みなさん、ナマステ。

SanSan株式会社の「働き方改革サミットin札幌」にて予防医学者の石川義樹さんとトークイベントしてきました。

石川先生からそもそも栗城さんは働いてるのか? 働いてるよ! から始まり、働いている人のモチベーションを高めるためには何をしたらいいのか、考えるとは何か、ビジョンには実は敵が必要だったなど働く人の心を大切する秘訣について語り合いました。

そして、昨日今日と2日間、小樽の赤岩にて尊敬している山の先輩とトレーニング。

今日は自衛隊が訓練なのか、プライベートなのかわからない熱いクライミングをしてました。

まさに働き方改革。


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無線だけでは伝えきれてないこと全部書きました。


2016年秋、僕は秋季エベレスト北壁の壁にぶつかっていた。


傾斜60度の氷雪壁ジャパニーズ・クーロワールを登りきり、真っ暗闇の壁を7400mまで登っていた。7000mぐらいから傾斜が緩くなると雪は腰近くまでとなり、両手両膝で崩しながら進んでいく。秋は風が弱い期間が短い。あと2日でまた強風の周期がやってくる。なるべく雪がしまっている時間に深い雪を越えようと夜20時半に6800mのキャンプを出発したが、多少硬い部分を見つけてもまたすぐに深い雪に埋もれていく。


これを一人で。。


山と向き合いたいという思いから人がほとんど入らない「秋季」を選び続けていた。


雪と強風の秋に無酸素で一人で登りきった人はまだ誰もいない。


「なぜ春に登りやすい通常ルートでいかないんだ?」とよく言われたりしたが、言葉で理解してもらうことは難しく、過去に秋季エベレストに無酸素・単独で向かった日本人は一人いる。きっとその人しかこの感覚はわからないかもしれない。


北壁の雪はどんどん深くなっていく。


2日後にくる悪天候までこの雪を進み山頂に向かうのは不可能だと感じ、深夜下山を決めた。


だが、すぐには下山しないで深い雪に腰を下ろし、陽が昇るのを待っていた。


それはこの中間部から北壁全体を見渡すために。つまり、またここにくるために陽が昇るのを待ち続けていた。


2017年春。


チベットの高原の大地と雪、そして深い空。チベットの三原色を眺めながら春の北壁ベースキャンプに向かう。


エベレスト7回目にして、はじめての「春」のキャラバンが始まる。


チベット・ベースキャンプはすでに多くの登山が入っており、街のようになっていた。


今年はチベット側のノーマルルートで300人、ネパール側で700人登るそうだ。


北壁ベースキャンプに到着後、高所順応のためにノーマルルートに向かい7300mまで登り下山する。


下山途中、お客さんを連れた日本人山岳ガイドに出会う。


「久しぶりだね。元気そうだね。」


「あの氷どうするの?いけそう?」


あの氷とは北壁下部あるジャパニーズ・クーロワールのブルーアイス(青く硬い氷)のことである。


「上から見てたんですけど、うまく行けば」


実は僕が最も気にしていたのは北壁下部にある長さ600mに及ぶ氷の壁のことである。


2016年にここを登っていたが秋の雪が張り付き、まだ比較的登りやすかった。


だが、春は雪が少ない分、氷が張り出し、硬いブルーアイスになって聳え立っていたのである。


それは北壁のベースキャンプからでも確認できており、上から偵察するためにもノーマルルートに回り込み、7300mまで登ってきたのだ。


もう一人、このブルーアイスを気にしてくれている人がいた。ドイツ人登山家のラルフさんだった。ラルフさんはドイツ人登山家として14座を登り、エベレストも8回挑戦しているベテランの登山家だ。


チベットのティンリ村の宿で「クリキ?」と鋭い目で声をかけられ、決して目を逸らさない。(前にドイツの新聞で僕の記事を読んだそうです)


誰だろうと思っていたが、名前を聞いてすぐにあのラルフさんだとわかった。


ラルフさんとはチベット・ベースキャンプに向かう車も一緒でお互いの哲学や過去の失敗談を交わしながら話を聞いた。


「秋のエベレストは6回登れなかったって?俺は7回目だよ」と笑いながら丁寧に話をしてくれた。


ラルフさんのエベレスト挑戦は7回登頂できなかった。


ただし!向かっているルートはノーマル・ルートではなく全て「バリエーションルート 」(難しいルート)


