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2000年12月24日
下北沢屋根裏の昼
オーディションライブ
LUNKHEADは無事合格した。
その時の店長の内田さんの言葉を
俺らは一生忘れることはない。
「ライブハウスの常連なんてカッコ悪いからさっさと卒業してください」
あの言葉がなかったら
俺らはオーディションに受かったぐらいでいい気になっていたかもしれない。
あの言葉のおかげで俺らはずっと
前に進むためにもがき続けられた。

そんな感じでLUNKHEADはいよいよ下北沢のバンドシーンに参入していくわけだけど
当時の俺らはあんまりキャッチーな曲がなかったので
前進/僕/戦場へはやたらと浮いて
セットリストの入れどころが難しかった。
やたらと浮いてしかも
やたらとバンプのパクリバンプのパクリと言われるので腹が立って封印してしまった。
当時は誰でも彼でもなんでもかんでも
男4人でバンド組んでればバンプぽいと言われた時代だった。
それだけバンプの影響力が凄いってことだけど…

そして時は流れ2003年
白い声のカップリング曲どうする?
ってなった時に
あらゆる曲を一応すべて提出したら
圧倒的に大人の人達がピンときたのが前進/僕/戦場へだった。
だったら、ライブでやれないようなアレンジに変えてしまえ〜と
それまで普通のギターロックなアレンジだったのを
ピコピコの4つ打ちサウンドにリアレンジしたら
さらにポップでキャッチーになって
ますます受けが良くなってしまった。

そして初ワンマンのQueで
せっかくレコーディングしたんだし
一回くらいライブでやってみよう
ってやってみたら
これまたお客さんの受けがよく
それっきりのつもりがいつのまにかライブの定番曲になってしまった。

定番どころか
地図でもアルバムバージョンとして録り直し
夏の匂いのカップリングでもage.26バージョンとして録り直し
アコースティックベストにも入ってるので
なんと4回もレコーディングして音源化している。

そして未だにライブのど定番として
1曲目でも序盤でも終盤でも
ダブルアンコールでも
どこでやっても必ず盛り上がる
鉄板ソングとなってしまった。

2年も封印されてたのになあ。

でもまあほんと、大変お世話になってます。

2000年春
小高芳太朗、山下壮、合田悟、石川龍
俺らは東京に集結した。

1999年の春に新居浜で
卒業ライブと称して
俺らはLUNKHEADを結成して
一回だけのライブをした。
(ほんとは二回してるけど一回目は公開リハみたいな感じだからドラマチックな感じに見せるために一回だけと謳っている…!)

1年間ブランクがある理由は
今まで散々語ってきたので割愛
満を持していよいよ東京でバンドができる!!
と思った2000年春
しかしどうやったらライブハウスに出られるのかもわからない。
どうやら…オーディションを受けるらしいぞ…
ということで
憧れの下北沢屋根裏にライブ音源のテープと書類をさっそく送った。

連絡を受けた龍から電話があった数日後
俺は、例の僕と樹の桜の前のベンチにいた。
龍は、審査に落ちた、と伝えた後
言いづらそうに
落ちた理由はボーカルがヘタすぎるから、という内容を
とてもオブラートに包んだ言い方で伝えてくれた。

ちなみにバンドを続けて20年の中で
オーディションライブのテープ審査で落ちた
という話は聞いたことがない。

愕然とした。
もうダメだ、打ちのめされた

その瞬間、あのサビが降りてきた。

もうだめだ打ちのめされた そこが僕の始まりだった
誰もいないこの場所で独りきりで誓いをたてた

そこから、忘れないようにずっとブツブツ歌いながら上井草のアパートに帰った。

ふつふつと、メラメラと
得体の知れない感情が燃え上がっていた。
このやろう
まだなにも始まってすらいないのに
このまま終わってたまるか

そんな感じで
この曲は爆誕した。

そして俺らは
バンドと言えば合宿だろう!!
と、安直な発想で
軽井沢へバンド合宿に向かった。
8月だった。

合宿施設のある軽井沢のスタジオは
どこぞの大学のバンドサークルの合宿と被っていて
やつらは夜な夜な酒池肉林の阿鼻叫喚
暴れまくり騒ぎまくり
トイレでは吐きまくり
きっと隠れてやりまくり
本当に、バンドサークルというものはろくでもないという独断と偏見だけが俺らに植えつけられた。

