月別アーカイブ / 2019年09月

なんかの用事でボビーに車で送ってもらってる時に
ボビーがキャプテンオブザシップ(長渕剛先生のド名曲)みたいな曲作ろうよ
って言い出して
また出たよ…って思った記憶…
ボビーは言い出したら止まらないし
期待されるとそれ以上のものを作りたくなってしまうので
そんならやったるわい!とまんまと乗せられ
そんでできたのがこの僕らは生きるなのであった。

Aメロとサビのコードはゴールデン進行と思いきや
実は意外と凝ってて
C→G/B→Am→G→F→C→Dm→G
と聞こえるようで(ルートはこれ)
実は
C→G/B→F/A→C/G→F→C→Dm→G
となっている。
普通にゴールデン進行でええやんけって話なんだけど
ビミョーにメロディと食べ合わせが悪い気がして
メロディに則ってコードを当てた場合
C→G→F→C→F→C→Dm→G
が一番自然で
でもゴールデン進行のキャッチー感を出したくて
解決策としてその二つを合体させたのが
C→G/B→Am→G→F→C→Dm→G
というわけなのです。

キャプテンオブザシップと言いつつも
(要は語りからのサビで大合唱みたいな曲)
サビでイメージしたのはcocco
陽の照りながら雨の降るで
この曲とても好きな曲で
こんな壮大な感じにできたらいいなあと思いながらサビを作った。
(ならんかったけど…)
で、できた僕らは生きる
ディレクターのナベさんは元々パンクスなので
こういうロックはさ!ピアノなんだよ!
ロックピアノだよ!!
と、猛アピールしてきて
夏の匂いのストリングスアレンジをしてくれた吉澤さんに
またしてもピアノをお願いすることになった。
ボビーといい、ナベさんといい
初代アー担の姉帯さん、二代目アー担の菊地さん
俺らの周りには
「俺のLUNKHEADはこうなんだよ!感」を全面に出してくる大人しかいなくて
暑苦しかったけどありがたかった。
そこまで好いてくれる人達と仕事ができるって本当に幸せなことだ。
今まで俺らを録ってくれたエンジニアさん達
佐藤さんも比留間さんも井上さんもクワマンも
マスタリングエンジニアのコウタロウさんも白石さんも
二代目ディレクターの菊地さんも
三代目ディレクターの遠藤君も
徳間の新井君も
日本中のラジオ局の応援してくれてる人達や
日本中のラジオハウスのスタッフ
なんでそんなに好いてくれるんやろ?
って不思議に思うくらい愛されて俺らここまでこれた。
本当にありがたくて幸せなことだし
俺らは本当にラッキーだったと思う。

で、これはやっぱり大合唱を録らないとって話に当然なって
お客さんをエキストラで呼ぶとかいろいろ案が出た気もするけど
最終的に、メンバー全員
バンドマンや音楽関係の友人知人片っ端から連絡することになった。
この日のこの時間に来れる人!って限定だったけど
めちゃくちゃたくさんの人が来てくれて。
なんとジュンスカの宮田さんやユニコーンの川西さんまで来てくれて
(恐れ多すぎる…)
つばきやメレンゲはボーカルののりちゃんやクボさんが来れないのに
わざわざリズム隊が全員来てくれたり
総勢何人だったんだろ?
全員アルバムの歌詞カードにクレジットされてるので是非チェックしてみてください。

ビクタースタジオの広い部屋でみんなで円になって
真ん中にマイクを立てて
ボーカリストは全体の半分くらいだったけど
さすがにバンドマンで
みんな1回目で覚えてすぐ2回目から録れて
めちゃくちゃすぐ終わった。
実はこのコーラス録った時、スケジュールの行程上
本チャンの俺の歌が入ってなくて
オケだけしかなかったんだけど
バッチリのチリバツで本当みんなすごい!
できる人は次のテイクハモってみてください~!!
というともうバッチリハモりまで入れてくれて。

そしていよいよボーカル録りの日
このころはまだボーカル録りとなると
5テイクとか曲によっては10テイク近く歌って
そこからナベさんの鬼のディレクションが始まるって流れだったけど
これはもう1回しか歌えないと思っていた。
なので朝からものすごく緊張していた。
しかも、アドリブなのである。
こういうことを言おう、ということだけを箇条書きにして
あとはぶっつけ本番だったのだ。
ナベさんは
サビだけはさ、何回か歌っとこうよ
一応、保険、保険でさ
と言ってきたけど。

