皆さんこんにちは、渚です。

春っぽくなってきましたが花粉症、大丈夫ですか?

アレルギー持ちの私も外の風に当たるとほっぺが痒くて大変です。

人類は月へ行くことも出来るのに、どうして地上の花粉に対してこんなに無力なのか…。

 

さて、ブログに何を書こうかなと記憶を遡っているうちに、昔通っていた学習塾のことを思い出しました。小学4年生から2年間通っていた地元の塾です。

 

私は私立中学に進学を希望していたのですが、同じような子供達、いわゆるお受験組を集めた小さな塾に通っていました。

 

その名も「英才教育研究所」

 

なんかネーミング!!!

天才児を育てていますよ感が凄い。

研究所と書かれると、塾と言うよりも謎めいて聞こえますね。

極秘任務のため子供達に特殊な能力を開花させる訓練をしている場所みたいな。

 

優秀な生徒さんがたくさんいた事は確かです。

ただ、私に関して言えば円周率が8億桁言えるとか、小学生なのに高校数学を解いてしまうとか、地元で神童と呼ばれているとか、そんなエピソードは一切ありません。毎月「りぼん」を買うのを楽しみにしている普通の女児でした。

 

そんな大胆な塾を開いた先生もユニークな方ばかりだったのを思い出します。

塾長はあごひげを仙人のように伸ばしていて、時々それを三つ編みにして小さな髪飾りで結んでいる人でした。原宿にいてもおかしくない。

 

授業は主に入試の過去問をやっていたのですが、答え合わせの時間が超おもしろかった。パッションが溢れまくって、授業が1時間延長なんてこともしばしばでした。

解説の途中で、色んな分野の話に脱線したりするのですが、その話がまた面白い。

かなりぶっちゃけた内容の話もありましたが、私達には「常識的に考えて、おそらく子供には話さないであろうネタを我々に話してくれているな」という察しもあり、お母さんやお父さんには秘密にしている楽しい共犯関係でした。

 

それからその塾の恒例行事みたいなもの。

毎月行われる模試で満点を取った子の名前を、大きな模造紙に書いて塾の外壁に貼る、というもの。教科ごとに貼るので、優秀な生徒さんが全教科満点だったりすると、あっというまに壁一面が模造紙で埋まります。

小学生だったし、貼りだされた子は頑張った自分を誇らしく思えるでしょうし、自信やモチベーションもあがるはず。それに塾自体の宣伝という意味もあったのかなあ。

でも、あんな住宅街の真ん中に毛筆文字だらけの建物あったら怪しいだろ。私に子供がいたら「あの建物は何かがヤバそうだから近づいちゃいけません!」と言う。当時あの存在を受け入れていた近隣住民の懐の深さね。

 

それでも、私達はあの塾が大好きでした。違う小学校の友達もたくさん出来たし、突然「授業を止めて海に行こう!」と塾長が言い出して蟹を取りに行ったり、新聞紙を広げて制限時間内にどれだけ「の」の字を見つけて赤丸を付けられるか競ったり。

クラスの子とハイパーヨーヨーのループザループという技を教え合っていたら、ぐるんぐるん回転したヨーヨーが蛍光灯に当たって爆発したり。(その後の授業はガムテープで床ぺたぺたする時間になった)

 

授業がなくても毎日みんな自習に来ていて、一生懸命勉強していました。

そんな横で、私は地図帳から印刷した世界の国旗をひとつずつ切り取ってノートに貼るという何の意味があるのか分からない単純作業をしていました。

 

そして卒業して数年後、私の弟も英才教育研究所に通い始めました。

久しぶりに行ってみたくなって先生に会いに行くと、

 

「お〜渚!弟もしょっちゅう職員室のデスクチェアで回転しよるぞ。やっぱ兄弟やな」

と言われました。そういえば、私も隙をみては職員室で回転していました。あの楽しさに目覚めたのか弟よ。

 

先日、お正月くらいに地元に帰省しました。

その時ちょうど近くを通りかかることがあったので、今はどうなっているのだろうと塾の前を通ってみました。

 

建物だけは残っていたけれど、そこはもう塾ではなくなっていました。

張り紙だらけの変な建物で、変な先生達に囲まれてゲラゲラ笑いながら過ごした日々が懐かしい。

 

クラスメイト達はそれぞれに巣立って行きました。

お医者さんになりたいと言っていた子は夢を叶えられたかな、もしかしたら結婚してお母さんになっている子もいるかも知れないし、地元に戻って暮らしている子もいるでしょう。

みんなどんな大人になったんだろう。

神風怪盗ジャンヌを崇拝し、忍者戦隊カクレンジャーのテーマを熱唱していた私はこんな大人になりましたよ。

 

思い出すエピソードのすべてがヘンテコだし、きっと今の時代に同じことをするのは難しいとも思うけれど、あれは豊かな教育だったと今思います。