が大人になって相手との関係性だったり、会話の流れとかを考えると
褒められたときにありがとうっていうことはたしかに会話を妨げることもなくスムーズに話が進んで楽なんだな。と思った。

色んな人と話したりバンドをするようになって
相手にとって嬉しい言葉を言っていたり、褒めていても裏では全然違うこと言っていたり
そういうのを見てると、実際に褒め言葉の多くは社交辞令とかその人との関係性を上手く円滑に進めるための言葉なんだなぁと思ってしまうんだよね。
全てがそういうわけではないと思うけど、そんな風に思ってしまうのも悲しいし嫌だなぁとは思う。

からといってべつに人のことを褒めないわけじゃないし、褒める言葉を自分だって使うわけで
それを相手にどうとられるのかって考えると上手く言えないとか伝えられないときもあって
つくづく自分が面倒だなぁと思うときもある。

勿論全ての言葉が信じられない!とかそういうわけではなくて
関係性の問題だとは思っているのだけど
褒めるだけじゃなく、自分はこう思った、だからいいと思った。みたいな
その人の中身がわかる言葉は信憑性があるなぁと思う。
伝え方なのかな。難しいね。

だから自分も良いと思ったものに対してはなるべく伝えたいって思うけど伝え方が本当大切なんだって思うから考える。
全然考えてないでテンションだけめっちゃ上がっちゃってみたいなときもあるけど。笑

褒められることは嬉しい。
褒められたくて頑張っちゃうみたいのは小さい頃から未だにあるもん。
褒める言葉は
きっと相手を気分良くさせるための言葉だから、自分が気分良くなっていたらそれはただのエゴなんだ。
となんとなく思った。
でも明日にはもはやどうでも良いとか思っているかもしれない。

嬉しい言葉よりも傷つく言葉の方が意外と心に残ってしまったりするけど
できるだけ日々思い出す言葉は嬉しい言葉でありたいね。

新年早々2日からインフルエンザになってしまいまして
いまも実家にて父母の優しさのもとなんとか暮らしております…本当に感謝。
実家に帰ってきたタイミングで発症してしまって申し訳ない気持ちもありつつ、本当に救われた気持ちもあって
1人だったら…と考えるとちょっとゾッとします。

久しぶりにインフルエンザになったのだけど
年々ひどい気がするのはきっと記憶が鮮明だからなんだろうなぁ…と思いつつ
本当にもうなりたくないですね。
初めてこんなに頭が痛いと思ったや。
ここ二日間くらいはほぼ眠ってよくポカリを飲みお薬もちゃんと飲んで今は熱も下がりました。
少し元気になると、あのすごくヤバかった時のことが遠く昔のことのように思える気がします。

遅くなりながらいろんな滞ったものを今日再開したのですが
熊本の地震のことが大丈夫かなって…
ふと、いま熊本にインフルエンザの人がいてそんな時に地震が来てたら…とか考えてしまって
というかそういう人もいるんじゃないかな。

もちろんそうじゃなくても例えば自分がその立場だったらすごく怖いし辛いと思うし
今回ね、すごい熱出して全然動けなくて、たくさん両親のお世話になって助けてもらってなんとかまた元気になれそうで
自分だけではできないことも人に助けてもらってできることもたくさんあって
頭ではわかってても本当なんもできないんだなぁって実感したお正月だったんだけど
きっと、1人だと辛いこと心細いこと、どうにもならないことがあると思うんです。
それを助けてくれる誰かがいるってすごい心強いことなんです。
もし不安で辛い人がいたら、誰か手を差し伸べて欲しいと思うし
私もそうなれるような人になりたいなと思いました。
直接会いに行けなくても、届けられる方法はあるかなと思うのでそういうことを今年はやっていきたいなぁ。
距離はあっても寄り添いあえる存在になれたらいいなぁと。
そのためにも色々考える事から始めないと。

今年は色々みんなにお知らせできることがあるかなと思います!
どんな風に受け取ってもらえるかわからないけれど、少しでも前向きな気持ちに受け取ってもらえたらうれしいです◎

↑このページのトップへ