「アテネ」という言葉は、この曲の中には一回も出てきません。

アンダーソーーン!とか、サラバをーー!みたいに、アテネがーー!とかいう場所が一つもないのです。すいません。

「アテネ」が町の名前なのか、ギリシャ神話の"アテナ"なのか、架空の人物なのか、男なのか、女なのか。それは私にもまだはっきりは分かっていません。

永遠の完成は、
新たな未完成の始まり。

それは美術館に飾られた
真っ白なキャンバスのように。

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ひとは、
ナイフをつくった。ナイフは悪くない。
果物の皮を剥き、魚もさばける。
それを人に向けるのが良くない。

麻薬をつくった。麻薬は悪くない。
癌の末期で打つ手のなかったじいちゃんとその家族は最後に笑って会話ができた。
それを若者が遊び半分で、現実逃避に使うのが良くない。

核を作った。核は悪くない。
甲状腺、前立腺疾患の内照射、外照射治療の発展で救われた命がある。
それをミサイルにするなんてもっての他だ。

スマホをつくった。スマホは悪くない。
部屋のなかにいながら世界の音楽や文化に触れられる。
それに夢中になったまま車を運転するのが間違ってる。

ひとはこれからAIをつくり、VRをつくる。
人工細胞ができる。クローンができる。

おそらく色んな弊害がでてくるけど、それを最初から危惧して、作るのを止めるなんて勇気は、人間には無い。残念ながら、無い。

選択肢はこれからどんどん増える。
SNSでは何万通りのライフスタイルが画面に提示され、それらはさらに何万の人の日常と合わさって、また何億通りになっていく。

しかし、選んだつもりでも、実はまだ何も選んでいないのかもしれない。

選ぶべきは、それの「使い方」である。
「使い方」を間違っちゃいけない。
「何を」選ぶかでは無くて、
「どうやって使うか」を選ぶ時代が今である。

「choose your life」。トレインスポッティングで出てくるこの台詞を私は以上のように考察する。
これが「選ぶことについて語るとき、私の語ること」。

最後に、テスラは泣かない。の音楽を、ライブを選んでくれた人に後悔させてはいけないと、胸に誓って、音と言葉を、鳴らしていきます。
これからもよろしくおねがいします。

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先日「cue」というアルバムをリリースしたSAKANAMON。
前作がHOT ATEだったので、次はHAMA GURIかなんかだとおもっていたら、「cue」でした。

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昨年森野くんにベースサポートをしてもらったのをきっかけに、cue(急)接近したバンド。もちろんそれは個人的な心の距離感であって、バンドとしてはまだまだその背中は遠い存在なのですが。

ボーカルの藤森くんに正月に宮崎で遊んでもらうことがあったりして、後に「僕ら自身の事を好きっていうのを抜きにして、僕らの音楽を評価して欲しい、もしダサい曲だったらダサいって言って」と言われたことがある。まず、告白もしてないのに、片想いが伝わっているようななんともいえぬ恥ずかしさが襲う。そのあとに一旦、彼らがどうしようもなく嫌なヤツらだと想像して、それでも彼らの曲が好きと言えるかトライするが、無駄な試みだとすぐに気づく。

彼らの音楽が混じり気のない彼ら自身である以上、彼らのことが好きなのと、彼らの音楽が好きなのは、必然なのだと思う。

あれだけ屈折してて、ナイーブなのに(ディスってるわけではないです。m(__)m)、作品やライブで「これだけは譲れない!」っていう気迫が見え隠れするのに、時々ゾッとする。

歌詞のココが良いとか、メロデイやアレンジがどうのこうのは私が言える立場でもないので、それぞれ聴いて楽しんで欲しいと思います。(しかし2本のMVにでてくるチョコビーンズ(※写真参照)が何のメタファーなのかはかなり気になっている…)

とにもかくにも、私にこれから何が起こるか分からないけど、一人の音楽家として、一人の大人として、ちゃんと向き合わないといけない事があるということを知らしめられる一枚である。

とはいえ実は結構私もその辺はこだわっていて、テスラの次作アルバム「永遠について語るとき、私たちの語ること」(7/5発売)もテスラのこれまでに育んだ音楽性を詰め込むことができましたので、聴いて欲しいです。

とりあえず今日は、「cueについて語るとき、私の語ること」でした。


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