登頂した一回はノーマルルートでの酸素を使用していたが、「あまり楽しくなかった」そう言って今回無酸素登頂を目指していた。


本当にガチンコで挑戦している人は共通してみな独特のオーラがあり、そして明るい。


「俺は2回北壁に向かったことがある。ただ、あの氷を越えるのにかなり時間がかかり、やめた。時間がかかるぞ」


本当にやってきた人は的確に短いアドバイスをしてくれる。


今まで色々アドバイスっぽいことを言う人がいたが、やったことがある人の声はやはり伝わり方が違った。


昨年の秋季エベレスト北壁の時は実際に行ったことのある山の先輩から「雪がしまっていたらいける。しまってなかったらいけないな」とメッセージをもらっていた。


まさにそうで雪の状態で大きく左右される。


北壁側のベースキャンプにて望遠カメラで撮影した写真をさらに拡大し、突破口を探していた。


このブルーアイスを意識して、事前に29本のアイススクリューと600m分のロープを用意していた。


だか、9本の指を凍傷で失ってから左手はピッケルを持つだけでも精一杯。ほとんど右手だけで支えなくてはいけない。


それでいて長時間いや、数日間もこのブルーアイスと格闘することができるだろうか。。


ロープを張って、下がり、ロープを張って下がる。


ラルフさんが言うように時間がかかりすぎる。


そして、何よりも心が進まないのは600mのロープを張ってもそれは回収することはできない。


つまり600mのロープと29本のアイススクリューを残置したまま帰ることになる。


まるでエベレストにホッチキスを打つかのように。


それがエベレストに申し訳なく、600mロープを張った先のゴールが見えなくなっていた。


このまま遠征をやめて仕切り直すか、それとも別なルートに行くのか。行くとすればどこに? 人が踏み固めたルートではなく「山」感じられるルートを。


考えた結果。ネパール側の西稜から北壁ホーンバイン・クーロワールに入るルートだった。


そもそもこのルートは2012年秋に一度向かい、ホーンバイン入り口8070m地点まで行ったことがある。その時に猛烈な風に遭い、両手、両足と鼻が重度の凍傷となった。


あの時のリベンジ。。ではないけど、聳え立つブルーアイスを避けて、ホーンバイン・クーロワールに合流するためにはこのルートしかない。


ただ、今から登山許可が取れるのか?また移動や新しい登山許可料でお金がかかる。


しかし、このまま心が向かないまま、また避けられる危険をわかっていて向かうわけにはいかない。


日本の事務局とエージェントに連絡してルートの変更と手続きの準備を進めてもらった。


5月17日、ネパール側のゴラクシェップ(5300)に入る。経費を抑えるために通常のベースキャンプは作らず、ベースキャンプから歩いて2時間手前にあるゴラクシェップのロッジ(山小屋)をベースにした。


チベット側には3人のスタッフが残り、西稜から出てくる栗城を望遠カメラで捉えるために待っていた。


20日ゴラクシェップから一気に6400mのC2に向かう。しかし、1週間分の食料と荷物を比較的小さいザックに詰めて一度に全て上げる。ゴラクシェップからの2時間が微妙に効いてくる。


