月別アーカイブ / 2016年07月


今、名古屋に来ています。

私のお弟子さんのマコちゃんは名古屋に住んでおり、今回は、彼女と、今後出す本の相談をするため、名古屋に押しかけたのです。
ホテルに数日滞在し、ひとりでのんびりしつつ、この先のことを考える。
ありがたい時間です。

とは言うものの、名古屋です。
外せないのは、そう、ひつまぶしでしょう!

いろいろとおいしい店はありますが、私は、ここ、「いば昇」がかなり好きです。
ひつまぶしは、うなぎを焼いたものを細かく切り、おひつの中でごはんとまぶして食べる物です。
最初は、ごはんとうなぎをおいしくいただき、その後、お出汁をかけて、お茶漬けのようにいただくというものです。
こちらのお店は、お出汁ではなく、お茶をかけるのですが、それが私は好きなのですね。

最高に幸せな時間を過ごした後、「徳川美術館」へ向かいます。
「信長・秀吉・家康 −それぞれの天下取り−」という展示をしていると知り、出かけました。
秀吉の妻「おね」さんの小説を書いた身としては、はずせない企画です。
今、小説の副題に「信長・秀吉・家康に愛された女」なんてつけているくらいですから。


展示品が盛りだくさんで、なかなか見応えがありました。

織田信長の展示のところに行くと、なぜか、女性ホルモンがどばどば出るよね、不思議よねえ、なんてマコちゃんと話しながら見ていきます。
信長って、ほんと、なぜだか女心をくすぐられるのですよね。
小説「おね」でも、信長は、おねの初恋の相手として描きました。

豊臣秀吉のお風呂道具なんてのもあって、低い身分から成り上がった人が、こんなりっぱな塗りの風呂道具を使うってどういう気分だったんだろうね、とか、あとは、徳川家康の着物などを見て、意外に背が低かったのではないかだのなんの、女ふたりで賑やかに回ります。

途中で、小説にぜひ盛り込むべき、ということなども思いついたりして、意義深い時間となりました。

それしにしても、刀をはじめとする道具類の美しさには感動しました。
当時の職人たちは、絶対的な力を持つ武将たちのために、その腕を存分に発揮することができたんだろうな、とも思いました。
伝統工芸の維持に汲々としなければならない現代の方たちからすると、うらやましい限りなのではないでしょうか?

そして、誤解を恐れずに言うなら、刀やピストルなどを見ると、その美ししさに、私は見とれてしまいます。
人を殺す、その一点に目的をしぼって作られたものは、無駄なものが省かれ、結果的に美しいものになるのでしょうね。
軍服などもそう。無駄がなく、シンプルで美しい。
「飛ぶ」ということに特化した飛行機などにも、私は心惹かれます。
レーシングカーなんかも。速く走るために考え抜かれた姿は美しいと思います。

さて、歩き回って疲れた後は、美術館に併設されたカフェで一服。
美しい庭園に面した店でのんびりします。

「くつろぐ弟子、マコちゃん」


写真はコーヒー・フロート。皆さんご存じ、アイスコーヒーにアイスクリームが載った飲み物ですが、私はこれがとても好きなのです。

苦いコーヒーを飲んだり、上のアイスクリームを食べたり、そのうちに、アイスクリームが徐々に溶けてきて味や様子が変わっていく感じが好きなのです。
「ひつまぶし」もですが、食べながら変化してものが私は好きです。
なんだか、ドラマがありませんか?

とにかく、私の名古屋での日々は始まったばかり。

後は鶏を食べて、エビフリャア(エビフライ)を食べて……。って、仕事はいつするんじゃいっ!

