僕の実父から、2年半ぶりに電話がかかってきたの。
2016年だった社会人。母から父の話を聞いて、僕は父を否定したんだ。
母さんに暴力をふって、母さんは兄弟3人を連れ出し函館から札幌に来たと。でもね、後から札幌に来たのは父の虐待じゃなく母に好きな人が出来たから…と知ったのは社会人になってから。
2歳から高校卒業の16年間。施設ですごした日々。
母に対する気持ち。愛情。そして顔を覚えてない父をずっと、ずっと、愛してた。大好きだった。
高校を卒業して社会人。
カラオケで尾崎 豊を歌うようになったの。
その姿を見て母は「お前の親父も尾崎が大好きだった」と聞いたの。何らかの縁だと思った。

社会人になってもね、母とは16年間一緒に暮らしてなかったら俺は辛くなって家出をしたの。新しい子供もいて自分がわからなくなった。
そして血のつながっていない弟への虐待が怖かった。母よく声を上げて弟の泣き叫ぶ声夜も朝も聞こえた。
家出して次のグループホームに入った時、父から電話が来たの。
だけど、生活保護難民だったことや過去の傷付きで精神薬を飲んでた頃もあって父はそれを認めなかった。
いつしか電話が出来なくなった。

父と唯一繋がってた電話が途切れてしまった。
何度も何度もかけ直したけど繋がらなかったの。

その翌年母親は弟をバットで殴って僕は弟と警察にいったんだ。
だけど弟はお母さんが大好きだったんだろうね。
児童相談所を飛び出し、釈放金払って今は2人で暮らしてる。

今の家に来て1年。
母と連絡が取れなくて1年半。
兄弟とも連絡取れないまま…一年近く。
そして父と連絡が取れなくなって2年半
もう諦めてた。僕の世界に父親は存在してない。
家族が存在してない
父と共通してるのは「康洋」の「康」僕と同じ感じが入ってるの。

何度も番号を変えて父親に連絡をとった。
けど繋がらなかった。

だから父が好きだった尾崎 豊。毎日毎日聴いて父の声だと思ってたの。カラオケでもたくさん歌ったの。

だけど今夜奇跡が起きた。
父親から連絡が来た。

久しぶりの電話に声はガラガラで
でもね、ちゃんと謝ってくれた。
尾崎の話もした。
俺は、諦めないでずっと待っててよかった。
そうツヨク思ったんだ。

僕の大切な知人が亡くなりました。
その人は僕が過去に苦労した生活を送ってきたことを理解した上で、ここ数年に渡り、たくさんの支援、時に面倒や困ったことを聞いてくれました。
僕自身が家族と連絡が取れないことから、その人は、親同然のように慕い、たくさん可愛がってくれました。
僕から見て、親も同然です。

今現在、SNS(Twitter、Facebook、Instagram)などで交流を持たれてる方には、申し訳ありませんが、しばらくの間休止したいと思います。

そしてこれを機に自分が今まで教わったことを活かしつつ、自分の足で立って自分自身で頑張っていきたいです。

日々悲観的になるかもしれません…
しばらくの間、時間はかかりますがどうか僕を信じ、待っていてください。
そして遺言書にあったように、彼にあった弔いを精一杯していきます。

尚、この件に関してお話されても僕からお答えすることは一切ございません。

2019年1月18日(金曜日)
安達 康介

2018年12月1日を持ってKousuke Adachi Official Websiteは、サービスを終了しました。
また、この機会にアーティストとしての活動を休止します。
今まで…
小学校からカメラを本格的に持ち始めて、高校までは綺麗なものを撮ってきた。
けど今は写真を撮影しすぎて何がきれいなのか、何が美しいのか分からなくなってしまった。

俺が撮影したいのは画になる写真。

どんなに美しい花より、風景より、日本人の心の原風景。
家族。
表情。

たくさんの方からも、色々応募してみたら?って言われるんだけど最近撮った写真は「とらなきゃ…」「趣味がなくなる」そんな焦りの作品なんです。
それをここ数年ずっと引きずってました。
この数年で来た作品も実は心のこもってない作品です。

だから一度しばらくカメラと距離をおいて、リセットしたい気持ちがあるんだ。

なんだかんだ言っても、カメラを持ち始めて10年間…

カメラだけじゃなくても、日常を思えることってたくさんあるはずだ。
そしてね、また僕がカメラを手にするときが来て、その時は何十倍いい作品が出来上がってると思ってるんだ。
その日まで待ってて。

2018年 12月13日
安達 康介



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