新居浜で初めてライブをしたのは2008年の
新居浜市民文化センター中ホール、だったっけ?
きらりいろのMV撮った時の。

あ、違った。
2007年に文センでやったんだ。
フリーライブで。

なんならその前に
2005年に西校の文化祭に呼んでもらってた。

その後にジャンドールが出来て
普通に新居浜でライブができるようになって

あかがねマリンロックフェス?
黒島海浜公園で野外ライブ呼んでもらったり
文センの大ホールで水樹奈々さんと対バン(という名の前座)したり
あかがねミュージアムが出来てからは
あかがねでも何回もライブさせてもらった。

何にでもあかがねって付けるのは
あかがねってのは銅のことで
昔世界3位の産出量を誇った
別子銅山からきていることは間違いない。

あと、成人式でもライブさせてもらった。
あれは貴重な体験だった。
俺は成人式出られなかったので
こういう雰囲気なんだな~ってこそばゆかったなあ。
1000人近い新成人の前で
誰もいない~夜の新居浜市民文化センターの屋上に~忍び込んで~♪
飲み方なんて~知りもしないくせに~酒を飲みまくった~♪
なんて歌って怒られるかもなあと思ったら
ライブの後、市長や教育委員会長や
新居浜のあらゆる偉い人たちが楽屋に来て
満面の笑みで
最高でした~!と褒め称えてくれて
おいおい、逆に新居浜大丈夫なん?と思ったなあ。

たくさん新居浜でライブをしたなあ。
そして新居浜でライブ=ライブ後は山下忠の大接待。
俺らは高校までしか新居浜で暮らしてなかったので
もちろんおおっぴらには酒を飲めなかったし
飲み屋なんかそれこそ補導されちゃうので行ったこともなかった。
居酒屋やスナックに行けるようになったのは
LUNKHEADで新居浜にライブしに帰るようになってからだ。

そう、俺らは高校までの18年間しか新居浜で暮らしていない。
だけど、その18年間が俺らにどれだけのものを与えて教えてくれたんだろう。
あの頃はとにかく窮屈だった。
ライブハウスもない
リハーサルスタジオもない
こんな街には何もないと思っていた。
とにかく早くここを出なければと思っていた。
ここで生きたまま死んでいきたくないと思っていた。
周りのくだらねーヤンキー崩れの連中を
お前らは小さい世界で小さくまとまって生きて死ねって思っていた。

でもあの頃俺がそう思っていたことは
間違ったことじゃなかったと思っている。
おかげで俺らは東京に出てLUNKHEADを始めることができた。
そしてだからこそ、そのおかげで気づけた。
俺らがどれだけ大事に
あの新居浜という街に、人たちに育ててもらったかを。

記憶力が割といい方らしいので
龍や壮や悟と初めて話した時のこともすべて覚えている。
龍は同じクラスの教室で
壮は学校の中庭で
悟は印南君という友達の家だった。
特に壮はギターがめちゃくちゃうまいやつがいるってすごい噂になっていたので
初めて会った時
あんなマスオみたいなやつがギターがうまいわけがない!!
と、にわかには信じられなかったのをよく覚えている。
あの時、LUNKHEADはまだまだ始まってなかったけど
もしかしたらあの時もう始まってたのかもしれない。
うそ、ヤダ、なんかロマンチックじゃん?

気づけば、もう東京での暮らしの方が長くなってしまった。
本籍地も住民票も全部東京で
すっかり東京に慣れてしまった。
だけど、東京に長く住めば住むほど
心は新居浜に還っていくように感じる。
俺らはLUNKHEADを続けているおかげで
新居浜に帰ることができる。
俺はもう新居浜に実家がないので
LUNKHEADだけが新居浜に帰る手段で
だからLUNKHEADこそが俺にとっての新居浜の家なんだ。
(あと壮んち)

何十年経っても
その歌を歌うたびに
あの頃の、悶々とした、焦燥とした
あの感情を思い出す。
生で刺身で食べられるくらい新鮮に思い出す。
歌の中に新居浜がいるから
歌えば俺はいつでも新居浜に帰れる。

明日俺は新居浜に帰る。

無限観客配信ツアー新居浜編
お待ちしておりアス!!