すわ!
その時はやってきた。
緊張は極限まで達し
俺は
誰かと手を取り合うためなんじゃないんかなあと思います
となぜか冒頭から丁寧口調に。
その後はもうキレたいじめられっ子状態で
ズルズルの新居浜弁炸裂。

ブースから戻ると拍手喝采
ナベさんも笑顔で
つるっとこれでいいや!
と言ってくれて。

正直こういう曲は苦手です。
みんな歌ってくれ~!!みたいなノリ
見る方でもやる方でも好きじゃないし、しんどい。
ある意味嫌悪さえするくらいの人間です。
じゃあ作んなやって話なんだけど。
でも作ってしまった。
ジェットストリームアタックチャ~ンスツアーは
毎回これやんないといけなかったから
(なんならその後しばらくイベントなんかでも毎回やってた)
毎回本当にキツかった。
ライブが始まるまでいつも公開処刑されるような気持ちだった。
だからと言って半端にやるのが一番サムいから必死だった。。
ホール中練り歩いてたもんな…

多分、LUNKHEAD好きな人って俺と近い人多いんじゃないかな。
みんなで歌うとか、ちょっとムリです…って人多いと思う。
それでも、7/19のリキッドもそうだったけど
ああやっていつもみんなめちゃくちゃ盛り上がって大合唱してくれるのは
んーなんか自分で言うのもアホみたいだけど
俺がその、そういうのが好きじゃなくて
なんかもう自分をギリギリのトランス状態まで追い込まないとできなくて
結構割と、命がけでやってるのが
みんなに伝わるからなんじゃないかなあ?
と、自分で言ってて恥ずかしいんですが。

みんなとてもとてもいい顔をして歌ってくれます。
みんな笑顔だけど目が血走って、女の子たちは化粧大丈夫?ってくらい汗びしょで
心の殻を全部剥きとったような顔をして歌ってくれます。
それは多分、俺がそういう顔をしてるんでしょう。

こういう曲を作って、もっとドン引きされるのかと思ってた。
正直どういう風に受け止められるのかが怖かった。
もちろん、やっぱりLUNKHEADは好きだけど僕らは生きるは苦手…
って人もいると思う。
だけど、僕らは生きるは今では
俺が音楽をやっていく人生の中で
自分が歌う理由とは何か?ってことに迷った時
それを思い出させてくれる
マイルストーンのような曲になった。

まあ
未だにライブでやるのはしんどいんだけど。

イントロのアルペジオを思いついた時
これは…絶対すごい曲になるぞ…という確信があった。
そういう俺の確信が、全然メンバーに伝わらない時もあるし
すっと四人が同じ感覚を共有できる時もある。
ヘヴンズドアは後者だったように思う。
あんまりアレンジで行き詰まった記憶がなくて
どんどんみんなのアイデアが湧いていった。
完成した時は本当に
すごいもの作っちゃったな…とみんなで思った。
エンジニアの佐藤さんが
夏の匂いとか歌ってるバンドと同じとは思えないね
と嬉しそうに笑っていた。
メロディとアレンジと歌詞とミックスが見事に融合した曲になったと思う。
ただ
ライブでの出番は少ない。。
というのも
ただでさえ中盤のスローミディアムゾーンはやれる曲数が少ないのに
そこに加えてヘヴンズドアみたいな自己啓発系ダハー曲は流れに組みづらいのだ。
やっぱ、夏の匂いとかプルケリマとか
甘酸っぱ系曲だと流れでやりやすいんだけど
そこに突然ヘウンズドアが入ってきちゃうと
おいおい、お前空気読めや的な流れになってしまう。
そんなわけでこれ系の自己啓発ダハー曲はあんまりライブでやれない。。
すごい好きな曲なんだけどなあ…

サウンド的には
この頃、LUNKHEADファンの中でも一部熱狂的なファンがいる
昔からお世話になってる刺青ローディ近藤大介先生から
フェイザーをもらって
(俺の足元を見たことがある人は左端のオレンジ色のやつです。見た目はかわいい)
そいつがなんていうかクソみたいなフェイザーで
大ちゃんも、あんまり使い道ないと思うけどって言って
タダでくれたんだけど
めちゃくちゃ歪みかましてからかけるといいって言われたのに
もっぱらクリーントーンの時に浮遊感を出すためにパッド的に使うことが多く
このヘヴンズドアがそれこそ初登場作品だった気がする。
あとは付点八分のディレイをかけたところにこのフェイザーをかまして
やっぱりパッド的な雰囲気を出したり
(スモールワールドの間奏やHEART BEATERのAメロとか。どちらもライブのみのアレンジ)
今となっては小高サウンドになくてはならないものとなっております。
多分フェイザーとしてはクソなんだけど。