体力温存のためにC1で泊まり、翌日にチベット側のABCと同じ標高のC2(6400m)に入った。


C2に入ると今まで見たことのない光景が広がっていた。


まるで下のベースキャンプと変わらないテントの数々、中には食堂テントにイスまでつき、ローツェ・フェイスには数珠繋ぎになる人の列が見えていた。


だが、エベレストは誰のものではない。


公募隊の何人かに話かけられたが皆「夢」があり、それぞれのストーリーがある。本当に素晴らしいと思っていた。


中には借金して来ている人もいたが、自分も今回冒険の共有するために700万と300万合計1000万の借金をしている。


登山の費用は自分で用意できるが、登山とは全く違う冒険の共有をするために不足分は借り入れしてでも必ず行なう。


バカにされることもあるが、僕には全てをかけられる夢がある。


挑戦する人の分だけそれぞれのエベレストがあるし、スタイルや哲学がある。


自然と個人が向き合うチャレンジに誰かがとやかく言う権利は無い。


C2で無線で最新の天気予報を入手する。


24日の登頂を目指していたが、23日西風が最も強く25日が最も弱くなる。


西稜は西風の影響を受けやすい。


25日の登頂。そこに標準を合わせて、23日にC2を出発することにした。


朝、C2から一人西稜に向かっていく。


ザック、ザックとアイゼンの爪を食い込ませていく。時折、スノーシャワーが降り注ぐ。


傾斜はきつくはないが、時々ブルーアイスが出てきた。


雪が張り付いているかなとグローブで触ると厚さ3センチほどの雪が張りついているだけ。


ピッケルを一回、二回、三回とようやく三回目できまり、足を上げていく。


結局、稜線手前の傾斜緩くなるところまで、カリカリの氷を登っていった。


稜線手前にはバリバリのアイスバーンの斜面もあり、岩のテラスにテントを張ることにした。


今回、新しく入手したテントは500gの最軽量。


今夜はこのテントで一夜を過ごす。寝袋は300g(+8℃まで)の普通なら寒くて耐えられないが、重ね着の着方と呼吸法でそれでも充分耐えられるようになっていた。


ただ、C3に到着前に気になることが一つあった。


それは妙な吐き気だった。若干熱もある。


高山病かなと思っていたが、順応はすでにできるし、体内酸素濃度はこの7100m以上で80もある。無酸素で挑戦できる数字だ。


頭痛もなく、ただ胃がムカムカとしていた。


夜、そばがきとシリアル、プロテインを混ぜた少量の食事を取り、就寝。


しかし、風が強くポールがグニャグニャと左右に揺れ、時折下から突き上げる風がまるで地震ように左右に揺れていた。


何度か強風でテントポールが折れた経験のある僕はこの場合はどうするか。


一休さんになるしかない。。


「気にしない。気にしない。一休み、一休み」と極薄の寝袋に包まっていた。


朝、まだ風は強かったがテントは無事だった。


吐き気は収まらず、食べていたら吐くのはわかっていた。


水分を取り、様子を見るために出発の時間を遅らせる。


午前11時にC3を出発する。高所で標高を上げて体調が良くなることはない。一旦下りて体調を戻すしかないと思いながらも。一歩一歩ゆっくり上がりながら体調を見極めていた。


そして、また嘔吐。。


僕は体調を戻すために一旦下山することを決めた。


ゴラクシェップにて2日間の休養を取り、吐き気と熱は収まったが、もう一日休養が欲しかった。


しかし、週間予報では30日から31日が登頂に適しており、しかも25日の予報より風が弱い。


ここしかない。再びC2を目指していく。


精神的に追い込まれてきたのか、集中しているのか、口数が少なくなる。


C2に向かう時に他の登山隊から「クリキ!」「オー!ジャパニーズ!」と声をかけられるが一言答えるだけであまり深く話そうとはしなかった。


ただ、これまで道中で出会った一人一人が無事に登れたか気になっていた。


あの日本人登れたかな?ラルフさん、行けたかな? ネパール側ではすでに5人亡くなっており、みんなの無事を祈っていた。


やはり全てをかけてきている以上全員に来て良かったなと思ってもらいたい。


C2に着いた時にほとんどの登山隊の撤収が始まっていた。


どうやら最後の一人になったようだ。


元々、山を感じるために単独一人の登山を好んできた。


あとはこのまま天候が安定すれば。。


出発は29日の3時にC2を出発し、C3で数時間休養をしたらそのままホーンバインの入り口手前でビバーク。深夜に山頂を目指すという短いスパンでの登頂を目指すことにした。


雪は深くない。充分いける。


そして、その日の夕方。水を作りながらプモリ中継キャンプの魚住さんから定時の天気予報を無線で聞く。


「そのまま読み上げます。ベンガル湾からサイクロンが。。」


その言葉を聞いた時に一瞬まるで8000mに飛ばされたかのような苦しさで呼吸が止まった。


だが、落ち着いて最後まで聞くしかない。天気は自分の力で変えることはできない。


僕は素直に従うしかないのだ。


「ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト周辺は悪天候の周期に。29日は西稜向かうのも難しい雪が降る」お世話になっている山岳気象予報の猪熊さんからのメッセージだった。


