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若い頃、福島県に住んでいた。

人間関係で悩んでいた。自分がわからなくなっていた。
その頃は免許もなく、誰かに連れられてのお出掛け、がほとんどだった。

連れていってくれた人には申し訳ないのだが、その人のことはほぼ覚えていない。
なんて失礼な奴なんだろう、でも本当に覚えてないんだから仕方がない。ほんと、スミマセン。

覚えているのは、自然の美しさだ。
穏やかな美しさ、というよりも、鮮烈な、鮮明な美しさだった。

夏、とても暑かった。セミの声が、川の音が、木々の緑が、鮮明だった。暑い!でも時折ふく風が、夏の美しさを感じさせてくれた。
冬、空気がつんとしていた。私が住んでた場所は、冬中、いつも雪のくにだった。銀世界に、花火が打ち上げられていた。ここに住む人の、冬を楽しんじゃおう、という気持ちに感激した。
春、色とりどりの花が、まさしく「咲き乱れて」いた。小さな山道にも、堤防にも、農家の庭先にも。それは、計算された美しさではない、ただただ花を愛する人たちが、たくさんたくさん花を咲かせてきた年月がいつのまにか作り上げた絶景だった。無造作に、でも真似できない美しさ。
秋、美し過ぎる紅葉が、小さな山々で見られる。それは上品な佇まいとは一味違う、何というか、可愛らしい紅葉だった。いろんな色の葉っぱが山々を彩り、木々たちが「見て見て」と言ってるような。

福島の人は、自然と一緒に生きてる。
そんなイメージだった。
自然を無理にいじくらない。だから自然も、それに応えて、精一杯の美しさを披露してる。
なんというんだろう、まさに「自然が生きて」いた。木も、葉も、花も、空気も、大地も海も。〝意思"を持っている。そう思えた。肌で感じた。

水が、美味しい。
空気が、美味しい。
だから、食べ物が物凄く美味しかった。

もう一度、行きたいと願う。
当時は行けなかった所も訪ねたい。

でも一番の願いは、福島のあの大地が、海が、生き生きと、人々と一緒に生きていけること。

農家のおばちゃんの、海のおじさんたちの、ガハハという笑い声がひびく町が戻ること。



長々と、失礼しました。











心ない差別に、強く抗議します。
原発、コロナ、人種、、、ありとあらゆる差別に強く抗議します。