モノと情報にあふれている現代、もはやモノや情報を創出するよりまとめる人に価値がある。
大学生にはコレ!F1層にはコレ!といったようにおおまかにまとめるのもいいが、やはり金になり喜ばれるのは「個人」にまとめられることである。



今回は本文がまるで構築出来ない。
助けて。。。



あっ文を構築する為に教本を買おう!



といった感じで書店にきたが本が多過ぎてどれがいいのかわからない。
助けて。。。



こんな体験は読者の皆様につきましても大層多くあることでしょう、これは本屋に限らず現代社会で多く起きている現象なのだ。
そんな書店に、そんな現代に、自分に必要なものをセレクトしてくれる人がいたらどれほど良いでしょう

なんて希望しているひとが現実に行動を起こしました
それがキュレーションというシステム

平たくいえば、服屋に入った時に、「これおすすめですよ!」と詰め寄ってくる店員を、よりクオリティをあげて、よりよいものを勧めてくる人に仕上げたシステム。

最初このシステムを知ったときに、「私なら自分で全部選ぶわ」なんておもっていたが、一人暮らしを始め、シャンプーや柔軟剤を買う時は、かなりアドバイスが欲しかったものである。

それをキュレーターがある程度選んでくれるものなのだから良い時代になったものである。



しかしこれをAIやシステムに任せ過ぎているのもどうかと思うのだ。

例えばyoutube

よく見ている動画から私の好きそうな動画を記憶し、あなたへおすすめ、などと騙り羅列して行くが、これが顕在化したのは割と最近に思える。

前は割と関係ない動画も出ていた気がする。

昨今のおすすめシステムは良いが、意外と興味を持っていない動画が関連動画に出てくるのも嫌いじゃないのである、それは自分の了見が広がるからだ。


自分の好きなもので満たされているのはいいが、やはり自分の見解、まだ自分の好みになっていない分野の動画が表示されているほうが、知識や興味の幅が広がるのだ

嫌いがあるから好きがあるわけであって、自分が欲してそうな物をコンピューターが勝手に編成して列挙していくというシステムは、逆に好きに順位をつけていき、無関心になりそうなものである。

キュレーションというシステムは良いものだが、血の通った人間が相手のことを考えて、機微を交えてくれるのがやはり最高や。



今日はいつもに増して酷い内容である。