俺らと言えば
昼は粛々とスタジオに入り
夜は缶ビールでおつかれ乾杯したら
粛々とミーティングをして寝るというストイックな日々
マジメか。

あの頃俺らはきっと今ほどチームではなかった。
よく付き合ってくれたなあ。
と、今となっては思うけど
それどころじゃないことがこれから山のように待っていることをこの時の俺らはまだ知らない。

そして、サビしかなかった残りの歌詞を俺は夜な夜な書いていた。
俺が歌詞を書いている時
他のメンバーはテレビを見ていた。
HEY!HEY!HEY!で
SPEEDがWhite Loveを歌っていた。
夏なのに。
いい気なもんだなあ!
と、だんだん腹が立ってきて
聴こえてくるWhite Loveをギターで耳コピしてたら
あいつ耳コピしよるで〜笑
と笑われた。
よく覚えとるな俺。

そして最終日
スタジオの簡易レコーディングシステムで
僕と樹と、前進/僕/戦場へをレコーディングした。
レコーディングした、というほどのものでもないんだけど。

それをひっさげて
俺らはもう一度下北沢屋根裏にテープと書類を送った。

無事にテープ審査が通り(普通だ)
オーディションライブが決まった。

2000年の12月24日だった。

追記

1番と2番は君目線
それ以降が僕目線
と、先のブログで書いたけど
もうちょっとつけたし

1番と2番は「君」の告白で
それ以降はそれを聞いた「僕」が思ったこと

なので、1番から2番まではよく見ると実は
歌詞カードには「」がついている。
ネットで検索すると端折られてるけど。

独りぼっちで生きていけると
生きていけなきゃいけないんだと
そういう風に思い込もうとした
強くなろうと心に決めた

と、きっと誰もが一度は思ったことがあるんではないだろうか。
多分、「君」の告白が強すぎて
白い声は鬱ソングとか中二とかいろいろ言われてたんだけど

昼あげたブログを読んで、佐藤静奈ちゃんがラインくれて

明け方6時に君と僕は
扉をひとつぬけたみたいだ

のところがこの曲の骨だって言ってくれて

まさにそうなんです。

独りぼっちで生きていけると
生きていけなきゃいけないんだと
そういう風に思い込もうとした
強くなろうと心に決めた

と思ってた。
それが強さだと「君」は思ってた。
そして「僕」も思ってた。
でもそうじゃなかった。
それに気づけた2人の物語なんです。
これはラブソングなんです。

1番と2番は夜なんですよね。
そんでソロあけの

そうやって独りで生きてきたんだって
君は笑いながらちょっと泣いた

のところはどっぷり真夜中で
午前3時ぐらいかなあ

そこからの最後サビで夜が明けていくわけです。

明け方ってちょっと特別で
まるで、世界に自分達だけしかいないような少し神聖な気持ちになると思うんです。
あの日俺はバイトから帰ってきて上井草のアパートで1人だったけど

2人だけに許された
2人だけが分かち合えた
孤独とか虚勢とか強さとか弱さとか
ああ、もう、そういうものを背負って生きていかなくていいんだ
っていう
そういうものが

君は寒くて震えながら
それでもとてもいい顔をしている
明け方6時に君と僕は
扉をひとつぬけたみたいだ

という言葉に込められているんです。

これは、LUNKHEADが、そして俺が
どんな音楽をやってきたのか
そしてどんな音楽をやっていくのか
どんな言葉を紡いでいくのか、を
メジャーデビューのタイミングで
決定的に決定づけた
マイルストーンみたいな曲だと思います。
この曲が生まれて本当によかった。
今でも
未だに
俺らと、きっと沢山の人にとって
大切な曲です。

君は独りかもしれない
俺も独りかもしれない
本当の意味では

だけど
独りで生きていく必要はない
解りあうことは大事じゃない
認めあい、分かちあい、笑いあって
生きていくことが
俺らにはできる

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