月別アーカイブ / 2019年10月

生まれたときから携帯電話はあったが、かつては二つ折りで画面とキーボードのあるものだった。
私たちが手にするときには板状で液晶と、側面と前面にボタンの有るだけのものになった。
最近ではボタンはほとんど無くなり、カメラのレンズが増えるという謎の進化を遂げた。
携帯型端末が変化することにより人間の生活も変化していっている。。。


今回はPDFをなぞった内容では無く、授業内に出された課題的な物と、個人的な意見を述べて行く回にしたいと思う。
まず女子高生が何故スマホを持つのか、という事に対し先生は、「おじさん世代に唯一勝てるアイテム」という見解を示していた、しかし私はそうは思わない。
写真の画質を気にするjkは殆どいない、何で撮ったかではなく何を撮ったかだから。美しいフォルムを気に入って使ってるjkはいない、若い女のスマフォの画面は大概バキバキだから。

ではなぜjkはiPhoneに拘るのか、それはjkは同じ物を持っていないと仲間外れになるからだ。iPhoneではなくAndroidだと謎のおじさん臭さと模造品のような、本物(iPhone)ではないということでまた仲間はずれになる。iPhoneがいいのではなく、日本で多く普及しているiPhoneという物体を所持していることがjkの最低条件になっているのだ。


男子高校生は取り分けそういうことに対して敏感では無い。
androidのが世界での普及率は高いだの、GalaxyのがiPhoneより高画質で撮れるだの、そういったなぞのイキれるポイントがあればそれで満足なのだ。
なんなら全員が全員iPhoneという状況も良いとは思わないだろう。周りと違う媒体を使っている。というのもまたイキリポイントになるし、あまり使われていない媒体を使ってる仲間をみつけてはしゃぐということも可能になる。
これに関しては年齢関係なく男とはそういうもので括れてしまうものではあるが。


次にパソコンとスマホの検索率の差であるが、これについたはまるで分からない。
いろいろ考えた結果として「公共施設に有るパソコン特有の、そのワードしか検索できないヤツ」や「パソコンがプロフェッショナルしか使わない専用機具になりつつあるのでプロしか知らないようなワード」など。これに関しては全然見当がつかなかった。



これで良いのかレポート。

毎度毎度どのようにレポートを苦しまずに書こうかなどと考えてはいるが、もう既に何をどう書けば楽しいかを見失っている私です。

しかしそのようなことを気にせず講義もレポートも進んでは行くので本日も張り切って書いていくよ。



世の中が便利になるにつれ、不便な時代を生きていた人との軋轢は生まれてしまうもの。

しかし不便が便利になる隙間で、便利をいち早く取り入れた人はカリスマと呼ばれ、場合によっては英雄のような扱いを受けます。

例えばオバマ元大統領、彼はTwitterを使い情報を発信しており、初の黒人大統領であることもあり、まさに時代の最先端を切り開いた人物であると言える

そんな人物は日本にもおり、それが小泉純一郎元首相。最盛期には255万人以上のメルマガ読者がおり、メルマガ購読数としての世界一とも言われていた。

ソーシャルネットワークの公然性と秘匿性、それは政治や国の在り方とも大きく関係があり、2011年にエジプトの独裁政権を崩壊させた「アラブの春」は、近いうちに、あるいは現在にも社会の教科書に載る内容であった。

そんな独裁政権を崩壊させたソーシャルメディアの起点が「Facebook」。創設者はマーク・ザッカーバーグ
元々はほぼ犯罪ツールだったのに、物が良すぎて波及した。高速道路やサランラップも元は戦争の時に生まれたのだから、悪いことに使われてるものが悪いものとは限らないな、と再認識。
そして崩壊を催促したのが「Twitter」や「youtube」デモの映像をyoutubeにあげ、それをTwitterで伝播させた形だ。
Twitterは日々様々な情報が飛び交い、国内でも日頃はふしだらな出来事が起きがちだが3.11の時は安否確認等やそれについての投稿が爆増し、「絆」とやらが再確認されたとか。そしてTwitterは世界のサーバーなので、国内でどれだけ騒がれても鯖落ちせず、なお良かったとか。

全と個の時代を抜け、個と個の時代の幕開けをしたSNS、ソーシャルメディア時代、大変便利である。
懐古的なことを永遠にすることが美徳だとする右翼的な思想もわかるが、便利で最先端な現在の尺度をとりいれた懐古が綺麗な形ではないかと思う。
履歴書手書きであるとか、遅刻はダメで残業はオッケーとか敬語とか、美しい国をただの極東の島国にせしめているのは、便利な時代に迎合できない思想なのである。。。




なんの話やねん

人の情報処理に対し、発信される情報は著しく増えている、など前回の講義では学んだが、今回はそんな情報を捌く「検索エンジンについて」のお話をドラえもんを交えてレポートする。




Yahoo!のサイトのトップページは情報の塊を見せる事によりアイデンティティを確立している、しかしそのやり方は正しいと言い切れない。
様々な行き先を提示してくるどこでもドアは意外と不愉快な物なのである
自分が行きたい時にわざわざ他の候補を与えられず、スッと行けるからどこでもドアは便利なのだ。


かつてのYahoo!のどこでもドアは「日本」→「東京」→「家」→「風呂場」→「人」→「しずかちゃん」とカテゴリを経て欲しいページが見つかるが
Googleのどこでもドアは「しずかちゃん」→「バイオリン下手、ヒロイン、お父さん変わる」など自動で審査してキーワードによりページが見つかる
らしい。


Yahoo!について大して興味がないのであまり深く書けないが、かつてはカテゴリ分けしていたが、破綻したのでやめたって感じ。
そしてさらっと言われた「GoogleとYahoo!の検索結果(順位)は同じ」は結構衝撃的だった。
Yahoo!の検索結果はオリジナルの関連サービスが出てくるらしい。
それが邪魔。焦った時のドラえもんのポケットから出てきそう。


Googleは広告代理店であり、掲載順位やページランク云々の話もなんとなく聴いたが、サイトを見ればなんとかなりそうな内容である。


GoogleはiPhoneの初期検索エンジンであり続けるのに年間1兆円払っている。1000000000000円である。国家レベルの資金じゃないか。。。

ローマ法王は検索やSNSに頼らず、自分の脳を鍛えよう、と云う。
たしかに一日スマホがないと心配でしょうがない。

友達の連絡の確認や、音楽も聴けないし、SNSも見れない、近くにないと不安。



これはもう実質ドラえもん

↑このページのトップへ