ドイツに入りました。
空港でレンタカーを借り、デュッセルドルフに入り二泊。
そこから2時間半くらいかけてフランクフルトに向かい、一泊。翌日ミュンヘンに4時間かけて行き、一泊。さらに翌日は、また4時間かけて、フランクフルトに戻って一泊という、ハードな上、わけのわからない行程です。

早速、レンタカーを借りたのですが、これが、息子の強い希望で、オートマではなく、マニュアル車。
日本とは逆の右側通行。息子には初めてのドイツ。無茶だろうと、いくら言っても、「絶対に大丈夫」と譲りません。
なんせ、息子の願いは、車速が自由な、つまり何キロ出してもいいという、ドイツ名物アウトバーンをかっ飛ばしたい!というものなのです。

「車を借りる息子」

「ドイツでの愛車、アウディ」

まあ、というわけで珍道中の始まりです。

デュッセルドルフに着くや、すぐに日本料理店へ直行。日本酒を飲み、串など食べ、最後はたぬきうどんで締める。
日本人に生まれてよかった!と思う瞬間です。


デュッセルドルフには日本の企業が多くあり、その店も日本のサラリーマンでいっぱい。皆さん、盛り上がっていました。

隣の席のカップルは、「北海道ゆめぴりか」土鍋ごはん三合を、黙々と食べていました。
幸せそうでした。でも、三合ですよ。二人で三合!

それにしても、なぜ、今回デュッセルドルフを選んだのか。実は30数年前、私、住んでいたのです、デュッセルに。
そしてそこから一時間半のところにある、イザローンという小さな町に下宿し、ドイツ語学校にも通っていたのです。

今回は、その学校のある場所に行くという計画を立てたのですが、残念ながら、学校は移転しており、イザローンにはもうありません。
でも、どうしても行ってみたくて、とりあえず出かけ、でも、場所がよくわからないので、地元の警察に。そこで、かつて学校があった場所を教えてもらい、行ってみました。

「住所を調べてくれる、ポリツァイ(警察)のおじさん」

BMWの白バイ」

建物は変わっていたのですが、間違いなくそこに学校があったことを思い出し、ついでに下宿していた家を探したのですが、それは見つかりませんでした。

「学校の跡地の建物」

それにしても、その学校で、実は私、めちゃくちゃモテまくったのです。
人生のモテ期とはあの時のことでしょう。
朝、家を出ると、取り巻きの男の子たちが待っていて、学校まで一緒に行きます。
授業中に先生に当てられると、クラスの男の子たちが私の代わりに一斉に答えて先生にお目玉をくらい、テストは、みんなで答えを見せてくれたり、もう至れり尽くせり。ついでに女の子からまでモテて、金髪美人が、「真面目につきあって」なんて言ってきたりもして……。
イラクの大金持ちで俳優の男の子からは、プロポーズまでされました。
お嫁に行っていたら、どんな人生だったのでしょう。
それにしても、いやあ、ほんと、狐につままれているようでした。
また、日本人女性はドイツの男性にも非常にモテます。
あちこちで声をかけられ、「マジすか?」てな感じでした。

「夢よもう一度」と何度も思いましたが、あれほどの思いはその後していません。当たり前か……。

でも、30数年前にいた場所を、今、当時と同じ年頃の息子と訪ねることができるなんて、まるで夢のようだと思いました。

将来が見えず、悩んでいたあの頃の私に、「あなたの人生の先は、こんなふうになっているのよ!」なんて、教えてやりたい気分になりました。

ドイツ語はまったくもって上達しなかった私ですが、多感な頃、ドイツで過ごしたことは、素晴らしい経験となりました。
昨日の息子の話ではありませんが、ヨーロッパの人たちの成熟ぶりには、本当に教えられることがたくさんありました。
「年をとるのが怖くない」という気持ちを持ち続けられるのも、たくさんのヨーロッパの大人たちを見たからだと思います。
年を重ねてこその人生。子供たちは下がっていなさい、くらいの勢いには、当時、仰天したものです。

人目は気にしない。大切なのは、自分が自分らしくいること。
流行のものを着るよりも、自分のスタイルを持つこと。それはパリの女性たちから学びました。
カシミアは子供が着てはいけない。あれは大人のもの、とか、フリルは年を重ねた女性のもの。
若さがなくなるからその分華やかに。なので、日本の若い女性がフリルを着ているのを見ると、若いだけで美しいのだから、フリルは過剰になるのだな、なんて思ったりもします。
もちろん、私はフリフリしてます。年なので。

うわ、長くなってしまいました。
ここまでおつきあいくださり、ありがとうございます。

では、また。

「学生時代に歩いた道」

「ドイツのビール!」