月別アーカイブ / 2017年08月


ドラマ「定年女子」、無事最終回を迎えることができました。

たくさんの方々に愛していただけたこと、心より感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。


53歳の主人公・麻子が転んでは立ち上がり、やがて自分らしい道を見つけていく姿を、皆様が見守ってくださったことは、作り手として、本当に嬉しいことでした。


最後は、死生観のようなものを表現したいと思い、「メメント・モリ」(死を思え)という言葉を使ってみました。

これは、麻子の元姑・登美子さんの思いとして語らせ、それが若い世代にも浸透していくという作りになっています。

「メメント・モリ」とはラテン語です。

元々は、戦いに勝った将軍が、凱旋パレードの際に、「今日は勝ったが、明日はわからない。気を抜くな(死を忘れるな)」ということを、気を引き締めるために、おつきの人間に言わせていた言葉だと言われています。


生前葬の会場として選ばれたお寺、とても素敵でしたよね。

あ、実は、あそこに私、映っていたのです。

あのシーンがドラマのクランクアップだったので、顔を出したのですが、そこで、南果歩さんに無理矢理座らされてしまい、なんとそのまま映されることに。

ほんの一瞬ですけど。

落語に笑っているシーンです。


なにはともあれ、終わりました。

ホッとしました。

続編や地上波での放送を期待してくださる方が多いとも聞いております。

本当にありがたく嬉しく思います。

そんな日が来ることを、皆様と共に、祈りたいと思います。


最後は、ドラマのラストで流されたナレーションで締めくくりたいと思います。


Na「定年女子も、老いも若きも、女性たちはこの国の宝。未来はどこまでも大きく開いているのです。……そう、あなたの未来も──」


ありがとうございました!

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前回のブログに、とても反響があったとのこと、それくらい、ドラマ「定年女子」を愛してくださっている方が多いことを、まずは感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。

ドラマの楽しみ方はいろいろです。
私が書いた内容で、観る楽しみを失ってしまった方がいたとしたら、もう、ごめんなさいと言うしかありません。
私へもいろいろありましたが、ドラマの作り方などが参考になり、ますますドラマが楽しみになり、また、別の角度から観られるようになったなどというご意見も多く寄せられました。

脚本家にももちろん喜びはあります。
自分の書いた脚本が、思った以上の仕上がりになったとき、心から感動します。
「定年女子」にも、たくさんありました。
そういう時は、プロデューサーなどにできるだけ伝えるようにします。

ただ、時には、現場でセリフを勝手にいじられたり、俳優さんたちが、「こう演じたい」という思いが先行し、こちらの計算が踏みにじられることも、それはもうしょっちゅうあります。
増やされたセリフの敬語の間違いなどもよくあり、真っ青になったりもします。
「ドラマを書いた脚本家って言葉の使い方も知らないのか!」と局に不満が寄せられたりもします。
無念であり、屈辱です。

今、「やすらぎの郷」というドラマがテレビ朝日で放送されていますが、脚本家が主役です。
あれをお書きになったのは、倉本聰さんという素晴らしい脚本家ですが、あの方も、そんな中、戦い続けた方のおひとりでもあります。
それゆえ、局などから煙たがられたとも言われています。

もちろん、私たちはお金をいただいて書いているわけですから、こうしたことをこういう場で発言することを控えるべきなのかもしれません。
ただ、私たちは、視聴者の方々のことを思い、ひたすらに書いています。
物語をつむいでいます。
それゆえの悲しみであることをご理解いただきたいと思います。

なにはともあれ、ドラマの楽しみ方はさまざまです。
「田渕はそう言っていたけれど、でも、私はこちらの方がいい」
「私たちの方が、ドラマを観る目がある!」
それでいいと思うのです。

ブログでつぶやいた、一脚本家の思いに過ぎないのですから。





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昨夜、ドラマ「定年女子」の7話放送でした。
視聴率も高く、皆さまも楽しんでいただいているようで、本当にありがたいです。
いよいよ、来週は最終回。
続編や地上波を望んでくださっている方がとても多いと聞き、これまた感激。
本当に、ありがとうございます。

さて、そんな中、こういう話もなんなのですが、私、7話を観て、「うーん」とうなってしまいました。
私が書いたものと、演出がかけ離れてしまったときに感じる「違和感」とでもいいますか。

まずは、カットがとても多かったのですね。
つまりシーンが切られているということ。
主人公の麻子が、母が倒れたと聞き、静岡の病院へ急ぐ。
そして、その後、東京に戻り、そこで、娘におばあちゃんの様子について話し、友人の真紀と、自分たちは友達の多江が、母親の介護で悩んでいたことが、どこかで人ごとだったと反省するシーンがあったのです。
そのシーンがまるまるカット。
だから、ドラマでは、娘の葵が、おばあちゃんのことをまるで心配していないような印象を受けたりもします。

それはまあ仕方のないことで、これはドラマではよくあることです。
撮影してみたら、シーンやセリフが多すぎたというやつなのです。
脚本の時点で、だいたいの長さをはかり、それに合わせて私たちは書くのですが、実際に撮影してみたら、「あれ、長かった」という感じでしょうか。
「前もって計算できんのか!」と脚本家たちは怒ったりもするのですが……。

しかし、今回、もっともひっかかったのが、麻子が過労で倒れ、付き添う藤原丈太郎と話すシーン、あれはどうよ、と思ってしまったのですね。
私の本はもっとさっぱりと書いていたのです。
麻子はあんなに泣かないし、丈太郎も淡々と受け止めるというシーン。
まさか、丈太郎が泣くなんてショックです。
丈太郎はどんなにふざけていても、大人の男でいてもらいたかったから。

そして、ドラマは、「違和感」があってはいけないと思うのです。
視聴者の方は、麻子と丈太郎のシーンの盛り上ぶりに、「ついていけない」と感じられた方もいらしたのではないかと思います。
私のまわりはそうでした。

つまらないドラマというのは、こちらが泣くまでに盛り上がっていないのに、俳優たちが盛り上がり、泣いたりしていることを見せられることだと思います。
シラけてしまうのですね。
私は、ドラマでそういうことがないように計算して書いています。
しかし、できあがったものを観て、「ぎぇえー!」となることがよくあります。
だから、実は自分の作品を観るのがあまり好きではありません。

かつて、故・向田邦子さんは、自分の作品が映像化されたのを観て、「いくらでもお金を出すから買い取らせて!」とおっしゃったとか。
それくらい、放送されるのがいやだったのですね。
私たちにはよくわかります。

脚本家は、すべてを作ります。
状況から誰がどこで何を話すか、本当にすべてを書くのが私たちの仕事です。
しかし、それが監督やスタッフに渡り、俳優さんに渡ると、もう口が出せないのですね。
この寂しさはもうなんとも言えません。

ああ、だらだらと書いてごめんなさい。
昨夜の放送を観て、思わず愚痴ってしまいました!
ただ、もちろん、監督の言い分もあるでしょう。
今度、訊いてみます。

気分を入れ替えて──
最終回放送を前に、明日発売の「女性自身」に、私の記事が出ています。
ドラマについて語っています。
よかったら立ち読みでもしてみてください。
サイトからも読めるのかな?
以下からお入りくださいませ。


では、最後に、カットされたシーンを──
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