 ロンドン・ドイツの旅を終え、すでに帰国しております。
あの後、いろいろとあり、それも書きたかったのに、本当にドタバタ旅行で、気がついたら帰国の日。
しかも、旅の途中も仕事をしていたのですが、帰国後すぐに、小説の直し原稿を出さなければならず、そちらの締め切りをこなしているうちに、はや、七夕となっておりました。
 
でも、旅はやっぱりいいですね。
 
あの後、誕生日をドイツのデュッセルドルフで迎えました。
息子が知らぬ間にレストランを予約してくれて、幸せなひとときを過ごすことができました。
 
 
18歳の娘は、電話口でハッピー・バースデイを歌ってくれました。
いくつになったかって?
トシはだいぶ前に忘れました。
 
そのせいかどうか、あちらでは、私、ほとんどどこでも息子の「オンナ」と間違えられ続けました。きゃっほう!
 
「オレがしっかりしてて、お母さんがぼやーとしているからだよ」と息子は言いますが、それは本当にそうなのですが、それにしても、ねえ。おほほ。
 
息子は以前、ロン毛で、老けて見え、そのため日本でも親子とは見られず、それがいやで髪の毛を切ったという経緯もあるのですが、その後も、カップルに見られたこと、数知れず。わはは。
 
いつまで、そんな甘い状況が続くかわかりませんが、がんばっていきたいと思っております。
 
ドイツで、印象に残っていることを書こうと思いましたが、あまりに多く、うーん。
 
まずは、ローマ時代からの歴史を誇る街、ケルン。
世界遺産にもなっている大聖堂に行きました。
 
 
これ、ほんと、ひっくり返るくらい大きいのです。
そして、入り口を間違えた私と息子は、聖堂の中ではなく、なぜか、尖塔の中へ入ってしまい、ただひたすらに、螺旋階段を上り続けるという地獄へまっしぐら。
 
結局、東京タワーの半分くらいまで登り、私はもう半死に状態でした。
その後、ステンドグラスも美しい教会の内部へと入ったのですが、十字架を前に私が祈ったこと。
「神よ。靴ずれが悪化しませんように……」
  
そして、疲れたところで、すぐビール。
なんてたって、ドイツですから。
 
 
あ、それと、ドイツは、ビール一杯までは飲んで車の運転をしてもいいのです。でも、これもあくまでも目安で、すべて自己責任の世界なのです。
ヨーロッパを大人だな、と思うところのひとつです。
 
ケルンという町は、ドイツでは、「コロン」てな感じで発音し(「クルン」かな)、実はオーデコロンは、そもそも、フランス語で「ケルンの水」という意味なのです。
ケルンがナポレオン軍に占領された時代に、ナポレオンや兵士たちが、この香水を妻や恋人のため、フランスに持ち帰ったことから広まったとのこと。まるでフランスのもののように思われていますが、実は、こちらが発祥なのです。
 
 
写真は、300年前に作られたコロンで、その頃から調合を変えていないというとんでもない品です。
英国はじめ日本の皇室御用達とか。
娘と、弟子のマコちゃんのために買いました。(あ、そうなのです。私、去年の10月からお弟子さんができたのです!)
 
さて、ケルンの次に行ったのが、ボンという町です。
ボンには、ベートーベン・ハウス、つまり、ベートーベンの生家があり、今回の旅の楽しみのひとつだったのです。
いやあ、感激しましたね。
ベートーベンが使った楽器や直筆の楽譜。たくさんある補聴器には胸が痛みました。
そして、ある一室。ここであの天才が生まれたのか、と、ひとしきり感動し、その余韻のままに、またビール。
なんせ、ドイツですから……!
 
 
なんだか、またもくだらない内容になりましたが、本日はこれにて。


ドイツに入りました。
空港でレンタカーを借り、デュッセルドルフに入り二泊。
そこから2時間半くらいかけてフランクフルトに向かい、一泊。翌日ミュンヘンに4時間かけて行き、一泊。さらに翌日は、また4時間かけて、フランクフルトに戻って一泊という、ハードな上、わけのわからない行程です。

早速、レンタカーを借りたのですが、これが、息子の強い希望で、オートマではなく、マニュアル車。
日本とは逆の右側通行。息子には初めてのドイツ。無茶だろうと、いくら言っても、「絶対に大丈夫」と譲りません。
なんせ、息子の願いは、車速が自由な、つまり何キロ出してもいいという、ドイツ名物アウトバーンをかっ飛ばしたい!というものなのです。