確かに雲が湧いて来てる。


エベレストの無酸素登頂の成功のカギは最後は天候である。


ただでさえ、無酸素は有酸素に比べて身体が冷える。そこに風が加われば体感温度は低くなり、凍傷にもなりやすい。


そして、僕のようにラッセル(新雪をかき分けて進む)ルートは雪の取り付き方で登頂の可能性は全く変わる。


魚住さんから2回3回と予報を読み上げてもらい冷静に考えていた。


この天候は有酸素でも向かう人は誰もいない。


涙が止まらなくなってきた。


最後の最後に。。


涙の理由は決して悔しいからだけではなかった。


実はC2に向かう時に一つの問題があった。


元々、ネパール側に移る時にエージェントから6月7日まで登山は大丈夫と聞いていたし、他の日本人スタッフも確認していた。


しかし、それは間違っており、29日までに下山しなくては行けないと話を聞いた。


またチベット側では西稜から出てくる栗城を捉えるために日本人一人とネパール人スタッフがずっと待ち続けてくれていた。


チベット側は6月中旬まで許可が取れている。だが、ほとんどの登山隊が撤収を開始しているためお前らもそろそろ帰れと強制的に荷下げようのヤクを送り込んで来ていた。


そんな中、ネパール側とチベット側で「もうすぐ栗城が登るんです!」と必死の交渉が行われ、日本からも嘆願が行われていた。


そして、ネパール側は6月1日まで伸ばしてくれたのである。


それを知っていた僕はこの天候を聞き、申し訳なく、無線で中継スタッフに「本当にありがとう」と涙をためながら断念することを伝えた。


これが山か。。


最後はサイクロンという以外なヤツが幕を下ろさせた。


翌日、僕は一睡もできず様々な想いが巡っていた。もし天候が良くても完璧な体調でないまま向かえたのだろうか。 あの時に吐き気がもしなかったら。。一つ一つを振り返り、紐解いでいた。


29日午前10時、多少はサイクロンの影響が弱いかもしれない。晴れはしないが風は弱いと無線があり、すでにホーンバイン・クーロワールに向かう時間はもう無いが通常ルートならギリギリまだ間に合うじゃないか。僕は通常ルートからの登頂を目指そうとしていた。


だが、身体に力が入らない。やっぱり自分は「感じる」登山がしたい。


「お前、素直なやつだな」


この踏み固められたルートは僕には無理だった。


雪がパラパラと降り始める。そして、最後に無線で中継を行い、そのままの現状と支えてくれた人達への感謝を伝えた後、大雪の中、ゴラクシェップに向けて下りていった。


「最後に」


今回、あの体調不良は何だったのか。


下山後に知り合いのお医者さんに相談したところアレルギーじゃないかと言われました。確かに吐き気と熱、そして、湿疹が身体にできていた。アルコールは口にしないし、普通の人以上に食べ物に気をつけていましたが、一番重要な時に。。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。


ただ、それ以外の体内酸素濃度が昔より高く、今回、荷物も食料も最軽量にしても充分寒さも耐えられました。それは今まで秋の条件が悪い時に挑み続けた中で身につけてきたものがあるからです。


そして、皆さんにお伝えしたいことがあります。


「自分の中にあるクレイジーを大切にして下さい」


今回、様々な登山隊のシェルパや外国人から「クレイジー・ジャパニーズ!」「がんばってください」とたくさん応援してもらいました。


「通常」や「普通」、「一般的」などと違うことをしようとすると理解されることは難しく、失敗すれば馬鹿にもされます。


正しいこと言うとする人もいるけど、実際に自分はやったことはなく、言えば言うほど「お前つまんねぇな」(赤塚不二夫)です。


元々、山はクレイジーな世界です。


普通よりちょっとクレイジーな方がやっぱり面白いし、そして、その「クレイジー」は僕だけでなく、多くの人が持っています。


人と違う価値観やチャレンジを「つまんねぇな」の声にかき消されることなく、いつまでも大切に素直に生きていきたい。


つまり、来年もやる!ということです。


本当に応援ありがとうございました。


※9月はフランスで訓練です。


栗城史多

 

皆さんナマステ。

2日前(5/29)の夜10時過ぎ(日本時間5/30夜中1時過ぎ)に無事にゴラクシェプ(5300m)まで戻ってきました。

本当は到着後にすぐ更新したかったのですが、ネット環境が悪く、今になってしまいました。

手に湿疹ができ、免疫が落ちているんだなと感じています。

本当は30日に登頂を目指す予定でしたが、ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト全体が悪天の周期に急に変わり本当に残念でした。

25日の好天に登頂できればよかったですが、異様な吐き気が続き、本当に悔しいです。。

高所ではどんなに体調管理しても何がおこるかわかりません。

ただ今回初めて「春」に挑戦しましたが、秋に比べて春は好天の周期も多く、西稜に抜けるブルーアイスの状況もよくわかったので、来年に繋げられます。

皆さんご存知だと思いますが、栗城史多はNever give upです。

この遠征が、全体的にどのようなものだったのか、また後ほど報告させてください。

映像についても編集スタッフがまだチベット側にいるので、合流してからアップしていきます。

皆さん応援、本当に本当にありがとうございました!


帰ってくると毎回髪がトロール人形みたいになってきます。
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