2番のAメロの壮のボボッボボッボボッボボッっていうバッキング
曲出しの時に歪みすぎてミュートするだけでハウっちゃって
ボボヒーボボヒーボボヒーボボヒー
ってなっちゃって
それがなんだかカッコよかったので
本番レコーディングでもあれ再現してくれって言ったら
意外になんか難しかった。
ああいうのは偶然の産物だからいいんだろうね。
狙ってやるのは難しい。
それでもなんとかいい感じにできて
なんかブランコ漕いでるみたいな寂しい感じが曲と合うなあと
すごい満足してたんだけど
リリース後
ファンの間からは
「あの耳障りなノイズは何?ミス?事故?」
みたいな声が聞こえて
悲しかった…笑

サビのギターの絡みも壮と二人であれこれ試行錯誤して
お前がそういくなら俺はこういくわって
ストリングスアレンジみたいに壮大なアンサンブルになって
とても綺麗なんだけど
すっかり今や忘却の彼方なので
ALL TIME SUPER TOURでやるならまた耳コピしなきゃだな…

歌詞集を編集してて
改めて歌詞を見返してみると
ものすごく短い。
LUNKHEADの曲の中で一番短いかもしれない。
けど、前にも書いたけど短いから簡単なわけじゃなく
俳句のように
むしろ限られた文字数の中で表現するのは逆に難しい。
そんな中で
ヘヴンズドアの歌詞は
手前味噌だけど
限りなく100点に近いように思う。
言い過ぎてないところがよくて
からっぽな「僕」に来た朝は
絶望なのか、希望なのか。
まあ希望なんだけど。
この曲は
俺が宇宙一敬愛する日本橋ヨヲコ先生の
G戦場ヘヴンズドアのラストシーンをモチーフにしてて
でもまあそれだけじゃないんだけど
10年以上経ってから見返すと
歌詞としてとてもいいなあと改めて思った。

アルバムで
眠れない夜の事からの流れなのもいい。

ヘヴンズドアは夜中に歌を録ったんです。
25時過ぎとかかな?
レコーディングが押して
てっぺん超えたくらいにオケが録り終わって
今から歌を録りたいと言ったら
別にスケジュール的に押してるわけじゃないし
やめたほうがいい、と
エンジニアの佐藤さんと
ディレクターのナベさんに止められた。
夜中や午前中は喉が開きにくいから
無理をするとそれこそ喉を潰して今後のスケジュールに支障をきたしてしまう。
ただでさえ丸一日スタジオ作業してたのに。
それでもこの曲は、真夜中の今歌う事に意味がある気がした。
そんなのただの俺の自己満足だけど。
そしたら龍が
今歌いたいと思うんだったら今歌った方がいい
と言ってくれた。

この頃の自分の歌い方は
ピッチを当てに行ってるせいか
妙にニャンニャンしててあまり好きではない。
けどヘヴンズドアは好きだ。
やっぱりあのテンションで歌ってよかったし
龍が背中を押してくれてよかった。

と、ドラマチックに語ってきたけど
この曲もタイトルが全然決まらなくて
やっぱり今はなき一口坂スタジオの会議室で
みんなでうーん…と唸っていた。
そんでまたしても
俺がうんこに行ってうんこをしてたら
ヘヴンズドアというタイトルが突然舞い降りてきたのだった。
まさに天国の扉を開いたようだった。
うんこしてたけど。