「車を借りる息子」

「ドイツでの愛車、アウディ」

まあ、というわけで珍道中の始まりです。

デュッセルドルフに着くや、すぐに日本料理店へ直行。日本酒を飲み、串など食べ、最後はたぬきうどんで締める。
日本人に生まれてよかった!と思う瞬間です。


デュッセルドルフには日本の企業が多くあり、その店も日本のサラリーマンでいっぱい。皆さん、盛り上がっていました。

隣の席のカップルは、「北海道ゆめぴりか」土鍋ごはん三合を、黙々と食べていました。
幸せそうでした。でも、三合ですよ。二人で三合!

それにしても、なぜ、今回デュッセルドルフを選んだのか。実は30数年前、私、住んでいたのです、デュッセルに。
そしてそこから一時間半のところにある、イザローンという小さな町に下宿し、ドイツ語学校にも通っていたのです。

今回は、その学校のある場所に行くという計画を立てたのですが、残念ながら、学校は移転しており、イザローンにはもうありません。
でも、どうしても行ってみたくて、とりあえず出かけ、でも、場所がよくわからないので、地元の警察に。そこで、かつて学校があった場所を教えてもらい、行ってみました。

「住所を調べてくれる、ポリツァイ(警察)のおじさん」

BMWの白バイ」

建物は変わっていたのですが、間違いなくそこに学校があったことを思い出し、ついでに下宿していた家を探したのですが、それは見つかりませんでした。

「学校の跡地の建物」

それにしても、その学校で、実は私、めちゃくちゃモテまくったのです。
人生のモテ期とはあの時のことでしょう。
朝、家を出ると、取り巻きの男の子たちが待っていて、学校まで一緒に行きます。
授業中に先生に当てられると、クラスの男の子たちが私の代わりに一斉に答えて先生にお目玉をくらい、テストは、みんなで答えを見せてくれたり、もう至れり尽くせり。ついでに女の子からまでモテて、金髪美人が、「真面目につきあって」なんて言ってきたりもして……。
イラクの大金持ちで俳優の男の子からは、プロポーズまでされました。
お嫁に行っていたら、どんな人生だったのでしょう。
それにしても、いやあ、ほんと、狐につままれているようでした。
また、日本人女性はドイツの男性にも非常にモテます。
あちこちで声をかけられ、「マジすか?」てな感じでした。

「夢よもう一度」と何度も思いましたが、あれほどの思いはその後していません。当たり前か……。

でも、30数年前にいた場所を、今、当時と同じ年頃の息子と訪ねることができるなんて、まるで夢のようだと思いました。

将来が見えず、悩んでいたあの頃の私に、「あなたの人生の先は、こんなふうになっているのよ!」なんて、教えてやりたい気分になりました。

ドイツ語はまったくもって上達しなかった私ですが、多感な頃、ドイツで過ごしたことは、素晴らしい経験となりました。
昨日の息子の話ではありませんが、ヨーロッパの人たちの成熟ぶりには、本当に教えられることがたくさんありました。
「年をとるのが怖くない」という気持ちを持ち続けられるのも、たくさんのヨーロッパの大人たちを見たからだと思います。
年を重ねてこその人生。子供たちは下がっていなさい、くらいの勢いには、当時、仰天したものです。

人目は気にしない。大切なのは、自分が自分らしくいること。
流行のものを着るよりも、自分のスタイルを持つこと。それはパリの女性たちから学びました。
カシミアは子供が着てはいけない。あれは大人のもの、とか、フリルは年を重ねた女性のもの。
若さがなくなるからその分華やかに。なので、日本の若い女性がフリルを着ているのを見ると、若いだけで美しいのだから、フリルは過剰になるのだな、なんて思ったりもします。
もちろん、私はフリフリしてます。年なので。

うわ、長くなってしまいました。
ここまでおつきあいくださり、ありがとうございます。

では、また。

「学生時代に歩いた道」

「ドイツのビール!」


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