この時から
メンバースタッフ内で
小高がうんこに行くと神の啓示を受けて戻ってくる、という説が生まれた。

眠れない夜の事はどこからできたんだっけ…
リフだった気がするんだけど…
ものすごいシンプルなリフだけど(ギター始めて初日の初心者でも弾ける)
名リフだと思っている。
こんなクソ簡単なリフを山下君に弾いてもらうのはちょっと気がひけるんだけども。
最近あんまり(というか全然)やってないけど
地味な曲の割にメンバー関係者内評価が高かったと思う。
こういうミディアムテンポのアンニュイな曲って
各アルバムの中に必ず一曲は入ってるんだけど
そのせいでそのタイトルのツアーが終わるとなかなか出番が少なくなってしまう。
というのもやっぱりそれぞれのアルバムツアーだと
そのアルバムの中のアンニュイ曲をやらなけばだし
かといってこの手の曲が続くと胃もたれ感がある。
だからワンマンですらやっぱり早い曲が多くなって
ミディアム、スローな曲はよっぽどじゃないと
レギュラーに選ばれない。
実はこのポジションはLUNKHEADの中で最も激選区なのだ…!!
ALL TIME SUPER TOURはリリースツアーでもあるけど
なんせオールタイムベストツアーでもあるので
これはやれるんじゃないか!?
今聴いてもよくできた曲だなあ~。
全編通して小高大好きメジャー7がちりばめられてて
それがこの独特のメランコリックさを醸してる。
1番はBメロがあるんだけど2番は敢えてBメロをなくした。
これも、ダレずに聴けるようにって理由と
1番はBメロで落としてワンクッションあけるところを
2番はいきなりサビにいっちゃうことで切迫感を出す
っていう理由とがある。
ただBメロを削っただけなんだけど
2サビ前のスネアの連打がキモで(U2感あるな…)
あそこでハッとさせる感じがとてもよい
(って話をもし桜井さんにしたらここで間髪入れずハッとしてグー!!と言うと思う)
あと、ギターソロは
EメジャーからGメジャーに転調してて
これは同主調ってやつですな。
この流れがとても綺麗で好き。
ここよくできたな~
珍しくベースがとてもシンプル。
音もフレーズも。
サビとかほとんどルートしか弾いてないし。
ギターが結構テンションコードが多いので
ベースがルート支えてないと破綻するからってことで
鑑みてくれたのだろうきっと。

歌詞は、結構大変だった気がする。
このころはどの曲も全部大変だった。
というか、このころだけじゃなく20年間ずっと大変だった。そういえば。。
僕はロボットなんじゃないのか?とか
みんないつか死んでしまうとか
こういうこと、みんな眠れない夜に一度は思ったことあるんじゃないのかなあ?
俺らが小さい時
日本はノストラダムスの大予言に席巻されていて
もれなく俺らは1999年の7月に死ぬんだと思っていた。
結構みんな本気で信じていた。
それを思うと怖くて怖くて仕方なかった。
当時新居浜にいた俺は盆暮れは千葉の母方の実家に帰り
ばあちゃんと一緒に寝るのが恒例だった。
ある時の夜
千葉の実家で眠れない俺はナツメ電球の弱いオレンジの光を見ながら
ノストラダムスの大予言の事を思いながら泣いていた。
恐ろしすぎて誰にも言えなかった。
優しいものに触れていると逆に怖くなってしまうんだよな。

もっともっと遡って
多分、3歳か、4歳か
(結構びっくりされるけど千葉で生まれた俺は2歳で新居浜に引っ越し、そこからの記憶はほぼ全部ある。ただ最近の記憶は危うい。)
新居浜の王子アパートの寝室で
俺はどうにも眠れなくて襖を開けて泣きながら居間にいる父母の元にいった。
父母は大人タイムで
さきイカとかおつまみを食べながら晩酌してて
怒られるかな?と思ったら
なんだかめっちゃ優しく抱っこしてくれて
しかもなんとつまみまで食べさせてくれたのだった!
(酒は飲ましてくれんかった)
姉は寝ていたので
なんだか俺だけ申し訳ないなという優越感でとてもいい気分だった。
あの頃俺は絶対的なものに守られて生きていた。
おっかないお母ちゃんと愛想のないお父ちゃんに守られて生きていた。
(子供の頃は親のことをお母ちゃんお父ちゃんと呼んでいた!その後オカンオトンとなり今ではお母さんお父さんと呼んでいる)
大人になった自分は自分の力で生きていかなければいけない。
たまにどうしようもなく寂しくなってしまう夜があった。
俺はまだ26歳だったのだ。
それでも明日が来る。
1番と2番は
独りぼっちの朝が来なくてすむように
と歌っているけど
最後は
独りぼっちの朝も寂しくないように
と結んでいるのは
それでもきっと来る朝のことを思っているのです。
めっちゃめんどくさくわかりづらい表現だけど
最後で前を向いてるっていうか
前を向いてるほどでもないか…
明日のことを思いながら寝落ちする感じ?
うーん…なんていうか、やっぱりちょっと開けて終わりたかった。
淡い一筋の光だけど

ただ、このころの俺には
独りぼっちの朝は少なかった。
だいたい起きたら
独りぼっちの昼だった。。

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